真夏の夜の夢<9>
 
 
 土浦 梁太郎
 
 

 

 

 その後、加地は屈託無く、皆と談笑すると、『ヴィオラ ソナタ第1ヘ短調』を軽やかに披露して、引き上げていった。

 明日から合宿に加わるということで、今夜中に荷物をまとめておくんだと。

 

 加地の演奏は、ヴィオラという楽器を十分に聴かせてくれて…… そりゃ、現役音楽科の月森なんかにはかなわないのかもしれないけど、演奏技術においても曲の解釈についても大きく引けを取るようには思わなかった。

 加地はちょっと日野に似ている。

 ヴァイオリンを始めて日の浅い彼女よりもずっとテクニックは上だろう。だが、加地も日野も楽器を謳わせる術を、自然と身につけているように感じるのだ。

 それは決して小難しい話じゃなく、加地も日野も音楽が好きで、自分の楽器を愛しているという、そういうことなんだと思う。……ちょっと照れるが。

 

  俺などもめずらしく甘いものなどを口に運び、のんびりとくつろいだ。あまり菓子などは好まないのだが、疲れたときにはいいものだ。

 そんなことを考えていると、おかわりのクッキーを皿に載せて、ちょこちょこと俺のとなりの席に志水がやってきた。

「ヴィオラっていい音だな。どっちかっていうと目立たないポジションだから、一本で聴くとすごく深みを感じる」

「はい。加地先輩の扱い方がいいんだと思います」

 半分居眠りしていそうな面持ちで、志水がつぶやいた。

「はっきり言って、演奏技術にはアラがあります。二カ所ミスがありましたし」

 え?そうなの?全然気づかなかった俺って……

「ですが、それを補って余りある、魅力的な演奏でした」

「ああ、そうだな。なんか楽しそうに弾いていた」

「即興であれだけ弾けるなら、十分アンサンブルのメンバーとしてやれるのではないかと思います」

「おう。ヴィオラは前々から欲しかったところだろうしな」

 

 

 

 

 

 

「なるほど、志水くん。君はそう見るんだな」

 ギャーッ! 月森! ……じゃなくて。

 ヤバイ……なんだか最近、こんな反応ばっかりだ、俺。

「彼の演奏は俺たちのメンバーとして好ましかった、と」

「はい。月森先輩は違うんですか?」

「……君は二カ所のミスに気づいたようだが、正確には三カ所だ。音程が上がりきっていない部分があった」

 どうも月森と志水は馬が合わないらしく、意見が食い違うことが多い。いっそケンカっつーか、口論レベルにでもなってくれれば対応も出来るのだが、冷たい面突き合わせるだけなので、割って入るのも難しい。

「そうでしたか。ですが、いい演奏だったとは思いませんか」

「アンサンブルでひとりのミスは致命傷になる。メンバーに入れるのなら、十分な練習が必要だろうな」

「それはそうですね。ですがまだ日にちがあります」

「ここで合わせられる回数は決まっている。夏休み後も協力が必要だろう」

「僕は全然かまいませんよ。加地先輩はヴィオラを楽しんでいます。そういう方は僕は好きです」

「まぁまぁ。ふたりとも」

 なぜか温厚なまとめ役っぽい立場になってしまっている俺は、なんか最近こんな役割ばかりだ。

「アンサンブルにヴィオラが加わるのは悪いことじゃないだろ、月森」

「それはそうだが……」

「演奏に厚みが出るし、転校生とはいっても星奏学園メンバーなんだから問題ないだろうよ」

「……金澤先生が、普通科に編入といっていたな」

「ああ。まぁ、別に科はどうでもいいだろ。俺だって普通科だし」

「そういうことをいっているのではない」

 苛立ちまじりの口調で、月森は俺の言葉を遮った。

「じゃなんだよ?」

 つい俺も不機嫌な物言いになってしまう。

「……クラスは?」

「は?」

「普通科での……加地くんのクラスだ」

「ああ、俺と一緒。2−5」

「…………」

 月森は口を一文字にキュッと結んだまま、ものすごいイキオイで俺をにらみつけてきた。

 ……なんでだよ。

「そうか……土浦先輩……加地さん、いえ加地先輩と同じクラスになるんですね。楽しそうだなァ」

「別に同じクラスだからといって懇意になるとは限るまい。君は同級の皆と親しいのか?」

「それは……そういうわけでは……」

「おいおい、何、志水につっかかってんだよ、月森」

 無愛想にそう言ってしまった後で、しまったと舌打ちする。どうも俺の物言いというのは、同じ事を言うにしても他の連中よりもきつく聞こえるらしいのだ。特に月森は慣れない共同生活でやや気が立っている様子なのだ。初日もほとんど食事が出来ず難儀した。

「俺は……」

「おまえ、ちょっと疲れてるんじゃないのか?晩飯もあまり食ってなかったしな。ほら、俺もそろそろ部屋に戻るから、おまえも行こうぜ」

「……わかった」

 渋々ながらも頷いてくれた彼に、俺はホッと安堵の吐息をついた。

 

 ……やれやれ。

 こんなんで無事に合宿が終わるのかよ〜。もうあんまり時間もないっつーのに。

 

 部屋に戻る途中、薄墨のかかった夜空に黒々とした浅間山が見えた。

 

 あ〜、浅間山様〜、どうか無事に合宿を終わらせてくだされ〜。特に人間関係系をよろしくお願いします〜

 ひっそりと心の中で祈りを捧げた俺であった。