Wet season Vacation
〜アイシクルロッジ in ストライフ一家〜
<16>
 セフィロス
 

 

 

 

 

 

 身体が冷える前に、露天の湯に浸かる。

 ヴィンセントは、まだそれほど動くことはできないだろう。

 

 外の方ではなく、屋根の下に落ち着くことにした。

 

 ……ふたりして、風呂などに浸かりながら、景色を眺めているこのザマに、不意に狂気のように笑いがこみ上げてくる。

 おのれの中に、まだこれほど人間的な感情が残っているとは……黄泉返らせたこの肉体は、こんなにも他の者に執着を見せるのか……

 

 ……私はまだ……『人間』なのだろうか……?

 

 そんな、くだらないことを考え、自然に口元に皮肉な笑みが浮かぶ。

 それをどう解したのか、傍らのヴィンセントが、おずおずと声をかけてきた。

 

「……セフィロス?」

「なんだ」

「あ、いや、すまない。考え事の邪魔をして……」

「別に。用があるなら早く言え」

 オレはひどく冷たくそう聞き返した。

「その……ずっと黙っているから……だが、今、少し笑ったようだったので……聞いてみようかなと思って……」

「フン、貴様はぼんやりしているようで、案外よく観察しているな」

「あ……すまない……気分を害しただろうか?」

「いや」

 オレは否定した。

 くだらぬ感傷に浸るより、こいつと会話している方が気が紛れる。

 オレ……『私』が、人間であろうとなかろうと、するべきことは先から定まっているのだから。ただ、そのための最良の時期を待つこと……そして私のともがらにすべき人員を選定すること……為すべきことはそれだけのはずだ。

 なにも、雌伏の時を自責したり嘲笑したりする必要はない。

 

 『為すべきことはひとつだけ』なのだから……

 

 オレは堂々巡りの思考にピリオドを打った。

 そして意地の悪い笑みを浮かべてやる。

 

「……セ、セフィロス……?」

「おまえのことを考えていた」

「……え?」

「貴様とは相性がいいようだな」

「…………」

「おまえの感想を聞こうか」

「え……」

 石のように固まるヴィンセント。このあたりはオレの想像通りの反応で楽しくなる。

「そんな……ことは……」

「クラウドと、どちらがいい?」

「セ、セフィロス……やめてくれ……そんな……」

「フ……ハハハ……ああ、いいな、おまえのその顔……見ているとひどく楽しくなる」

 オレはそう言うと、未だに身動きままならないヴィンセントの肩を押さえ、顎をつまんで上向かせた。

「セフィロス……ッ!」

 オレの手を押し戻そうと、必死に腕を突っ張る。もちろん、いくら暴れようとしょせん力ではかなわない。

 露を含んだ黒髪を手繰り寄せると、そのまま小さな頭を抱き寄せ、耳元に口づけた。艶やかな長髪の感触を楽しみ、指で何度も梳いてみる。まるで人慣れしていない黒猫を愛でる気分だ。

 

「……よ、よさないか……セ、セフィロス……」

 オレがじゃれかかるのに、性的なニュアンスがないとわかっているのだろう。まるでクラウドをいなすような物言いで、オレを引き離そうとする。

「フフ、暴れるな。オレはおまえを気に入っている」

 ヴィンセントの耳のあたりに頬ずりしながら低くささやく。くすぐったいのか、ヤツは首をすくませた。

 

「そ、その……嫌われていないのならば……よかった」

「フ……まだそんなことを言っているのか」

「……私はあまり人に好かれたことがないので……」

 言い訳のようにヴィンセントはつぶやいた。

「そうか、周りの人間に恵まれていなかったのだな……まぁいい。そのせいで貴様がここにこうしているのならな」

「……セフィロス……」 

「おまえはオレが連れてゆく……だから、それまで二度とこんなことはするな」

 ぐいと身体を引き離すと、左腕を取り、裏返した。

 ヴィンセントが、びくりと緊張する。

 

 幾筋も重ねられた、醜い傷痕があらわになった。

「……あ……」

「いいな?」

「わ、わかった……」

 オレの声音に半ば脅されるように、ヴィンセントは頷いた。そしてわずかな間隙の後、ふたたび、口を開く。

「その……ありがとう……セフィロス……」

「……? なんだ、それは」

「……私の身を案じてくれて」

 至極真面目にヴィンセントが言った。

「鬱陶しいヤツだな。……勝手にしろ」

 オレは辟易として、そういい放った。

 

 しばらく無言のまま浸かっていると、傍らのヴィンセントがうつらうつらと舟を漕いでいる。

 馬鹿みたいに警戒心が強いかと思うと、ありえないほどに無防備な姿も見せる。

 確かに昨日まで、ひどく気を張って過ごしてきたのだろうし、夜もまともに眠っていなかったのかもしれない。

 そう考えれば、肉体が解放された今、純粋に身体の欲求……睡眠を欲するのは、ごく自然の成り行きと言えよう。

 

「おい、ヴィンセント」

「…………」

「おい!」

「え……あ、ああ……すまない……つい……」

 夢見心地のまま、ぼそぼそとつぶやく。

「別に寝るのはかまわんが、貴様では溺れ死にかねんぞ。もう身体が温まったなら、部屋へ戻るか」

「……あ、ああ、セフィロスは……?」

「バカか、おまえは。貴様のことを聞いてやっているんだ」

「え、あ、いや、私はもう十分温まった……」

「よし」

 オレは頃合いを見計らって、立ち上がった。

「おい、立てるか?」

「あ、ああ、もちろん……」

 そうはいうものの、細い腕がガクガクと震え、立ち上がるのにひどく時間がかかる。

 よろめく身体が、必死に岩を支えにするのに、オレは嘆息した。

「日が暮れそうだな、ヴィンセント」

「え……あ、す、すまない。あの……セフィロスは先に戻ってくれ。あとは自分で……」

 予想通りの回答を、おどおどと口にする。

 きっと、幼い頃のクラウドなら、「セフィ、抱っこして」か「子ども扱いするな!ひとりで大丈夫だっ!」と言って、転んで泣くかどちらかだ。

 

「滑って転んで頭でも打たれたらかなわんからな」

 オレは、行きと同じように、ローブでくるんで薄い身体を抱き上げた。

 さすがに、情けないと恥じているのか、うつむいたまま黙っている。そういう自虐的な有様が、返って相手の庇護欲を駆り立てるのだと気づいていないのだろう。

 

 オレは自分の部屋の扉を蹴り開けると(言っておくが、いつでも足で扉を蹴っているわけではない。今回は常に両手がふさがっている状態だからだ)、寝台の上に、ヴィンセントを放り投げた。

 

「え……あ、あの、ここはセフィロスの……」

「仕方ないだろう。おまえの部屋のベッドはぐちゃぐちゃのドロドロだ」

「…………」

 オレの即物的な言葉に、困惑して黙り込む。

「いいから気にせずに寝ろ」

「で、でも……君は……」

「この部屋にはゲストルームがついている。狭いがベッドもよけいにひとつあるからかまうな」

「な、ならば、私がそちらへ……」

「またオレに貴様を運べというのか?」

 オレは鼻で笑ってそう言ってやった。

「……い、いや……あ、あの……」

 口ごもる様が面白くて、もっと困らせてやりたいと思うが、さすがにそうもいかなかった。

「とにかく寝ろ。身体が楽になるはずだ。熱でも出されてはそれこそ面倒だ」

「……わ、わかった」

「貴様が目を覚ます頃には、あのガキも帰ってきてるだろうよ」

「……そうだな」

「わかったら休め。何度も言わせるな」

 オレは立ち上がると、半身を起こしていたヴィンセントの頭を枕に押しつけた。そのまま、乱暴に布団をかぶせてやる。

「わ、わかった……ありがとう……おやすみ、セフィロス」

 もぞもぞと、顔を羽布団から覗かせると、意外なことにオレに微笑み掛けてそう言った。久々にこいつの笑顔を間近で見た。

 

 そのまま、目を閉じると、ヤツの呼吸はすぐに規則的に変わっていた。