真夏の夜の夢<23>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 

「金やん、梅やん、ボートは?」

 俺は用の無くなった弓を手放すと、さっさと次の段階へ移ることにした。時間が経てば経つほど危険が増えるのだ。

 こうしていても、先ほどより濃い煙が、辺り一面を取り巻いている。

「おう、ボートは新品だからな。問題なくばっちりだ」

 金やんはそういうと、灰に埋もれないように奧に仕舞っていたゴムボートを取り出した。

 ふたりがかりでだ。

「けっこうデカイな。とりあえず、二人乗りだな」 

 ごしごしと触ってみるが、なかなか丈夫なつくりだ。ゴムのオールも着いているが、この流れでは使えない。

「土浦、ロープを向こうの松に、完全固定した方がいいだろう」

 加地が言った。ヤツにはこれから行う避難方法がわかっているのだろう。

「もちろんだ。だが、その前にみんなに説明しておこう。いざとなって怖がられても他に方法はないんだから」

 俺はそう言った。加地はひとつ頷くと、

「みんな、ちょっと説明するから。話聞いてくれる?」

 と、皆の注意を促した。

 

「これから交代であの川を渡る」

 俺は端的に言い切った。

 女子は顔色を失ったが、矢を射たときから、それしか方法がないのは覚悟していたのだろう。騒ぎ出すようなヤツはいなかった。

「その方法をこれから説明すっから。時間もないし、怖くてもやらなきゃ仕方がないんだ。だから……ええと、悪ィ、加地、頼む」

 と、俺は傍らの野郎に譲った。ぶっちゃけ、俺は説明下手だし、加地の方が皆の不安を上手くそらせると考えて。

「ああ、うん、それじゃ、説明するね。土浦がこちらと向こう岸を弓矢でつないでくれたから、これから俺が向こうへ泳いでいって、ロープをシッカリ松の木に固定させてくる。そうすれば、あのロープだけは、なにがあっても流されたりしない命綱になるからね。完全に固定した後、ボートの、前と後ろに男ふたりがついて、二人ずつ乗せて対岸へ送るから」

 シ……ンと静まりかえる。

 川の流れはいっこうに収まらない。命綱があるとはいっても、たやすいことではないだろう。

「えーと、なにか、質問、ある?」

 と加地は、ヤツ独特の物言いで訊ね返した。

 いっさい返事はない。不安げに顔を見合わせているが、もはや他に術がないのは嫌というほどわかっているのだろう。

「じゃ、さっそく取りかかろう。土浦、俺、ロープ固定させに行ってくるから」

 気負う様子もなく加地は言った。

「おい、ちょっと待てよ。俺が行くから」

 俺はヤツの腕をとってそう告げた。

「何言ってるんだ。土浦は疲れてるだろう? 大丈夫、こう見えても泳ぎにはちょっと自信あるから」

「お、おい、だが、大分流れは速いぞ?」

「もちろん。そのための命綱だろ」

 そういうと、加地はさっさと上着を脱ぎだした。

「おい、ちょっと待てや、加地。ここはやっぱし教師の出番だろ」

 割って入ったのは金やんだった。

 ……いや、悪いけど、オヤジの出る幕じゃねェ。実際体力的には、俺か加地か火原さんかといったところなのだ。

「いやいや、金澤先生の出番はもっと後ですよ。女の子たちを乗せて向こう岸に渡すときには、守り役頼みますから」

 へらへらと笑って流す加地。この辺の受け答えはもう才能なんだと思う。きっと俺に声を掛けられていたとしたら、ハッキリと、

『どう考えても、体力的に俺らの仕事だろ』

 と遠慮会釈なしに告げていただろうから。

 

「加地……」

「大丈夫だって。案外心配性なんだな、土浦」 

 上半身裸になった加地は、思いの外、出来た身体をしていた。

 ツラを見ればわかるように、筋肉ムキムキタイプではない。

 だが、どちらかというと細身の身体に、しなやかな筋肉が付いていて、とてもバランスのよい肉体をしている。スポーツをしている俺としては、けっこう同年代の野郎は気になるのだ。

「ヤダな〜、なにジロジロ見てんだよ、土浦のエッチ」

「ア、アホかッ! 俺は心配してんだよ! でも、まぁ、思ったより鍛えているみたいだな。……じゃ、頼むわ。ロープはシッカリ固定しろよな」

「もちろん、わかってるさ」

 

 

 

 

 

 

 ヤツは金やんに借りた登山用の革手袋を装着し、水に入った。

 こちら側のロープは、岩に固定されているから、外れる心配はないのだが、ついグッと握りしめてしまう。

「土浦先輩…… 加地先輩は大丈夫でしょうか?」

 不安げに訊ねてきたのは志水だった。

 俺も、離れてゆく白い身体をじっと見守った。やはり急な流れで何度も足を取られそうになっている。

 だが、打ち合わせ通り、脇にロープを抱えるような形で移動しているので、今のところ危なげなく動いているが……

「土浦先輩……?」

「ああ、大丈夫だよ、志水。加地は自信がないことなら、自分から言い出しゃしないだろう」

「そう……ですよね。でも、やっぱり先輩たちはスゴイや。僕、ひとりでこんな目に遭ったとしたら、きっともう……」

 ぶるりと子犬のように身を震わせ、両手で自分の身体を抱きしめるように縮こまった。

「おいおい、縁起でもないこと言い出すなよ。大丈夫、必ず助かるから」

「土浦先輩…… 先輩がそう言ってくれると……僕……」

 やはり弱ってしまっているのだろう。

 無理もない。志水は小柄だし、どう見ても体力が有り余っているタイプではない。こんな状況に長く置いてはおけない。

「大丈夫だって。な? みんな居るんだから。ちゃんと家に帰れるさ」

「はい……」

 寄り添ってくる細い肩。本当に小さな背中に腕を回し、赤ん坊を宥めるようにポンポンと叩いてやった。

 と、その時。

「志水くん! 土浦はひどく消耗しているんだ。我々はまともな手助けができないのだから、せめて彼の負担になる発言は避けるべきだ」

 ツンドラのような冷たい物言いは、お約束のように月森だった。

 どうしてこいつはこんな言い方をするのだろう。

「おいおい、月森。一年が不安になっても当然だろ? 俺は全然気にしてないぜ」

「君は……! 人がいいにもほどがある! あんな大役を果たした後なのだから、静かに休んでいたいはずだ。それゆえ、俺は敢えて遠慮したのだ。思慮深くな」

 いや……むしろおまえの方が遙かに負担になってるよ……

 自分で『思慮深く』と胸を張るようなことか? しかも一年相手に……

「じゃあ、ほら、月森もこっちに来てロープ掴んでろよ。せめて俺らで加地の無事を祈ってやろうや」

 すでに川の半分当たりまでロープ伝いに進んでいる加地。女子や教師どもが必死に声援を送っている。

 加地……今回、おまえが飛び入りしてくれて助かったよ…… ぶっちゃけ実働部隊が、俺一人だったら、どうなっていたことか。

 

 月森は、不満顔の志水を押しのけ、俺に言われたとおり、ロープを握った。

 双眸を綴じ合わせ、集中する。本当に祈っているのだろう。

 見栄え良く整った顔は蒼冷めている。

「大丈夫だよ、月森。さっきも言ったけど、加地は自信があるから引き受けたんだ」

 俺も彼のとなりに腰を落とし、一緒にロープを掴んで……

 

 ……そして、祈った。

 加地が無事に向こう岸にたどり着くのを。