真夏の夜の夢<16>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 歩くこと約2時間……あんなに早い時間に山荘を発ったのに、時刻はもはや余裕で昼を回る。

 土砂でダメになったバスをあきらめ、俺たちはひたすら山道を下ったのだ。

 

 この辺りになると、道はコンクリートで舗装されてはいないが、獣道のような緩急はない。ひたすらなだらかな下りなので、女の子たちにも負担は少なかったと思う。

 だが、相変わらず雨は止まず、とにかく一刻も早く外部と連絡のとれる麓に降りられることを願っていた。

 

 ……人間観察が趣味というわけではないが、いわゆるこういった『逆境』のときって、人間性がよくわかると感じる。

 たとえば、サタン……いや、柚木さんなんて、普段はアタックかましたら、どこまでも吹っ飛んでいきそうなヤワいキャラなのに、意外にも元気でしっかりとしている。

 まぁ、この人は基本サタンなので、芯は強いんだろうけど。

 火原さんは普段とあまり変わらない。もともと裏表のないキャラクターなんだと思う。雨が鬱陶しいと盛大にため息を吐き、傷に染みると金やんに泣きつく。

 それに飽きるとポケットからガムを出してモゴモゴと風船を作っているのだ。……いや、少しは緊張しろよ、先輩……

 一年と女子連中が心配なところだが、冬海が落ち着いてくれたせいで、周りも安堵した様子だ。この状況に不安はあるだろうが、怪我もなく、しっかりと歩いている。小柄な志水も思いの外タフだった。

 加地は……なんというか、見たまま、だった。

「まいったなぁ」

 などといいながらも、歩いて行かねばならないとなると、さっさと身支度を済ませ、さくさくと足を進めている。

 ……まだ付き合いが浅いせいもあるのだろうが、つかみ所のないヤツだ。わりと率直にものを言うのかと思えば、腹の中でもいろいろ考えているタイプ…… だが、やはり己の考えはしっかりと口にできるヤツだ。

 月森は……ああ、こいつはなんてわかりやすい野郎なんだろう。

 さっきのショックが落ち着いていないくせに、気丈な態度で黙々と歩いている。ビンビンにテンパっているのが周囲に悟られているから、誰一人としてヤツに話しかける人間はいない。

 パニックに陥った人間が、叫び出す直前というか……そんな様子で張り詰めているのだ。

 

 やれやれ……なんとかこのまま無事に麓に着ければいいのだが。もしくはバスの無線が復活して、救助が来てくれればいうことはない。

 

 しかし、ものの数十分後、そんな俺の期待は、あっさりと裏切られたのだ。

 その光景を眼前にしたとき、月森ではないが、本気でパニックに陥りそうだった。

 

 

 

 

 

 

 ゴオォォォォという、うめき声のような轟音。

 まるで地底にうごめく悪霊が放っている叫びのようにも聞こえた。

 

 俺たちが橋へ到着したとき、すでにそこに『橋は無かった』。

 鉄柱を金具と巨大なロープで渡していた「橋であったもの」は、跡形もなく消え失せ、かつてのなごりである、両端の固定部分の跡のみが哀れにも取り残されていた。

 河が増水していることは予測していたが、この状況は想定外だった。

 だが、おそらく橋は、直接河の流れにやられたわけではなかろう。金具の固定部分を見れば一目瞭然だ。その高さまで浸水していないのだから。

 流水はひどく濁っている。もとはあれほどに澄んだ河だったのに。

 

 ……となると……

 

「金やん! 梅やん!」

 俺は傍らに立ちつくしていた教員連を呼んだ。

「土浦……?」

「おい、見ろよ、橋の両端を固定した部分だ」

「え……あ、ああ、なんだ?」

 さすがに図太い教員連も参っているのだろう。緩慢な動作で、言われるがままに俺が指さした場所を確認した。

「あそこ、留め具の形に残っているだろう?」

「あ、ああ。だがそれがどうしたんだ」

「いいか?ってことは橋を落としたのは河の流れじゃないんだ。もし、水が一時的にでもあの高さまで浸食したなら、土の部分があんなにくっきり跡を残しているわけないじゃんか!」

 俺の言葉を正確に理解しようと、金やんがゆっくり何度も頷く。

 いつの間にか、他の連中が俺の後ろに集まってきていた。もちろん、真っ青な顔をした月森も。

「だが、土浦。じゃあ、いったい何が橋を落としたってんだよ!? そりゃ超頑丈な橋って雰囲気じゃなかったけど、普通に車が行き来していたんだぞ? 俺たちだって、行きに通ったじゃねェか?」

 梅田が覆い被せるようにそう言った。それに答えて野郎としたとき、ぶつぶつと独り言のような言葉が聞こえた。

「……違う。ああ、そうか、わかった」

 謎めいた独り言は加地だった。

「加地?」

 と、金やんが彼を促す。

「落ちたのは橋の中腹からじゃないんですよ。両端の道に固定されていた部分がゆるんで、橋を支えきれなくなったんだ」

「支えきれなくなった? なんで……どうして……」

「土浦が説明してくれますよ」

 すました顔で加地が言った。それでも青ざめて見えるのは、やはり、今現在がどれほどせっぱ詰まった状況にあるのかを理解しているのだろう。

「加地のいうとおりなんだ。橋は両側の固定具が保たなくなって落ちた……さっき土砂崩れがあっただろ?」

 俺がそう言うと、皆一斉に頷く。いいニュースじゃないのに、そんなに注目して聞かれると苦しい。

「今、浅間山一帯で、規模はまちまちでも、ああいった土砂崩れや崖崩れが頻発しているんだと思う。さっきから、何度も地鳴りを体感してきたじゃねぇか?」

「……ああ、君のいうとおりだ。いや、さっきの事故の時点で、もっと早く考えるべきだったんだ」

 比較的冷静な柚木さんが後を引き取ってくれた。

「この周辺一帯の地盤が、もう保たなくなっている可能性が強いな…… 土浦くんたちが気づいた橋の固定部分を見ても明らかだよ」

「……やっぱり、そうッスよね」

「うん…… 言いにくいけどね。土砂崩れや崖崩れなんかがおこれば、必然的に地盤が大きく揺れるじゃないか。地震みたいなカンジでね。あの留め具は何度も地盤を揺らされて、金具が外れて落ちたんだよ」

 

 ……シン……と辺りが静まりかえる。

 

 ただ、雨の音だけが、ザァザァと、俺たちを急き立てるように聞こえてきた。