真夏の夜の夢<15>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 

 

「あー、まいったな、こりゃ……」

 金やんが、いかにもうんざりとした声でつぶやいた。そりゃまぁな、ため息くらい吐きたくもなるぜ。

 だが、今は落ち込んでいても仕方がない。

 ひどい怪我人がでなかっただけでもよしとしないと。

「運転手さん。あの、どんな具合ッスか?」

「え……ああ、申し訳ない……こんな……」

「いや、アンタのせいじゃないッスよ。ちょっとついてなかっただけだ」

 責任感の強そうな若い運転手に俺はそう言った。

「……運転はもう無理だな。無線は……さっきから試しているんだが、つながったり切れたり……」

「本体がぶっ壊れているような感じはありませんよね」

 そう、土砂に突っ込んだにもかかわらず、フロントはガラスが砕けたくらいで、運転席から火が出ることもなかった。

「ああ、無線自体よりも……雨と風のせいで電波が……」

「しばらく試してみますか?」

「おい、つっちー。どんな具合だって?」

 教師連中が訊ねてきたのに、俺は端的に状況を説明した。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、みなさん、気をつけて」

 若い運転手はまるで刑務所の刑務官のように、直立浮動してそう宣った。

 けっきょくバスを動かすのは無理という結論に達したのだ。運転席には大きな損傷はなかったものの、正確に確認する術もなかったし、前方を埋める土砂をどかすのも無理だ。

 そこで、運転手はこの場に残り、無線で救助要請をするというので、現場は任せ、俺たちは先に進むことにした。

 理由はここから山荘に戻るのは距離的に不可能であるということ、ここからの道は下りだし、麓までの距離の方が遙かに近いということだ。

「こうなると、荷物を先に送っておいたのは正解だったね」

 と、オレと同じようにボストン一個を引っかけた加地が言った。

「ああ、まぁな。チッ……参ったぜ」

「ひどい怪我人がでなかっただけでも、不幸中の幸いじゃないか。よかったよかった」

「……おまえ、超ポジティブシンキングだな」

「あ、それ、よく誉められるんだよ」

「誉めてねーっつーの!」

 ビシィッ!と大阪人並の突っ込みを入れてやると、いつから側にいたのか、ちっこい冬海がクスッと笑った。

「あ、冬海さん、大丈夫? 怖かったよね」

 と、そつなく話しかけるのはもちろん加地。俺など簡単に慰めことばなんか思いつかない。

「あ、はい……あ、あの……土浦先輩、さっきはありがとうございました」

「え……? 別に、俺は何も……」

「さっき……声を掛けてくださって……すごく安心しました。う、うれしかったです……」

 そういうと、小柄な下級生は、真っ赤に頬を染めてしまう。

「あ、いや、その、悪ィ……俺、あんまり気配りできるほうじゃねぇから」

「いいえ…… は、春のコンクールのときから、ずっとお話したかったけど……機会がなくて…… それなのに、心配してくださってうれしかったんです」

「冬海……」

 エエ娘やぁぁ!

 とまたもや、関西風に叫びたくなってしまったが、さすがにイメージダウンにつながりそうなので、ここは上級生らしく、グッとこらえる。

「いや、本当におまえに怪我なくてよかったよ。雨はやまないし、しばらくしんどいけど、すぐに戻れるからな。頑張って歩こうぜ」

「ハイ、先輩」

 けなげにも微笑み返してくれる冬海。ああ、やっぱ後輩って可愛いよな、男女の別なく。特に、俺なんて普通科の女にも怖がられている有様だから、冬海みたいな女の子に、こんなふうに思ってもらえていたことがわかったのは、もう本当にうれしかった。

「うーん、やっぱり土浦はいい先輩だねェ。でも、これからは僕も星奏学園の先輩になるから、何でも頼ってよね、冬海さん!」

「え、あ、は、はい……あ、ありがとうございます、加地先輩」

 ちゃっかりしたヤツめ!

 まぁ、だがこんな場面には、これくらいの救いはなくてはな。

 一応、全員無事とはいえ、乗ってきたマイクロバスはおじゃんだし、麓までは歩いて行かなければならない。雨も出かけほどではないが、相変わらず勢いよく降っている。傘なんかでフォローできるレベルではないのだ。


 第一、土砂崩れが起きたってことは、地盤がゆるんだ箇所があるのだろう。……そいつが気になる。

 別荘のおばちゃんが配ってくれた雨合羽が唯一の救いだ。

 そいつを羽織ると、俺たちはバスの中から、おのおの荷物を取り出した。事前に楽器を戻しておいたのは、まさに神の采配……ではないが、ラッキーであった。土砂崩れの衝撃で運良く壊れなかったとしても、この雨の中、楽器を持っての徒歩移動は不可能だろう。

 

「ねぇねぇ、土浦! これどうする?」

 バスの後部座席で火原先輩が俺を呼んだ。彼も小さなナップザックひとつの超軽装だ。

「え? ああ、そうか……どうするっスかね」

 預かってしまった弓矢と、誰かさんのゴムボート。

 俺はちっこいスポーツバック一個だし、持って行ったほうがいいだろう。ゴムボートは迷ったが、小さく折りたたんである状態だし、なんとなく放置していくのははばかられた。たぶん、このままここに置き去りにすれば、処分されてしまうに違いないから。

「いいッスよ、荷物ないし、俺が持って行きます」

「そうする? じゃあ、俺がナップにボート入れるよ。この大きさなら余裕で入るし」

「すいません、頼みます。弓矢は俺が運びます」

「うん。やっぱ、ココ置いていったら、捨てられちゃうと思うから」

 と、火原さんは言った。彼のこういう性格はとても好ましいと思う。

「あーい、おまえら、そろそろ行くぞ〜!」

 未だ、バスの中でごちゃごちゃやっていた俺たちに、金やんが声を掛けてくる。

 もはや濡れるのは覚悟の上、もう一度、しっかりと雨具のボタンを留め直し、俺は山道へ降りた。