〜この手をとってささやいて〜
 
<19>
 
 レオン
 

  

  

「……かすんでいるが、少し見えるようになってきた」

 『セフィロス』はごしごしと目をこすると、独り言のようにそうつぶやいたのであった。

 五日目くらいだったと思う。

 このくらいになると、俺も徐々に彼の世話になれ、積極的に手を貸していた。

 朝食の時間、彼に食べさせてやろうとしていたときに、そう言ったのだ。

「そ、それはよかったな。後で皆に報告しておく」

「ん……」

「朝食はどうする。自分で食べるか?」

 と、敢えてそう訊ねたのだが、彼は緩慢に頭を振った。食べさせて欲しいというのだろう。確かに、物の形がぼんやり見えるくらいでは危ない。熱いスープなどがあるのだから。

「食後はお茶がいいか?それともフレッシュジュース?」

 毎度のお約束のように、その言葉を口にする。

 そして彼は、

「ジュース」

 と応えるのであった。

「『セフィロス』。食事が済んだらベッドのシーツを取り替える。鏡台の方へ座っていてくれるか。ああ、レオン、彼の髪をとかしてあげてくれ」

 ヴィンセントさんが言った。

「わかった」

 ああ、俺はこの時間が一番好きかも知れない。

 フェチシズムと言われても仕方がないのだが、『セフィロス』の髪は本当に美しい。

 プラチナのように輝き、さらさらと手を滑るのだ。

 ヴィンセントさんに教わったように、最初は目の粗い櫛でおおざっぱにもつれなどをほどき、最後は豚毛のブラシで梳いてやる。

 長い銀の髪はクセが無く、まっすぐだ。

 髪を梳かれるのは心地が良いらしく、俺の為すがままに目を閉じている。

「レオン……」

 めずらしくも彼が話しかけてきた。

「なんだ、どうした?」

「……ずいぶんと機嫌がいいな」

 と、『セフィロス』が言った。

 

 

 

 

 

 

「それはアンタだろう。大人しく俺に髪を梳かれている」

「逆だ。おまえがこんなにかいがいしく私の世話をする道理はないだろう。ヴィンセント・ヴァレンタインならばともかく」

「アンタは怪我人だ。自分にとって大切な人間がそうなら、世話をするのは当然のことだ」

「そうか。……そうだな。我々は両想いのようだ」

 その言葉は何の抑揚もなく、平坦な口調で、俺はひょっとしたら聞き逃していたかもしれない。

「両想い……?」

「そうだ」

 髪を梳かれながら、『セフィロス』は頷いた。

「気付いていたのではなかったのか」

 そう言葉を続ける。

「『存在しなかった世界』のときに、おまえは知ったはずだ。この私の身体からノーバディが生まれようとしたのを」

「あ、ああ」

 俺は頷いた。その意味を理解できたのは、こっちの世界のセフィロスが教えてくれたからであったが。

「……初めて出会ったときから、ずっと忘れられなくて……いつの間にか、アンタを追っている自身に気付いた」

 俺は言った。

「『クラウド』がいるのに?」

 少しだけ意地悪く『セフィロス』がささやく。

「最初から……『クラウド』とは違っていたんだ。『クラウド』のことは、守ってやらなければと思っていた。それもひとつの愛情だと思うし、今でも彼を思う気持ちは変っていない。だがアンタのことは……全然違うんだ。生まれて初めてだった、こんな想いは」

「……どんな想い?」

 わざとなのだろうか。彼はさらに追求してくる。

「触れてみたいと思った。こうして髪に触れて、口づけて……アンタを自分のものにしたいという凶暴な感情だ。今は必死に自制している」

「レオン。では口づけてくれ」

 椅子に座った『セフィロス』が、俺を見上げて目を閉じる。

「だ、だが……」

「口づけて……ささやいて」

 『セフィロス』は聞き取れないほど小さな声でそうつぶやく。

 俺がその誘惑に打ち勝てなかったのは、どうにも仕方のないことだと思って欲しい。