真夏の夜の夢<27>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 

「三人とも身を伏せて。補助帯があるから、そいつをしっかり掴んでいてくれ」

 俺の指示に従って、柚木さん、志水、月森の三人はボートに乗った。

「よし、行くぜ。オッサン、準備OKか!?」

 ごりごりと肩こりを治している金やんに声を掛ける。

「あー、わかってるよ。行けるぜ」

「火原さん、加地、平気か!?」

「おう、早く行こうぜ、土浦!」

「うん、俺も大丈夫。ああ、志水くん、身を起こしちゃダメだよ。移動し始めたら、もっとひどく揺れるからね」

 下級生を気遣う余裕を見せるのは、気配り屋の加地だ。

「月森、手に気をつけて補助帯をしっかり掴んでいるんだぞ。いいな?」

「……手に気をつけてって……その言葉はそっくりそのまま君に返してやりたい。君はピアニストなんだぞ? もし、万一……」

 くどくどしく説教をしようとする月森。俺はその先を制して黙らせた。

「いいから。俺は大丈夫だって。未だにサッカーだって続けてんだしな。大丈夫、必ず無事に帰れる」

「あ、ああ……」

 不安げな月森らを乗せて、俺たちは最後の渡河を始めた。

 心なしか川の流れが速くなっているような気がする。ああ、いや……変わらないか。たぶん疲れがそう感じさせるのだろう。

「よし、行くぜ!」

 それでも、しっかりと気合いを入れ直し、俺たちは出発した。

 さすがのサタンも神妙に補助帯につかまってやり過ごしている。もちろん、小柄な志水も。

 行くぜ、サッカー部レギュラー部員の底力を見せてやるぜ!

 

 

 

 

 

 

 濁流が俺たちに襲いかかる。

 きっと天から眺めたら、このボートは巨大な流れに身を任せる枯れ葉のように見えるだろう。

 だが、それこそ本物の葉っぱのように流されるわけにはいかない。向こう岸に辿りつかなければならないのだ。

 急激な流れに翻弄されながらも、俺たちは必死に前へ前へと進んでゆく。

 

「くっそォォォ〜! みんな、がんばれーッ!」

 俺は自分を励ます感覚で皆に声を掛けた。

「大丈夫だ! 後、半分ッ!」

 クソッ……金やん、後半分とか言うなよ……まだ、半分までしか来てねーのかよ!

 

 ドドドド……! ザッパァン!

 

 怒濤のごとき、水のうねり。叩き付ける水流はまるで波濤のようだ。

 俺たちは何度も何度も、頭から水を浴び、必死に流れを掻き分けて進んだ。

 

「うわッぷッ!」

「ひ、火原さんッ!?」

「だ、大丈夫、ちょっと水飲んだだけ!」

 クソ、火原さんだけじゃない。俺も大分疲れてきている。もちろん、後ろを守っている加地や金やんだってそうだろう。

 もうちょっとだ、もうちょっとで……

 

「土浦ッ! 流木だ!」

 鞭のような厳しい声を上げたのは、右後方を守っている加地であった。

「急げッ!」

 なだらかな斜面になっている河上に、黒い物体が引っかかっている。土砂崩れで頽れ、川にずり落ちてきたのだろう。巨木ではないが、勢いに乗って流されてきたら大事になる。

 それは多分、ツルが川縁に引っかかっていて、非常に危ういバランスで、流れに身を任せていた。

 かろうじて引っかかっているだけの、ツルが千切れたら、そのままこちらに向かって流れてくるだろう。

「急げ、土浦!」

 金やんが声を上げた。

「火原さん、大丈夫ッスかッ!?」

「う、うん、いける〜! がんばろぉ〜」

 こんなやり取りをしている間でさえ、ひっきりなしに頭から水をかぶり、息継ぎさえ厳しい状況であった。

 

 だからこそ……

 そう、だからこそ、このような状況で発生したトラブルを誰かのせいにするべきではないのだ。

 俺たちが必死にボートを引っ張って進んでいる最中、火原さんの腕から補助帯が滑ってらしい。正確には、水によって二の腕から滑り、ずるりとずれた、ということだ。

 四方を四人で支えていることから、一カ所の力点が崩れると、一挙にバランスを失う。

 ましてやこの急流の中、だ。

「うわッ!」

 火原さんの真後ろのポジションであった加地が、バランスを崩して、つんのめるように水の中に上半身を埋めた。こうなると、もちろん金やんだとて耐えきることはできない。

 必死に堪えるが、ボートはぐんと引き連れるように傾いだ。

「クソッ! 金やん、がんばれッ!」

「ぐおぉぉぉッ!」

 ボートをひっくり返しては一巻の終わりだ。こんな濁流の中に命綱もナシに叩き込まれたら……

 だが、浮力の強いゴムボートは、わずかな力のバランスが崩れても、まともな体勢を保つことはできなかったのだ。

 

 このとき、ヤツが落ちたのは単に不運だったのだろう。ボート内で、一番後ろに伏せていた彼が……

 叩きつける波で、一瞬大きくボートが浮き上がったとき、まるでスローモーションのコマ割りのように、月森の細い身体が空に浮いた。

 細い髪が、水気を吸って束のようになっていて……彼の身体が傾いでいくのに合わせ、弧のような軌跡を描いた。

  

 本人にも何が起こっているのかわからなかっただろう。

 そのまま、急流の中に叩きつけられる。

「月森ッ!」

 加地の叫び声が妙にリアルに感じた。

 月森は悲鳴を上げる間もなく、ゴォォォとうなりを上げる濁流に呑み込まれていった。

 俺は惚けたようにその場面を見守り…… そして彼が沈んだ場所へ、身を躍らせたのであった。

「土浦、よせ!」

「土浦ッ!」

「先輩ッ!」

 いくつかの声が、背中を追いかけてきたが、ほとんどなにも考えずに、俺の身体は動いていた。