真夏の夜の夢<1>
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 夏だ、夏。

 暑い夏がやってくる。

 

 俺は土浦梁太郎、星奏学園の二年生だ。

 ちなみに、在籍しているのは普通科だと、一応、断っておくことにする。

 

 昨日、学期末試験が終わり、俺たちは十日も待たずに夏休みを迎える。

 試験終了から、夏期休暇までの期間は、いうなれば自主学習期間で、図書館で勉強するもよし、クラブ活動に専念するもよし。音楽科においては、自由に校内施設を使用して、自主練習する者がほとんどらしい。

 そう、つまり、表向き、学校はあるものの、通常の時間割とは大分異なるというのが実状だ。

 

 

 そんなわけで、俺は今、駅ターミナルにいる。

 真っ青な空に白い雲。気温はまだそれほど高くはない。

 著しく話の流れがかみ合わないと感じるだろうが、まぁ、聞いて欲しい。

 

 俺の住むこの街は、いわゆる「文化都市」というのを標榜していて、市民音楽団が熱心に活動している。もちろん、市も積極的な協力体制をとっており、定期演奏会には、著名人も呼び集めるという熱心さだ。

 もちろん、音楽教育のステイタスである星奏学園の所在地というのも一役買っているのは言うまでもない。  

 

 今年、うちの学校に、市民オーケストラから、秋の定演へのゲスト参加が打診されたのだ。もちろん、あくまでも主役は市民オケだから、俺たちは一幕を飾るという、その程度のことなのだが。

 学内コンクール出場者が、今日、最寄り駅に集合されているのはそういった経緯があるのだ。

 そう、俺たち7人が、定期演奏会ゲスト出演のメンバーなのである。

 試験休みと、自主学習期間の約一週間ちょっとを、星奏学園の所持する保養施設で過ごすことになったのだ。もちろん、7人そろっての合同練習のためであり、「保養」しに行くわけではない。

 行き先は北軽井沢。それもかなり浅間山に近い場所だ。

 静かな避暑地だし、夏場にはもってこいということで、その施設が選ばれた……らしい。いや、これは金やんの受け売りだが。

 

 ぶっちゃけ、コンクール終了と共に、部活に戻った俺としては複雑な心境だ。いや、もちろん、ピアノは好きだ……というか、やはり音楽から離れられるとは思えない。

 だが、俺にはもうひとつ打ち込んでいるものがある。

 そう、サッカーだ。

 一年の後半からレギュラーに抜擢され、冬は地区予選を戦った。生成績は堂々二位。もちろん、俺としては、優勝をかっさらいたかったわけだが、まだまだ俺自身、力量不足を痛感した。

 だからこそ、部活の中心になる二年生の今このとき、何が何でも、夏の予選を勝ち抜いて、秋には全国大会に出場したいのだ。先輩たちが果たせなかった夢を、俺の代で、実現したい。

 ああ、ちょっと、熱く語りすぎてしまった。

 まぁ、そんなわけで、しばらくは部活ひとすじに打ち込もうと考えていた俺にとっては、出鼻をくじかれるような出来事であった。

 

 一週間とはいえ、設備万全の保養所……いや、「保養所」などという、古くさい言い方では、失礼にあたるような気がする。

 洋館を今風にアレンジしたペンションといえばいいのか……残念ながら、俺はそういった方面に疎いので、今ひとつ的確な表現が思いつかないが、まぁ、小綺麗な別荘風の建物と思ってくれればそれでいい。

 もちろん、星奏学園の持ち物なのだから、防音の施された個室、練習室、ああ、当然、置いてあるのはグランドピアノだ。

 全自動洗濯機まで、各部屋に備え付けられているというのだから、荷物は簡単な着替え程度で十分だ。

 

 

 俺は、少し大きめのボストンバックを持ち直すと、ターミナルの階段を登ろうとした。 

 ちょうど、そのときだった。

 すぐそこの駐車スペースに、乗用車が乗り付け、見知った少年が降りてきた。

 巨大な楽器をみれば、それが誰だかすぐにわかるだろう。

 

「あ……おはようございます、土浦先輩」

 と、彼は言った。

 音楽科一年の志水桂一。彼はチェロの演奏者だ。

「よう、おはよう」

「ああ、よかった、間に合ったみたいですね。叔母に車で送ってもらったんですが、道路が混んでいたもので……」

 おっとりと彼は言った。

「ああ、まだ平気だろ。さ、行こうぜ」

「はい……」

「おいおい、なんか眠そうだな、オマエ。それ、チェロ貸せよ。階段の上まで持って行ってやるから」

「え……? いえ、大丈夫ですよ……」

「いいからいいから。俺、手持ちぶさたで、一緒に歩くのもなんだろ? 平気だって、気をつけるし」

「……すみません……土浦先輩」

 志水は、少しはにかんで笑った。顔だけ見ていれば、天使のような後輩だ。ああ、もちろん、性格はそうじゃないって言っているわけではなくて。

 こいつは、いつもぼんやり、のんびり半分眠ったようなありさまで、正直いったい何を考えているのかわからないところがある。

 だが、俺にはすごく親切に接してくれるし、とても素直だ。あまりにも屈託がなさ過ぎて、ときたま、どういう反応をすればよいのか、困ってしまうこともあるが、まぁ、いいヤツなのである。

「土浦先輩、これから、一週間、よろしくお願いします」

「ああ、こっちこそな」

「僕、すごく合宿楽しみにしてたんです」

「へ、へぇ、そうなのか? 期末終わったばっかで、せわしねぇけどな」

「うふふ、確かにそうですね。でも、一週間、先輩と一緒に練習したり、ご飯食べたり、お話したり……同じ建物の中で過ごせるなんて、すごく嬉しいです」

「そ、そうなのか? そりゃまぁ、いいけどよ、別に……」

「でも、市民オケにゲスト出演なんて、ちょっと楽しみですよね。僕、高校からこっち来たし、まだこの街のことよく知らないんで……」

 志水が言った。

 彼は地方出身者なのだ。言葉になまりを感じないのと、不思議の国の王子様のような外見のせいで、あまり田舎の少年という印象はない。

 

 俺が志水の歩きペースに合わせるようなカンジで、集合場所に到着してみると、すでにメンツはそろっていた。ヤバイ、どうやら俺たちがドンジリらしい。しかし、志水に焦る気配は皆無だ。

 とっさに、時計塔を振り返ってみたが、何のことはない。待ち合わせ時間ギリギリだが、遅刻したわけではないようだ。

 

「うーす、皆さん、お早いお着きで」

 俺は少しおどけてそう言った。

「オィース、土浦。遅刻しなかっただけヨシとしておくか」

 おなじみ金やんがタバコをふかしながらそう言った。

「しといてくれよ。こちとら試験休みも棒に振ってつきあってやってんだぜ?」

 俺はため息混じりに言ってやった。

 引率は音楽教師の金やんと校医の梅田だ。ああ、ご心配なく。星奏学園には、校医が非常勤も含めて三人ほど居る。ぶっちゃけ、おっかねぇ梅やんがいなくて、男連中はほっとしていることだろう。

「まぁ、そういうな。いいだろ、避暑地だぜ? メシも美味いし、景色も抜群だ」

「それ、この前も聞いたよな」

「え? 先輩、合宿嫌なんですか?」

 とたんに志水が悲しそうな声を上げる。俺はそれを慌てて否定し、冗談ということにしておいた。ちょっぴり本音も入り交じっているのは内緒にしておく。

 

「おいおい、土浦。ったく五分前行動の出来ないヤツだな! 俺を見習えよ、この先輩サマを」

 めずらしくも早く到着していたのか、火原先輩がぐぐんと胸を張って威張った。

「はいはい。さすが火原先輩ッスね。学校以外は遅刻しねーんですからね」

「あ〜ッ! 土浦! 失礼なこと言うなァ!天誅ッ!」

 いきなり絞め技をかけてくる火原先輩をかわし、俺は大切な預かりモノを志水に返した。 どこからか、妙に執拗な……だが、冷ややかな視線が突き刺さる。案の定、月森がベンチに座ったまま、斜めにこちらを見ている。

 目が合ってしまったので、一応、ようというカンジに手を挙げて見せた。これから一週間、一つ屋根の下で生活するのだ。短い間とはいえ、最初から険悪な雰囲気に陥る必要はない。

 だが、月森のほうは、俺の態度をどう取ったのか、少し慌てたように目をそらせてしまった。

 

 ……俺、なにかやったか?

 自問自答をしても覚えがないものは覚えがない。

 ああ、もしかして、志水に対してのわだかまりのせいなのだろうか。くわしいことはよくわからないのだが、同じ音楽科とはいえ、月森は志水のことが苦手らしいのだ。なんとなく持て余しているといえばいいのだろうか。柚木さんに対してのように、あからさまに避けているというカンジではないのだが。

 また、志水のほうも、月森に一風変わったライバル意識をもっているようで、いつも夢を見ているように惚けている彼にしては、めずらしくムキになって議論することもままあるようだ。

 まぁ、いずれにせよ、俺はただの部外者だ。

 所属は普通科だしな。ああ、もちろん、音楽は大好きなので、ずっと続けていくことになると思うが、少なくとも学園に置いては渦中にいないといったところか。

 

 チェロを受け取り、丁寧に礼を言う志水に気にするなとこたえる。

 

 そんなやりとりのなか、どうやら時間が迫ってきたらしい。