真夏の夜の夢<36>
 
 
 月森 蓮
 

 

 

 

 

「さてと、腹ごしらえは済んだな」

 椀に一杯の羮を平らげた土浦が言った。もちろん、彼が早朝に採ってきた山の幸でこしらえたのである。

「ま、待て。君は早すぎる」

「ああ、悪ィ。ゆっくり食っててくれ。話は食事をしながらでもできるだろ」

 基礎体力の違いなのだろう。

 俺など、一度発熱してしまったら、二、三日は寝込むことが多いのに。高熱を発したのが、昨夜だとは信じられない回復の早さだ。

「……こんな目に遭っていながら、温かい食事をとれるのは、君に感謝しなければならないな」

「お互い様だろ。昨日はホントに助かったよ。とにかく身体の感覚がなくなるほど寒かったから。冷えたまま意識を失っていたら、今頃どうなってたかわからないな」

「それにしては、回復が早いな。食欲もあるようだし。……基礎体力の違いというやつか」

 俺の言葉は少々恨めしげに聞こえたのかもしれない。彼は苦笑すると、

「お互い様だって言ってんだろ」

 と、繰り返した。

 そして、さらに言葉を続ける。彼の気持ちは、もう昨夜のことなど置き去りに、すでにこれから先のことを考えていた。

「今朝、少し遠くまで歩いたんだが、川を挟んだこっち側は、噴火の影響が少ないな。その辺は金やんたちの見通しが正しかったようだ」

 ……金澤先生たちもそうだが、まずそのことに気づいて提案したのは加地だ。

 そして、そのとんでもない提案を実現し、実際に弓を引いて、対岸に皆を運んだのは土浦だった。

 そして俺は……もう少しで全員渡りきるというのに、間抜けにも川に落っこちた……

「おい、月森? どうかしたのか」

「え……? あ、いや」

「おまえ、今、泣き出しそうな顔してたぞ?」

 口調は変わらないが、その声にわずかな困惑と心配が混じっていて、俺は慌てて椀で顔を隠した。

「あ、ああ、何でもないんだ。つ、続けてくれ」

「……昨日も言ったけどな。『自分のせいで』とか『迷惑かけた』みたいな事は言いっこ無しな。それより、今は一刻も早く、皆と連絡を取り合うことだ」

 察しの良い彼は、俺が何を思っていたのかすぐに気づいたのだろう。下手なごまかしは通用しなかった。

「……わかっている」

 ぼそりと俺はつぶやいた。冷めてきた椀の中の羮をすべてたいらげた。土浦の作った料理は、とても美味かったからだ。

 

「今日、天気がよかったのはラッキーだったぜ。この川はいくつかの支流のひとつで、もう少し先にいったところで、また別れているんだ」

 土浦はそういうと、くしゃくしゃになった地図をとりだした。

 俺が驚いた顔をすると、

「ああ、これか? 念のため、尻ポケットにつっこんでおいたんだ。まぁ、水浸しにはなったが、なんとか見れるぜ」

 と笑った。

 ここに辿り着いてから、すぐに乾かしたのだろう。

 濡れた紙類が乾くとそうなるように、その紙片はパリパリに強ばってしまっていたが、十分利用できる状態にはあった。

 

 

 

 

 

 

 飲み干した椀を脇にどかし、ふたりして地図を挟んで向かいに座る。

「ここが、昨日俺たちが辿ってきた道。ほら、この大きな橋が目印になるだろ」

「ああ、なるほど。行きに通った吊り橋だな。もう落ちて跡形もないが……」

「そうだ。で、少し歩いたこの場所で、川を渡ろうとしたんだ」

「……そこで、俺が落ちて……」

「いや、それはどうでもいいから。……で、川の流れから、おそらくこの小屋の場所はこの辺りだと思う」

 土浦は、大きく湾曲した流れの少し手前あたりを指さした。

「どうしてわかるんだ? こんな小屋、地図には……」

「言ったろ。今朝、川に沿ってちょっと遠くまで行ってみたんだ。三十分くらい歩くと、弧を描くように曲がった場所がある。多分、この地図のこの部分に当たるんだろう」

「…………」

 確かに、朝方食事の材料を採るついでに、遠回りをしてきたとは言っていた。

 でも、三十分もかかる場所へ…… いや、きっと土浦のことだから、常人の倍の速度で歩いているのだろう。それにつけても、熱の下がった翌朝、さっそくそれだけの時間歩き続けられる体力と精神力に、今度こそ脱帽した。

「それで、この曲がりを伝って、そのまま川沿いに歩けば……ほら、ここだ。さらに支流が別れているだろう?」

 な?というように顔を覗き込まれて、慌てて頷いた。

「この支流を辿っていくと、コイツだけは山裾へ流れてゆく。地元付近で本流と一緒になるんだ。もっとも、地震の後だからな。必ずしも、この地図の通りとはいかないかもしれないが、大きな流れは変わっていないと思う」

「あ、ああ、そうだな。このあたりは山の中腹というわけではなさそうだから……」

「大分下ってきてはいるが、そもそも大きな山だからなァ。山裾に近い場所にいるとは言っても麓までは、かなりの距離を歩かなきゃならない。……大丈夫そうか?」

 そう訊ねられて、いささかムッとした。

 女子相手にならばまだしも、同い年の俺に対しては、もっと訊きようがあるのではないかと。

 もちろん、土浦との体力差は認めざるを得ないし、彼ほど力があるわけでもないが、少なくとも同年代の男同士なのだ。

「もちろんだ。ちゃんと歩ける」

 俺は昂然と顔を上げ、きっぱりとそう言い切った。

「途中で休憩も入れるし、だいたい今日中に着ける距離じゃないからな。無理はさせないつもりだが……」

「しつこいぞ、土浦。歩けると言ったら歩ける。君のほうこそ、病み上がりなのだから。自身のことに気を配るべきだ」

 そこまでいうと、ようやく土浦は頷き返してくれた。