真夏の夜の夢<28>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 

 それからのことは……

 まぁ、今、俺が生還しているわけだから、『体験談』として語れるわけなのだが。

 ところどころ記憶が飛んでいたり……特に、どうやってあの濁流の中から、人ひとり抱えて這い上がることができたのか、自分自身でもよくわからない。

 

 それに……なんというか、月森には悪いんだけど、彼が落ちたから、救いだそうとしたというよりも、ほとんど条件反射で、こぼれ落ちたものを拾いに行ったという感覚であった。

 だから落ちてしまったのが彼ではなく、そこらのワンコ一匹でも、俺の身体は反応したと思う。

 

 ボートから投げ出された月森の身体は、水面に浮くことすらなく、あっという間に暗く濁った川底に呑み込まれたのだった。

 俺は必死に水をかき分け、月森を捜したのだが、それは容易なことではなかった。

 そのときは気が動転していて、なんとか水面に彼の姿を見つけようと、それこそ怒濤のように襲いかかる波に逆らって泳ごうとしていたのだから。

 さすがの俺も体力が続かない。

 水かさの増した川の表面は、下手をしたら高速道路並の勢いで……どれほど必死に手繰っても、長く浮いていられるものではなかった。

 

 俺は体力の回復と、身の危険を回避しようと、大きく息を吸い込み、いったん水中に潜った。

 水中は表面と違って、流れが遙かに穏やかなのだ。

 よくよく考えて見れば、ごく当然のことなのだが、パニックに陥ると、人間は『ごく当然のこと』ほど失念してしまうのである。

 それゆえ、その点に気付けた俺は、比較的冷静であったと思う。

 もちろん、これからどうなるのかもわかっていなかったし、月森のこともあるが、俺自身の置かれている状況が、相当程度危険な状態であるという自覚はあった。

 

 

 

 

 

 

(……月森……ッ!!)

 そう、このとき水に潜り込んだのは、まさに正解だったのだ。

 ゆるやかに渦巻く水中に、月森の細い身体が揺らいでいた。

 どうやらヤツは、濁流に取り込まれた後、すぐに気を失ったようだ。それゆえ、水面でもがくこともなく、水流の緩やかな川底に漂っていたらしい。

(……月森!)

 俺は潜水の要領で、必死に彼のほうに向かって泳いだ。

 水面よりは、衝撃などの危険は少ないとはいえ、一刻も早く地上に上げて、呼吸を戻さないと危険だ。

 ヤツは完全に脱力した状態であり、意識を取り戻して自発的にこちらに泳いでくるという期待は抱けなかったのだ。

 長めの前髪が、せわしなく揺らいでヤツの顔を隠す。失神しているにしても、ツラを拝めれば、こっちとしても多少気持ちが楽になるのだが。いや、もちろん苦痛にゆがんでいないという前提の元でだ。

 

 なにより、月森のところまで辿り着くのが大変であった。

 緩やかな流れは、水面と違って一方向ではない。水中はゆったりと渦を巻くような流れがあったり、大きく押し流した後、引き戻すような動きがあったりだ。

 今、思い返せば、月森を捜すことよりも、捕まえることのほうが遙かに難しかったといえる。

「ぐっ……」

 必死に手を伸ばす。

 歯を食いしばると、ぼこぼこと水疱が顔を撫でていった。

 ようやく月森のシャツに指が引っかかった時、思わず歓声を上げたくなったほどだ。ああ、いや、もちろん水の中で口をおおっぴらに開けるような愚行は行わないが。

 指先をかぎ針のように曲げ、なんとかヤツの身体を引きよせる。幸い、月森は無抵抗なので、水の揺らめきを利用してそれを行うのは、さして難しいことではなかった。

 長身だが、細身の月森。こんなときだが、こいつがこの体型でよかった!

 そりゃ、まぁ、志水みたいに、ちっこくて細ければ、さらに楽ではあったが、アキバにたむろっている巨漢デブ系であれば、このレベルの苦労では済まなかっただろう。

 月森の身体をしっかりと抱き込み、俺は気合いをいれて水面に浮上する。

 もちろん、十分過ぎるほどに注意をしつつだ。何度でも言うが、現在水面は高速道路なみの水流なのだ。

 周囲の様子を確認するのに、何度か顔を出し、潜ることをくり返す。

 あたりまえだが、みんなの姿は見えない。大分川下に流されたであろうから、当然のことだ。別に動揺する必要はない。

 今は何とか……そう、何とかどこか岸に這い上がって、月森を介抱することだ。水はたいして飲んでいないかも知れないが、一刻も早く息を吹き返えさせねば……!