Wet season Vacation
〜アイシクルロッジ in ストライフ一家〜
<8>
 
 セフィロス
 

 

 

 

「……あっ!」

 黒髪が湯を跳ね上げて、空に舞う。気の毒なほど華奢な肢体が倒れかかってくるのを、私は片腕で抱き留めた。

 ぐいと引き上げると、薄い胸板が目の当たりになる。クラウドの付けた薄紫の鬱血の痕が生々しい。

 身体の芯が熱を帯びる。私はかすかに興奮しつつあるのを自覚した。またそれ以上に悪戯心が頭をもたげる。

 

「……ヴィンセント」

「…………?」

 片腕で身体を固定し、空いた方の指先で、ヤツの細い顎をつまむ。

 否が応でも目線が合う。血の色の瞳に浮かぶのは、怯えと……何だろうか?

 

 肉付きの薄い身体が、私の腕の中で強ばった。必死に腕をつっぱらせるが、哀れなほどに微力だ。

「おまえは私と一緒に来ることになる」

「……セフィロス……ダメだ……」

「なぜだ? 女じゃあるまいし、こんなことどうということでもないことだろう?」

「……やめてくれ……ダメなんだ……今は……」

「遅いか早いかだけの違いだ」

 私はヤツの抵抗を難なく封じ込め、薄い唇を貪った。歯を食いしばるように必死に綴じ合わせられた口唇。頑ななこの男の唇を、舌で割るのは無理だろう。

 私は体勢を変えて、さらに身体を密着させ、顎を押さえていた手で、ヴィンセントの鼻を摘んでやった。

 嫌々をするように身をよじり、細い腕が私の胸に突っ張られる。

 

「んッ……ぐッ……」

 苦しげなうめきが、喉奥から漏れる。さすがに限界だったのだろう。ヴィンセントの唇が空気を求めて、大きく開かれた。

「はッ……はぁ……セ、セフィロス……! 放してくれ……」

「……強情なヤツだな。たまには特定の相手以外もいいだろう? いつぞや三兄弟の長髪にそう言っていたではないか」

「ちがう……ダメだ……ダメなんだ……」

「何がだ?」

 他に何やら言いたげなヴィンセントに訊ねる。だが、それを言葉にするつもりはないようであった。

 

「比べてみたらどうだ? ……クラウドと」

「……嫌だ……やめてくれ……放してくれ」

 同じ言葉を繰り返す。

 

 私は無防備になった唇に口づけ、今度こそ口唇を割り、舌を滑り込ませた。そこがヴィンセントの体内だと思うと、不思議に身体が熱くなる。

 初めて逢ったときには、到底、好みのタイプではないと思っていたのに。この男の浮世離れした有り様が、私に興味を抱かせるのだろうか。

 こいつにはクラウドにはしたことの無いような……残虐な仕打ちを与えてやりたくなる。すべてを私の意のままに操り、私がいなければ何も出来ない、生き人形のようにしてやりたい。

 

 逃げる薄い舌を捕まえ、存分に絡め取り、吸い上げた。

「うッ……んッ……んんッ……」

 何度も苦しげな声を漏らすヴィンセント。それが私の嗜虐心に油を注いでいるとは気づかぬようだ。

 思う様に嬲った口腔を解放してやると、ヤツは肩であえぎをこらえた。

「フフ、私が支えている。立っていられないなら、そのまま楽にしていろ」

 緩慢にかぶりを振るヴィンセント。

「強情だな……だが、そういうおまえもなかなか風情がある。……顔を見せろ」

 ふたたび頭を横に振るヴィンセント。肩で息をしつつも、うつむいたままだ。

 

 空いた片手を、骨ばった下肢に滑らす。

「……ッ……やめて……くれ……」

 脇腹を撫で上げ、薄い胸の突起を指先で愛撫する。

「……あッ……セフィ……ダ、ダメだ……ッ!」

 ヴィンセントの切羽詰まった叫び声。

 だが、それは興奮を堪えられなくなってといった風ではなかった。

 

 骨ばった白い身体が不自然にガクガクと震える。

「……? ヴィンセント……?」

「あ……あああッ! 放してくれッ」

 油断した私の身体をヴィンセントが、渾身の力で突き飛ばした。

 

 それと同時のことだった。

 うずくまるようにして震えるヤツの身体に、バチバチと赤黒い火花のようなものが散る。それは徐々に円を描くように大きくなり、ヴィンセントの身体を包んでいった。

「……なんだ……これは……」

「あッ……あああッ……!!」

「おい、ヴィンセント!」

「寄るなッ!」

 ヴィンセントが激しく叫んだ。それは先ほどまでの弱々しい男の声とは思えなかった。

 バリバリバリと音を立て、ヤツの頭上に黒い霞がかかってゆく。それは徐々になにかの形態をとってゆく。

 黒い羽を持った何者か……ヤツの白い肉体の上に、不気味な形状の悪魔が身をもたげた。

 それは、大きく身をそらすと、ごうと音を立て、羽を広げる。

 

「これは……」

「あああッ……ダメだ! ぐううッ!」

「ヴィンセント!」

「うあぁぁぁぁッ!」

 ヴィンセントは両手で頭を抱え込むと、何かを振り切るように、激しく岩盤に打ち付けた。

 ガツンという大きな音がする。

「おいッ! バカッ! なにをしている!」

 制止を聞くことなく、2度、3度と繰り返す。

 私はすばやくヤツの身体を背後から羽交い締めにすると、あまりに突飛な愚行を食い止めた。

「……セフィロス……放してくれ……ッ」

 消えかかりそうな声。

「バカ者が! 額から血が出ているではないか! なにを考えているんだ、貴様はッ!」

「セフィロス……たのむから……」

「いったい何だというんだ、おまえは……!」

 私がくり返し、そう訊ねると、ヴィンセントはびくびくと震えつつ、頭を持ち上げた。怯えた瞳で私を見る。

 

「セフィロス……?」

「落ち着け、ヴィンセント」

「セフィロス……あ、あれは……?」

「あれ? なんだ?」

「……カオス……いや、悪魔……は?」

 そう問われ、ハッとしてヴィンセントの頭上を見る。

 しかし、そこにはさきほどまで存在した、黒い翼の悪魔を見てとることはできなかった。 

「何もいない。大丈夫だ」

「そうか……よかった……」

 私がそう告げると、ヴィンセントは弱々しい微笑を浮かべ、独り言のようにそうつぶやいた。強ばった背から力が抜けてゆく。

「おい、ヴィンセント!」

「……もう……大丈夫だ……今日は……これでもう……」

「何を言っているッ? おい、しっかりしろ!」

「…………」

「……チッ、もういい! とりあえず上がるぞ」

「あ……自分で……」

「フラフラだろう。いいからそのままにしていろ」

 身体が温まっているせいだろう。額からの出血が思いの外激しく、私は急いでタオルをあてがう。ローブを着せ掛けている余裕は無かったので、自分だけ適当に羽織るとヴィンセントは大判のバスタオル2枚で、グルグルに包み込んでやった。

「おい、片手を出して額のタオルを押さえてろ」

 私は言った。顔面の傷は、浅くても大量に出血する。

「……すまない」

「謝るくらいならバカな真似はよせ。……部屋に運ぶ」

「……すまない……本当に……あの……セフィロス」

「何だ」

 ドカドカと廊下を歩きながら聞く。

「……あの……さっきのあれは……」

「いい、事情を聞くのは後からだ」

「…………」

「話せないなどというのは許さんぞ」

「……わかった……だが……」

 ヴィンセントが泣きそうな声で返事をした。尚もなにか言おうとする。

 

 私は無視して、片足でヤツの部屋の扉を蹴り開けた。