真夏の夜の夢<34>
 
 
 月森 蓮
 

 

 

 

 ドッドッドッ…… ドッドッドッ……

 深夜だというのに、何の音だ……? すきま風の忍び込む釣り人小屋とはいっても、まるで耳元に響いてくるような……

 ……ああ、いや、俺の心臓の音か……

 うかつだった。

 

「ハァッ……ハァッ……」

 土浦の荒い吐息で、別世界へ飛んでいきそうな。おのれの精神の安定を図る。もっとも、『安定を図ろうと努力する』レベルであって、彼とふたりきりで、この小屋に流れ着いてから、まったくもって平静ではいられないのだが。

 俺はかまどの炎と、囲炉裏の火だねを、再度確認した後、意を決して彼のとなりに身を滑り込ませた。

 これは人命救助であって、やましい行為ではない……!

 確かに、俺は、土浦に対し、ある種特別な思い入れがある……それは認めよう、おのれ自身の気持ちなのだから。

 だが、それは柚木さんがからかい半分で迫ってくるような……そんな、不埒でふしだらな感覚とはまるきり異なり、遥かに崇高であり……

 ああ、いや、何を考えているんだ、俺は……!

 今はそれどころではないだろう。土浦の命の瀬戸際ではないか!!

「ハァッ……ハァッ……つき……?」

 朦朧とした意識の中、彼が目線をさまよわせる。

 俺は一切かまわず、正面から自分よりもひとまわり大きな身体にしがみついた。

「ハァ……ハァ……」

「頑張ってくれ、土浦…… 大丈夫だ、絶対に良くなる」

 直接肌と肌を触れ合わせるが、彼の身体は、なかなか暖まらない。

 いや、手のひらや額などは火のようであったが、身体はひどく冷たいのだ。

 内臓の熱を取り戻さなければ…… きっと血液も冷えてしまっているのだろう。

「……ハァ……ハァ……フゥ……」

 眉を寄せていた苦悩の表情が、やわらかくほどけつつある。

 ガタガタと床を鳴らせていた身震いも、徐々に落ち着きつつあり、俺は少しだけ緊張を解いた。。

 かまどの炎も、囲炉裏も大丈夫……ちゃんと火は燃えている。

 太陽が昇る時刻まで、まだまだ時間があるのだ。途中で消えずに朝まで保ってくれると助かる……

 

 

 

 

 

 

 冷たい身体に、少しずつ体温が戻ってきたような気がした。

 最初は密着した部分に、氷を押し当てられているような冷たさを感じたのだが、今はそうでもない。

 いや……まだ、一時間もこうしていないのだから、もう大丈夫だと考えるのは早計だとは思うが。

「土……浦……?」

「ハァッ…… ハァッ…… フゥ……」

 まだ吐息は荒い。気を抜くわけにはいかない。

 

 ……冷え切った身体を、人体で温めるという方法は、古今東西、レスキュー物では定番である。もちろん、俺はそれを活字で読んできただけで、実際に自分が体験することになるなど、想像もしなかった。

 

 しっかりと筋肉の付いた身体。

 背中は広くて、腕を回しているが『抱きしめている』とはいえないだろう。

 たぶん端から見れば俺のほうが、彼にへばりついているように感じられるのだろうが……

 ……もう少し鍛えておけばよかった。

 土浦に、こちらを観察される心配がないのが、せめてもの救いではあるが、俺のほうは冷静に相手を眺めることができる。

 土浦はゆうに180センチを越える長身である。

 だが、俺だとて、彼にはかなわないが、178センチはある。つまり身長に大差はないのだ。

 だがやはり体格差は歴然としている。こうして服を脱いでしまえば、違いは顕著だ。

 別にスポーツが嫌いなわけではない。だが、どうしても指の怪我などのことを考えると、プライベートはおろか、学校の授業でさえ、まともに受講することはできなくなった。

 今は星奏学園の音楽科だからいいが、小中学生のときは、ずいぶんと同級生に非難されたものだ。

 運動会の練習さえ、数えるほどしか参加しなかったのだから、あたりまえともいえるが。

 

 そんな俺に比べて、土浦は子供の頃からスポーツに親しんできたらしい。「らしい」というのは、彼が活躍している場面を見てきたからだ。

 小学生の頃からスポーツ少年団で、サッカーや野球を。中学に入ってからはサッカー一筋で、高校生の今、サッカー部では二年生でありながら、エースとして上級生にも頼られるほどの腕前なのだ。

 ……それにも関わらず、あんなピアノが弾ける彼……

 自分の実力が彼以下だと言っているのではない。彼のような弾き方は俺にはできないのだから。もちろん、テクニックについてはまだまだ未熟な点も多いと思う。だが、彼のピアノは、聴く者の心を奮わせる。

 ……その資質は、音楽家としてなくてはならないものだ。

 

「……土浦?」

 考え事をしている間に、彼の呼吸は規則的なものに変化していた。

 ようやく熱が下がってきたのだ。密着させた身体を、少しだけずらし、あらかじめ用意しておいた水で、タオルを絞る。

 ふたたび額に冷たくなったそれを載せてやると、満足げなため息が、ホゥ……とこぼれ落ちた。

 後、数刻で朝陽が上るであろう。

 そう考えたとたん、睡眠薬を調節注射されたような眠気が襲ってきた。

 ずっと張り詰めていた緊張を解いたせいだと分析していたが、頭の中にも真っ白なもやがかかる。

 それから五分と経たずに俺は眠りこんだ。

 ほとんど気絶するかのように……