真夏の夜の夢<4>
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 昼食を終えると、俺たちは金やんの指示に従って、割り振りのあった私室に向かった。とりあえず、荷物を整理してしまわないと落ち着かない。。

 

 

「土浦先輩」

 俺は声をかけられて、振り返った。

「おう、志水。ちゃんと飯食ったか?」

「はい。僕、土浦先輩のお向かいのお部屋みたいです。ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします」

 バカ丁寧に挨拶する志水。にっこりと微笑んだ顔は庇護を必要とする小動物を思わせる。

「おう。何かあったらすぐ言えよ」

「はい、僕、先輩と部屋が近くてよかった。夜、遊びに行ってもいいいですか?」

「え? お、おう。でも別に来ても何にも出ねーぞ」

「僕、先輩とお話すると安心できるんです。よかった、夜、ちゃんと眠れそう」

 ……いやはや、とても同じ男子の言うこととは思えないが、志水とはこういうキャラクターなのだ。

 

「ああ、まったくだ。君がとなりというのは非常に心強いと俺も思う」

 固い声音で割って入ってきたのは、昼食お残し大将、月森であった。

「……月森先輩。土浦先輩のとなりなんですか?」

「ああ。よろしく頼む、土浦」

 これまたひどく挑戦的に言う月森。普段周囲に関心を払わないくせに、妙に志水に対してだけはムキになるのだ。確かに志水は優れた音楽科だし、年下といえど、ライバル視してもおかしくはないと思うが、とにかく月森らしくない態度なのである。

 

「僕、これから土浦先輩と散歩に行く約束なんですけど」

「え? あ……」

 いきなりそんなことを言い出す志水。

「そうか。では俺も同行させてもらおう」

「えぇ? 月森先輩、横になっていなくていいんですか?」

 いささか大げさに志水が言った。だが、確かにこれは当然の指摘だ。

 月森は体調が優れないという理由で、今日の昼食を辞退していた。健康健全な高校男子としてあるまじき状況である。

「あ、いや、確かにそりゃそうだな」

「そうですよね、僕、心配です」

 そう言った志水を、月森は無表情に睨め付けた。

「大丈夫だ、心遣いは無用だ」

「おいおい、バカ言ってんな。まだ顔色悪いぞ?」

 これは本当のことだ。

「大丈夫だというのに」

「そういうセリフはメシ食えるようになってから言うんだな。いきなり梅やんの世話になんの嫌だろ。ほら部屋戻れ」

「え、あの、土浦先輩」

「悪い、志水、後でな」

 とりあえずは病人優先だ。後輩へのフォローは後に回す。

 

「つ、土浦……」

 ぐいぐいと、奴を自室に戻し、俺も一緒に部屋に入る。

「荷物片づけたのかよ」

「い、いや……その……まだ……」

「仕方ねーなー。とりあえず寝間着出しとけ。ええと、バスルームは俺のところと同じだよな」

「え、あ、あの……」

「ぐずぐずすんな。風呂沸かしてやるから。おまえ、慣れない場所に来て、ちょっと気が立ってんだよ。お湯浸かって、少し眠れ。そうすりゃ落ち着いて腹も減るさ」

「…………」

「どうした、ボケッと突っ立って。気分悪いのか?」

「……い、いや」

「そんなら、荷解きでもしてろ。だいたいおまえはとろいんだからよ」

「……す、すまない」

 てっきり何か言い返してくるかと思ったが、ずいぶんと神妙につぶやく月森。やはり大人しいコイツは調子が狂う。

 まぁ、育ちが育ちだ。俺よりは遙かに繊細に出来ているのだろう。見知らぬ場所での共同生活ということで、疲労するのもやむ終えないのかもしれない。

 

 綺麗に整えられたバスルームではあるが、備え付けのものということで、それほど広いわけでもない。湯加減のボタン一つでセットして、少し待つとほどなく湯が溜まる。

「おい、月森、沸いたぞ」

「え、あ、ああ」

「タオルとかバスローブとか、そーゆーのは一応あるみたいだぜ」

「え、あ、そ、そうか」

「おいおい、ボケッとすんなよ。大丈夫かよ。お湯、ややぬるめにしてあるからな。入ってみていいように自分で調節しろ」

「わ、わかった」

 なんだか必死に頷く月森。こいつは案外機械オンチなのかもしれない。

「バカでもわかるようにボタンひとつだから。そんなに心配すんな」

 そう言って笑うと、さすがにムッとしたように口をまげた。

「失敬な。子どもではないのだからな」

「ハイハイ。じゃ、俺行くから。ぶっ倒れないように気をつけろよ」

「え…… もう、行ってしまうのか?」

「ここに居ても邪魔なだけだろ」

「…………」

「あー、ま、アレだ。となりで、俺も荷物片してるから、なんかあったら呼べ」

「わかった」

 しっかりと頷くのを見届けると、俺は月森の室を出た。

 やれやれだ。ある意味、志水よりも手が掛かる。

 だが、最近の月森が気がかりなのも事実だ。前にも述べたが、とにかく以前の強気な態度が影を潜め、なにやらひどく不安げな行動、そしてことさらに物思いに耽っているさまが目に付く。

 先ほどのバスの中でのように、こちらのほうから、気を引き立てるように語りかけると、調子を合わせてくるのだが、目を離すとまた沈んだ様子になっている。

 この合宿をきっかけに、元どおりの奴に戻ってくれるといいのだが。

 

 そんなことをつらつら考えながら、俺は自分の部屋に戻った。

 俺の荷物などたいしたことはない。全自動洗濯機がついているのだから、極端な話Tシャツ2、3枚と短パン、インナーがあれば、それでオッケーだ。まぁ一応、母親に言われて、それなりに用意はしてきたが、それでも柚木さんや月森に比べれば半分以下である。

 

 さすがに作りが良いようで、となりの部屋の物音など聞こえはしない。

 まさかと思うが、バスルームでひっくり返っているのではないかと心配になる。いやいや、そんなことを気にしていては……いや、だが気になる。

 

 いや、そうではない。勘違いしないで欲しい。月森が特別だというわけではないのだ。

 我ながら損な性分だとは思う。だが、どうしても心許なげなヤツ、不器用なヤツを放っておけない。それは結局、俺自身が器用とはいえない人種だからなのかもしれない。

 

 服や日用品の類をあらかた片づけると、部屋についているキッチンで簡単な野菜のスープを作る。一番最初におふくろからおそわった料理だ。

 材料はもちろん食堂から残り物を拝借してきたのだ。山と積み上げられた山菜、野菜はたいそう魅力的だったが、そんなに大量に失敬してきたわけではない。

「おーし、完成」

 俺は言った。コイツは本当に簡単なんだ。

 体調の悪いとき、風邪を引いたとき、おふくろが必ず野菜スープを作ってくれる。俺は栄養だのなんだのにはくわしくないが、胃にやさしくビタミンがとれるらしい。

 俺はそのスープと、下で頼んでもらってきたカットフルーツを、適当にトレイに乗せると、月森の室の扉を叩いた。

 

「は、はい……?」

 警戒した応答がある。

「俺だよ、俺」

「あ、ああ、開いている」

「入るぜ」

 俺は片手でトレイを支えると、月森の部屋を開けた。

「よう。上がったか。どうだよ、気分」

「え……あ、ああ、風呂に入ったら……落ち着いたみたいだ。あの……土浦、それ……」

 目ざとく俺の手荷物を見つけて、驚いたようにつぶやく月森。

「空きっ腹だと、眠れないかと思ってな。果物とスープなら入るだろ」

「……すまない。わざわざもらってきてくれたのか?」

「俺が作ったんだよ」

「ええッ?」

 今度は本当に驚いたように、声を上げる。自分の上げた大声に驚いたように口に手を当てる様が可笑しい。

「さっき言ったろ。俺の趣味は料理なんだからな。こんなの朝飯前だぜ」

「…………」

「なんだよ、その顔。毒は入ってねーっつーの」

 神妙な表情のまま固まる月森に俺はそう言ってやった。

「ち、ちがう。そうではなくて……驚いてしまって……」

「はぁ? ただの野菜スープだよ。ガキのころ、俺が風邪引くと、決まっておふくろが作るヤツ」

「……へぇ、もらっていいのだろうか」

「アホか。わざわざおまえのために作ってきたんだろうが」

「君は言葉が悪いな。……でも、ありがとう。有り難くいただこう」

 嬉しそうに受け取る月森。そう言ってもらえればこちらも気分がいい。俺はトレイをテーブルに置くと、きびすを返した。

「ま、飲んで食ったら、眠れ。そんじゃな」

「土浦……もう行くのか?」

「あのな。たった今、食って寝ろって言ったところだぞ」

「……食べたら眠るから……その間だけでも……」

「おいおい、女子どもじゃねーんだぞ。まぁ、かまわないけどよ」

「す、すまない」

 スープカップを両手で押さえつつ、月森はつぶやいた。

 

「……おまえさ。最近ちょっとおかしくねーか?」

 具合の悪いときに持ち出す話題じゃないとは思ったが、俺はさりげなくそう言ってみた。話がこじれそうだったら退けばいいんだ。

「え……? 何の話だ?」

「自覚ねーのか。まぁ、そんなら俺がどうこう言うようなこっちゃねーんだけどよ」

「……土浦?」

「おまえさ。コンクールの前と後で、ずいぶんテンション違うぜ?」

「え?」

「コンクール中は……なんつーか、いいのか悪いのかしれねーけど、もっとこうシャンとしてたっつーか、ピリピリしてたっつーか……とにかく覇気があったんだよ」

「…………」

「でも、ここんとこ、ずっとボケッとしてんだろ」

「ぼ……ぼけ……」

『ボケッと』という表現が気に入らなかったのか、彼は同じ言葉を繰り返した。

「べ、別に……そうだろうか」

「ああそう見えるぜ。……そうそう。ほら、一度、俺が怪我して保健室でおまえに診てもらったことがあっただろう」

「え……あ、ああ」

 曖昧に頷く月森。なんとなく俺から目線を反らせる。

「あの後からずっと落ち込んでるよな、オマエ」

「い、いや、そんなことはない」

「そうか? ならいいんだけどよ。俺、あんまし気の付くほうじゃねーから。あのとき、なんかよけいなことでもしちまったんじゃないかと思ってさ」

「え、そ、そんなことはない。迷惑をかけたのは俺の方だ、土浦」

「ああ、送ってったことか? あんなの迷惑じゃねーっつーの。ダチならフツーだろ」

「……友だちか」

 しみじみと、味を確かめるように、月森がつぶやいた。なぜかその物言いは、苦そうでそんな表情をする理由が、俺にはわからない。

「さてと、具合悪いのにすまなかったな、変な話して」

 俺は月森の食べ終えた器をトレイに戻した。

「あ……」

「そんじゃ、とりあえず寝とけ。初日からへばってると後もたねーぞ」

「あ、あの!土浦!」

「あん?」

「あ、ありがとう……そ、その、とても美味しかった」

「だから言ったろ、家庭科の神なんだよ、俺は」

 ふざけてそう言ってやると、ようやく笑ってくれる。その様子を見て俺は部屋を出た。空になったスープカップと果物皿が心地よかった。