真夏の夜の夢<17>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 

「おい、みんな、呆けている場合じゃねぇぞ。なんか対策考えないと」

 俺は、あえて声を励まし、そう言った。

 で、なければ、重苦しい沈黙で、それこそ皆押しつぶされそうだったから。

 雨は大分落ち着いてきてはいる。だが、これまでの雨量がハンパではない。

 もともと地震の多い地域だし、ここは、山の中腹なのだ。我々の立ち位置の傍らにも、すぐさま急な崖がそびえたっている。

 

 ……もし、ここで土砂崩れでも起きたら……?

 

 俺は思わず身を震わせた。

「……なぁ、土浦」

 崖を見上げ、さらに俺たちが下ってきた泥道を眺めつつ、加地が声を掛けてきた。

「なんだ?」

「思うんだけど…… これ、なんとか川、渡れないかな」

 とつぶやいた。

「オイオイオイ、とんでもないこと言うな、加地ィ。渡るってどうやって向こう岸に辿りつくんだよ。そう深くはないといっても、川の流れは速いし、橋は完全になくなっちまってんだぞ?」

 と、金やん。

 そう、まさにそのとおりなのだ。行きにバスの窓から眺めた澄んだ水面が、今は激しい濁流と化し、ゴゥと音を立ててうねっている。

 遠目に対岸のぶっとい松の木は見えるが、ごく普通の状態であってとしても、川の流れに逆らって、あそこまで泳ぎつくには骨が折れそうだ。

 

「ええ、わかってますけど…… じゃあ、せめて場所を移動するとか」

 と、加地はためらいがちに、そう応えた。

「いや……もう、こっち側に安全な場所なんてないんじゃないかな」

 冷静な口調で、そら恐ろしいことを口にしたのは、柚木さんだった。だが、実のところ、俺自身、柚木さんと同じ意見だったのだ。

「……ええ、柚木先輩のいうとおりだと思います。このまま浅間山が大人しくしてくれていればいいんですけどね」

「ど、どういうことだよ、土浦」

 火原さんが、まさにおっかなびっくりという様子で訊いてきた。

「さっきから何度も地震があるでしょう? 体感できるレベルでも、十回じゃすまない。もし、このまま雨が止まず、大きな地揺れがあったとしたら?」

「も、もったい付けた言い方すんなよ、どうなるんだよ、土浦!?」

 いや……さすがに先輩なんだからさ。ノーミソ使って考えてくれよ。

 俺はただでさえ、神経を張り詰めている月森や、女子を動揺させたくなかった。

「……火原先輩。少し前まで俺たちが乗ってきたバス…… ああいったことが何度でも起こるだろうと、土浦は言いたいんですよ」

 独り言のようにつぶやいたのは、月森だった。そう答えているヤツ自身が今にも卒倒しそうに青ざめている。

「えぇ!? マジで!? だ、だって、さっきの土砂崩れ、バス潰しちゃったんだよ! あんなのに呑み込まれたら……」

「そうです。この場所だって、両脇が切り立った崖のようになっている。堅い鉱石ではなく泥層だ。本格的な揺れさえあれば、いつ崩れてきてもおかしくありません」

「し、志水くん……」

 場違いなほど冷静に、一年の志水が言った。

 まるで、それを合図としたように、再び重苦しい沈黙がズンと落ちてくる。

 だが、今回は、すぐさま静寂はやぶられることとなった。

 

 

 

 

 

 

 ズッ……ズズゥン

 文字に書き起こすならこんな感じだろうか。

 ああ、今、思い起こしても、冷や汗が背中を伝わるような気分だ。

 

 途方にくれつつも、必死に思案していたその時……

 俺たちの足下で、巨大な蛇が…… もとい、オロチがのたくったような感触であった。

 ぐぅんと地面がうねり、悲鳴を上げる間もなく、ピィィィ!という、列車の汽笛のような音が耳を劈いた。

 

 一斉にその物音のほうを眺める。

 そして、今でも信じがたい情景に、俺は言葉を失ったのだ。

「……なッ……!?」

 

 浅間山が……

 浅間山が紅く燃えている……!?

 

「バ、バカな……」

 とつぶやいたのは、教師連中だろうか。

 俺は、それこそ漫画のように、ごしごしと両目を擦ってみた。

 

 そう、実際『バカな』であった。

 まさか、生きている間にこんな光景を見ることがあるなんて…… こんな切羽つまった状況なのに、俺はまだ夢なのではないかと呆けていた。

 

 ピィィィィ!!

 

 甲高い音がふたたび鳴り響く。

 ようやく正気に戻れたのは、その二度目のときであった。

 

「なに……あれ……? なんの音……? ピィィィって?」

 火原さんは不安げにつぶやく。

 低い地鳴りは、じわじわと足下を伝わってくる。そして悲鳴のようにも聞こえる高い音。

 

「あ…… あれ…… 雨じゃなくて、雪が降ってる」

 志水が髪に落ちてきた白いものに気付いた。 

 まさか、この季節に雪が降るはずなどあり得ない。だが、雨の収まった濃鼠色の空からは、なにやら白っぽいものが舞い落ちてきていた。

「土浦先輩。ほら、雪みたいでしょ?」

 夏場にそういった志水のセリフは、まったく頓珍漢ではなかったのだ。