真夏の夜の夢<3>
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 軽井沢の駅に着くと、俺たちは列車を降りた。

 避暑地というだけあって、東京都とは太陽の明るさが違う気がする。もちろん、煌々と陽は照りつけているのだが、空気は冷涼な印象だ。

 迎えのマイクロバスが、すでに俺たちの到着を待ってくれていた。学校所有のものだ。 

 バスに揺られて15分ほど、さらに北に坂を上ってゆく。美しい渓流が俺たちの目を楽しませ、山を覆う木々の中には、すでに紅く色づいているものさえある。

「おい、月森、見てみろよ、景色、綺麗だぜ」

 列車の中から、ずっとローテンションの奴を気遣い声をかけてみる。バスの中でも、俺のとなりに座っていたが、どうにもこうにも元気がない。

 

「ああ、本当だな……」

「おいおい、おまえ、病人じゃねーんだからよ。どうした、乗り物酔いか?」

「……いや、そういうわけではないが……」

「腹、減ったか?」

「……君じゃあるまいし」

 憮然とした表情で言い返す、月森。

「ほれ、もう着くぞ。テンション上げとけ」

「……君は不安はないのか」

 奴はおかしなことをぼそりとつぶやいた。

「は?」

「だから……不安はないのかと聞いている」

「不安って、何のだよ?」

「……これから10日近く、このメンバーで共同生活するんだぞ?」

 ひっそりと声を潜めて、月森がささやいた。他の人間に聞かれたくないのだろう。

「それがどうしたよ?」

「衣食住には困らないだろうが……」

「おいおい、何言ってんの、オマエ。金やんが言ってたろ? 部屋はひとり部屋だし、各部屋にバスルームまで着いてるんだぞ? 全自動洗濯機だの、ミニキッチンだの、ハッキリ言って学生甘やかし過ぎだと思うせ」

 俺はそう言ってやった。

「…………」

「それに食事は三食まかないじゃねーか。キッチンあるっつっても、自炊じゃないんだからよ。不満はねーだろ」

「ま、まぁ……それはそうだが……」

「オマエなんかに包丁持たせたら危なそうだしな」

「失敬な! 君は人のことが言えるのか?」

「俺、趣味は料理だぜ?」

「ピアニストのくせにか!」

「あー、ほら、俺、注意深くて器用だから。誰かさんと違うから」

 不本意ながら、俺と言い争っていると、コイツはいつもの調子に戻ってくる。

「悪いけどな、月森。俺、女子から調理実習の神と呼ばれてるからよ。もうそのレベルだからな。なめんじゃねーぞ」

「ぷっ、ははは……なんだ、それは?」

 めずらしい月森の笑い声に、バスの中の注目が集まる。月森が萎縮する前に、言葉をつづける。

「ま、そんなカンジだからな。メシが口に合わなかったら言え。オマエが驚くようなモン作ってやるよ」

「そうか、それはそれは。楽しみにしている」

 フンといった調子で、顔をあげ腕組みする月森。

 そう、これでこそ月森だ。おどおどと逃げ腰だったり、あまりにしおらしい様子は見ていて不安になる。

 俺が奴を元気づける義理はないが、ただそれだけのことだ。

 

「うぉーい、着いたぞー、降りろー」

 間延びした金やんの声で、俺たちは目的地に到着したことを知った。

 

 

                              ★

 

  この日、合宿所に到着したのは午後1時頃。

 

「へぇ、いいところじゃねーか」

 俺は、山荘……いや、ペンションを眺めてそう言った。サッカー部の合宿所とはエライ違いだ。

 木目調のあたたかな雰囲気だが、中はひどく近代的だ。また「別荘」という軽いイメージのものではなく、十分快適な生活を保障してくれそうな設備の数々である。

 掃除や食事の支度を請け負ってくれるのは、学校委託の住込みのご夫婦だ。気のいいおじさんとおばさんといった雰囲気で、俺は安心した。

 

「いらっしゃい。お疲れさまでした」

 笑顔の素敵な小柄なおばさんが、迎えに出てくれる。

「ちゅーす、お世話になりまーす。おばちゃん、元気?」

 まるで学生のようなあいさつをする金やんに、梅やん。実のところ、彼らがまだ星奏学園の生徒であった頃、何度か世話になったらしい。

「あらあら、金澤さん、梅田さん、あいかわらずねぇ、さぁ、みなさん、お食事の支度ができておりますから」

「あー、もうオレ腹ペコペコだよ〜」

 ドタバタと食堂……もといダイニングに走ってゆく火原先輩。

「おいおい、火原! 飯は荷物おいてからにしろっつーの」

「まぁまぁ、梅田さん。お食事終わりましたら、すぐお部屋の方にご案内しますから。若い方はお腹が減るのよねぇ」

「そーそー、お腹が減るんですよねぇ」

 おばさんに調子を合わせる火原先輩。

 もっとも、俺たちだけではもったいない広さのダイニングだから、荷物をおいても、まったく邪魔にはならないが。

 火原先輩のおかげ(?)で、食事を先に済ませることになる。

 すでに準備された席に腰を落ち着けると、現金なもので俺の腹はグーッと鳴りやがった。

 

  

 ……食堂。なんというか、大衆食堂を彷彿とさせる響きがあるが、前にも言ったとおり、ここは洒落たペンションのような作りなのだ。もちろん、食事をする場所も学食のような色気のない場所ではない。支柱のところが木製のガラステーブル。椅子も座り心地のいい手の込んだものだ。使われている食器類も、きちんとしたレストランに引けを取らないようなものである。

 各自のテーブルに真新しいナプキンが折りたたまれているのに、正直俺は驚いた。

 

「さぁ、皆さん、お腹空きましたでしょう。おかわりもございますよ」

 気のよいおばさんが給仕をしてくれる。並べ終えた後は、話の邪魔にならないよう気遣ってくれているのだろう。台所に下がり、お茶の準備をしてくれているようだ。

「そんじゃ、遠慮なく」

「いただきまーす!」

 俺と火原先輩はまるで競争のようにして食べた。いや、そんなつもりはなかったのだが、ぶっちゃけ、腹は減りまくっていた。今朝、8時にウチでトーストを食べたっきりなのだから。火原先輩からお菓子をもらったが、腹が減ったときに甘い物を食いたいとは思えない。やっぱり、そこは米だろう。

 昼飯のメニューは、ミートローフにバターライス、コーンポタージュ、アボガドとジャガイモのサラダ、キウイの寒天よせだ。十分過ぎるほどに豪華だ。

 

「うん、美味しいね」

 にっこりと微笑んで、柚木さんが言った。奥へ聞こえるように配慮して、彼にしては少し大きな声で。こういう気遣いが出来るところは嫌いじゃない。

「君たちの口にも合うんじゃないかな?」

 と、女性チームにもソツなく声をかける。

「うん、おいしいよね、冬海ちゃん」

「はい、で、でも、ちょっと量が多いかも……」

「ははは、そうだね、女の子にはちょっと多めかな」

「そうですか? アタシ、全然平気! 食べきれなかったら言ってね、冬海ちゃん!」

「こらこら、日野さんたら」

 ……うまい。なんて女と会話するのがうまいのだろう。感心して見ていると、柚木さんと目が合ってしまった。

 まぶしいほどの笑顔を向けられて、俺は冷や汗を流した。