真夏の夜の夢<10>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 

「オルァ〜、みんな、楽器差し出せェ〜」

 夕食後の一息タイム。

 のんびりと間延びした口調で、金やんが言った。

「……オッサン。アンタ、その言い方よせや」

「土浦、オメーも……っつーか、おまえは楽譜だけか」

「おう。ピアニストは楽なもんだぜ。っと、俺、志水の手伝ってくる」

 そう言い残して、小柄な後輩を促して、彼の部屋へ向かった。上級生は気配り気配り。

 長いようで思いの外短かった合宿も、残るところ今日を含めて、あと二日ばかりだ。

 昨日までは、新参の加地も含めてみっちり練習に励んだ。さすがといおうか、見込み通りといおうか、俺たちよりも練習時間の短かった加地であるが、この合宿期間中に遜色ないレベルまで追いついてくれた。

 普通科とはいえ、俺同様、楽器はずっと続けていたヤツなのだろう。たいていの曲は初見で弾けるようだし、曲のレパートリーもとても多かった。それに長く楽器に触れたヤツか否かは。もっと簡単に見分ける術がある。

 調弦の様子を見ればよいのだ。

 加地はまるで歯ブラシに歯磨き粉をつけるような動作で、調弦を済ませてした。月森も多少の不満はあろうが、彼の腕前を認めたのだろう。初日に辛辣なセリフを吐いただけで、それ以降はごく普通に(とはいってももともと無愛想な男だが)練習に励んでいた。

 さて、楽器を差し出せというのは、何も物騒な話ではない。

 練習は今日でおしまい。明日は丸一日、ゆっくりと気分転換せよという上からのお達しなのだ。

 楽器は、今夜、専門の運送会社が運びに来てくれ、それぞれの自宅に返却する手はずになっている。

 行きにも痛感したが、やはり楽器を持っての移動は大変だし、志水のチェロくらいの大きさになると危険でさえある。

 それゆえ、専門の業者に頼んで、一足先に、皆様の自宅にご返送という手はずになったのだ。それに、気分転換には、いっそ手元に楽器がないほうがいいという配慮もあるのだろう。

 月森などは手元に置いておいたら、いつまででも練習していそうなタイプだ。

 明日は丸一日、音楽抜きで、親交を深めあえ!と、まぁ、そんなワケである。

「土浦先輩……すみません」

「へ? ああ、気にすんなよ」

 チェロを抱えた俺に、後ろから付いてくる志水が声を掛けてきたのだ。小柄な志水だと階段はあぶない。さすがこの洒落た別荘にもエレベーターはついていなかった。

「……でも、楽器取り上げられちゃうと、練習、できませんね……」

 ポソリとつぶやく志水。こいつも月森に負けず劣らずの練習狂なのである。

「いや、金やんの心遣いだろ。もちろん、楽器もって帰るっていうのが大変なのはあるけど、明日一日、練習したくてもできなくなる」

「はい……ですから……」

「つまり、みんな、練習以外のことをして一日過ごすしかないんだよ」

 ニヤリと笑って、志水にそう言った。

「はぁ……」

「ま、学科も学年もまちまちの連中が集まっているんだ。金やんとしては親睦を深めて欲しいと……そんなとこだろ。教師ならフツーに考えそうなことだよ」

「ああ、なるほど…… でも、僕、土浦先輩との親睦は深まってますよね。先輩、やさしいもの」

「あ? いや、まぁ、そういわれると照れるんだけどよ」

 いやー、こういうところが『不思議くん』と女どもに言われる所以なのだろうか。面と向かっては照れくさくて到底告げられないようなセリフでも、何の躊躇もなく口にする志水。

 確かに本人の見てくれも、普通の人間というよりは宗教画に出てくる天使のようだ。

「先輩ありがとうございました。後は僕、運べます」

「ああ、だったら、廊下誘導してくれるか? 学校と違ってちょっと狭いしな」

「……ハイ。ありがとうございます」

 そういって、ニコッと笑った顔など、小動物のように愛くるしい。

 

 

 

 

 

 

「おーい、土浦。運び屋さん来たぞー」

 ようやく表に運び出すと、ちょうどよいタイミングで配達業者が来ていた。

 トランペットに向かって、バイバイとばかりに手を振っている火原先輩、ごく丁寧に「お願いします」と差し出すサタン……あ、いや、柚木先輩。

 月森などは憮然とした面持ちのまま、しぶしぶと差し出している。きっと、明日もまだ練習するべきだと考えているのだろう。

 まじめなのはいいが、アンサンブルには、メンバーのコミュニケーションだって大事なんだぞ。

「スイマッセーン、これ、最後ッス。あ、気をつけて頼むぜ」

 結局俺は、最後までチェロを運び終えてしまった。すでに運送屋が到着していたし、それなら志水より、俺の方が早いだろうから。

「ご苦労だな、土浦」

「お、おう」

 すれ違いざま冷ややかな口調で声を掛けてくる月森……

 何なんだよ、なんか文句あるっつーのかよ。俺はピアノで運ぶものなんざ楽譜くらいしかないんだから、後輩の手伝いをしてやるのはフツーのことだろうが。

「土浦先輩、ありがとうございました!」

「あ、ああ、いや……」

「おーい、土浦〜、せっかく降りてきたんだから、ゲームでもしようぜ」

 豪快に手を振り、子供のように大声で呼びかけてくる火原先輩。テーブルの上にはお菓子とジュース。

 もうすっかりただの旅行気分に切り替え済みの先輩だった。