真夏の夜の夢<8>
 
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

「加地葵です。どうぞ、よろしく」

 そんな簡単な挨拶で、ヤツはあっさりと自己紹介を終えた。

 その日の夕食の席……遅れてきたビオラ奏者が、顔見せをしたのだ。

「あー、加地は、二学期からウチのガッコの生徒になっから。まぁ、近くに居たし、ちょうどいいかなってさ〜」

 ワケの分からない物言いで、説明らしきものを加えたのは金やんであった。

「近くに居たって……なんスか、それ? 説明不足でしょ」

 思わず俺は口を挟んでいた。実はさっき弓道場で会ったとき、妙に馬が合って、いろいろしゃべったのだ。

 多分、ヤツ自身も弓道の経験があるといっていたのが、とっかかりになったのだと思う。詳しい話を最初から俺だけ知ってて、他のヤツには知らさないって言うのも、なんだかフェアじゃないから、金やんに説明を加えて欲しかったのだ。

「ふふふ、確かに、土浦くんの言うとおりだね」

 口元に指を宛て、クスクス笑いをするのは、柚木さんだ。この女性的ともいえる、しなやかな仕草と、腹黒さのギャップが恐ろしい。

「あー、まぁ、そうだな。転校の願書は前に受け取ってたんだけどさ。そっちは忘れてて〜。一昨日、偶然、『下』で会ったんだよな。そしたら、コイツんちの別荘こっから近いって言うからさぁ。ちょうどいいかな、なんて」

「……ずいぶんといいかげんな話ですね」

 ツケツケと言ったのは、月森であった。本人を目の前にして、本当に空気を読まないヤツだ。

 金やんのいう『下』とは、下の街のことだろう。買い出しやもろもろの所用で行き来する場所だ。

 教師連中は、こんな山奥に大の男が居てもつまらないと言わんばかりに、夜間外出しまくりなのを、俺はちゃんと知っているのだ。

 しかし……月森の言い方だと、金やんじゃなくて、招聘に応じた加地までもを批判しているように聞こえてしまう。悪いヤツではないのだが、なんとゆーか、他人の気持ちを先読みする能力に欠けている……のか?

 いや、だが、俺の考えていることなどは、おかしなふうに読み違え、勝手にひとりで怒ったりなどするわけだから、まったく他人の気持ちを推察しないわけではないと思う。

 ……単にズレているだけということなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

「まぁまぁ、そういうなって、月森〜。ほらァ、二学期からさ、ウチのガッコの生徒になるわけだから、『親睦を深める』って意味でもありだと思うし」

 取りなすように言葉を加える金やん。そりゃ加地をここまで引っ張ってきた当人なのだから、フォローは必須だ。

「それに適当に決めたんじゃないぞ? 加地のビオラの腕は本物だからな」

「是非とも拝聴したいですね。我々のメンバーに加わってもらうのだから」

 月森〜……

 もう、ホンット……おまえ、どうにかなんないのかよ、その言い方。

 悪気はないんだろうけど、気の弱い女とかだったら泣いてるぞ? 

 もっとも、加地はそういうキャラじゃないらしくて、目の前のやり取りをどこか面白がって見ている節もあるのだが……まぁ、だから、俺なんかとも気が合うのかも知れないが。

「あ、いいですよ、俺、ビオラ持ってきてますし」

 悪びれなくそう応えた加地のほうが、月森よりも役者が一枚上らしい。

「ビオラは中学からだから、それほど自信はないんだけどね」

「中学……? だが、うちに転入してくるのだろう? それならば、相応の腕だと……」

「いや、俺は普通科に入るから」

 この話は、俺も初耳であった。

「何、おまえ、転入って普通科だったの? マジで?」

「あれ、さっき言わなかったっけ。クラスはまだ聞いていないんだけど、土浦と一緒だったら楽しいなァ」

 ビオラの準備をしながら、ヤツはそんな風に言った。     

「それにさ、星奏の音楽コンクールに土浦も出たんだろ」

「お、おう」

「それなら、別に俺が普通科に入ってもおかしくないじゃない。普通科だって音楽やれるんだし」

「まぁ、そりゃそうだけどよ……」

「ねぇ、日野さん?」

 食事前の短いやり取りで、すっかり打ち解けたふうの、日野に向かって声を掛ける。うーん、なんというか、如才ないヤツだ。

 俺にはとうてい真似できないが、柚木さんと違って裏表のあるタイプじゃないし、つきあいはしやすそうなキャラクターだな。

「……土浦。君はずいぶんと加地くんと親しいようだな」

 氷のような口調に、背筋がぞっとする。

 あのッ……スイマッセーン!!

 って、なんで俺、あやまりかけてんだよ!?

 っつーか、月森の不機嫌の理由がよくわからない。だが、ヤツは食事前からその最中に至るまで、ひどく苛ついているようで、出された料理も半分くらいしか手をつけていなかった。

 てっきり具合が悪いのかと思っていたんだが、どうもそういうことではないらしい。

「……俺たちはたった今、彼を紹介されたばかりなのに、君は顔見知りだったのか?」

「いや、違う違う。そんなんじゃないって」

 俺が口を開く前に返答を引き受けたのは、加地のやわらかな声であった。そしてその余裕ある応対がさらに月森の神経を逆撫でしたらしく、ヤツの眉間のシワがさらに深くなった。

「さっきさ、約束の時間より少し早く着いちゃったから、山荘のまわりをちょっと歩いたんだよ。そうしたら、弓道場で彼に会ってさ」

「そ、そう!そうだ」

 コクコクと相づちを打つ俺。にやりと意味ありげに微笑むのは保険医の梅田だ。

 ……ムカツクぜ。

「俺も弓はちょっとやってたことがあったから、意気投合しちゃってさぁ。でも、土浦、本当にいい腕してるよね。あんな綺麗な連射、ひさびさに見たよ」

「え……あ、い、いや」

「ステージの件も金澤先生に聞いたとき、正直ちょっと迷ったんだけど、仲間がいい人たちなら、せっかくの機会じゃない? それであらためて快諾させてもらったんだよ。土浦のおかげでなんだか楽しくなってきたし」

 屈託なく語る加地に、

「あ……いえいえ……そんな俺なんてアナタ……」

 と、ボソボソごまかして見せるが、周囲の連中は生暖かく見守ってくれているだけだ。

 ……たった一人ツンドラ気候の月森を抜かして……だが。