真夏の夜の夢<41>
 
 
 土浦 梁太郎
 

 

 

 

「な、月森。誤解しないで聞けよ?」

 軽めの口調でそういうが、小動物ばりに身構えられる。

「いや、たいしたことじゃないんだけどよ。……こんな目に遭って、冗談じゃねェって思ってるかも知れないけど、悪いことばっかじゃねぇよ」

「え……どういう意味だ……」

 不思議そうに彼が訊ねてくる。

 そんな表情さえ、素のままであどけない。

 

「今のおまえって、すっごくいいと思う、マジで」

「え……」

「おまえと話してるの楽しいよ。次にどんな反応すんのかって考えるのも面白いし」

 言いながら、つい思い出し笑いしてしまう。

「つ、土浦、失敬な……」

「だから勘違いすんなって。あのさ、おまえって、誰に対してでも構えるところがあんだろ? それは別にいいと思うんだ。でもよ、世の中いろんなものがあるのに、片っ端から距離をとったらつまんねーぞ。一歩踏み込むと、面白いことは沢山あるぜ」

 月森と目線が合う。

 いつもなら、ヤツのほうがおかしなふうに躱してしまうが、今はまったく反らすことなく見つめ返してくる。

 

「おまえ、けっこうモノ知らないし、ガキっぽくムキになるしよ。ワガママ言ってふてくされてたり、焦ったり。神経質で軟弱者かと思えばテコでも動かない頑固者。」

「ずっ……ずいぶんな言われようだな」

 鼻白んだ様子で、月森がつぶやいた。

「でも、今のおまえそのまんまだろ。……俺はそういう月森の方が好きだ」

「す、好き……?」

 うわずった声で、何故かその部分だけを復唱する。

 よくわからんヤツだ。

 いや、『よくわからない』から面白いと感じるし、知りたいとも思う。

 

 

 

 

 

 

「ああ、感情をセーブしているおまえよりも、ずっといい」

「俺は別に……」

 反論しかけた言葉が途中で途切れた。

 幼い頃から両親が側におらず、家政婦さんに面倒を見てもらってきたヤツだ。

 音楽一家の月森にとっては、それは当然のこととして受け入れたのだろうが、理性と本音は別物だ。

 

「……もっと、ワガママ言えよ。やりたいことをやれよ。音楽を理由に感情を殺すな。興味があるんなら、手ェ出してみればいい。おまえがもうちょっと笑うだけで、幸せになる人間がどれほどいると思ってんだよ、まったく!」

「そんなこと……今まで言われたこと……ない」

 生真面目にも記憶の破片をたどっているのか、用心深くゆっくりと月森がつぶやいた。

 わずかな逡巡の後に、あらためて顔を上げる。

 じっと眺められているのは居心地が悪くて仕方がない。

 

「んだよ。何見てんだよ?」

 乱暴にそう投げかけると、思考を続けながらも口を開いた。

「つ……土浦、その中には君も入るのだろうか?」

「はぁ? 聞こえネェよ」

 ここは静まりかえった放課後の講堂ではない。ザワザワという人混みにも似た、風が樹をなぶる音、野生の小動物がせわしなく行き来している場所なのだ。

「だ、だから! 君も『幸せになる人間』なのか?」

 一瞬何を言われているのか理解できず、首をかしげかけたが、すぐに思い行き当たった。

 

『おまえがもうちょっと笑うだけで、幸せになる人間がどれほどいると思ってんだよ』

 言葉の綾……ではないが、何気なく口にした一言。

 もちろん、本当にそう感じたから言ったことだ。

 実際、月森がもっと素直になるだけで、ヤツのクラスメイトなどは、肩がこらないだろうし、ハウスキーパーさんにとっても嬉しいだろう。

 

 しかし、まさか面と向かって、『自分が笑えば、君も幸せになるのか?』と訊ね返されるとは思わなかった。

 まぁ、この率直さは、月森生来の気質らしいが。

 

「どうした。君は……違うのか?」

 繰り返されて、ほとんどやけくそ気味に答えてやる。

「ああ、俺も嬉しいと思うぜ。『幸せになる人間』のひとりってことだよ」

 

「土浦……」

 その返事に、ヤツは何故か首筋まで紅く染めて口を噤んだ。

「大げさなヤツだな! まぁ、せっかくのチャンスなんだから、ちょっとずつでも楽になるように変えてってみろよ。……さぁ、そろそろ寝ろ。明日は必ず麓へ到着するんだからな!」

 強い口調でそういうと、月森を毛布の上に横にならせた。

 自分も火の番をすると駄々をこねたが、先ほどくべた火種が、墨になる前にぐっすりと眠り込んでしまった。

 ただでさえ、体力がなく気力や精神力で生きてきた男だ。

 肉体の疲労困憊には勝てないのは道理であった。

 

 何本か薪を突っ込み、火を切らせないよう見張る。

 だが、話し相手がいなくなると、眠たくなるのは当然で……

 ごしごしと目を擦りつつ、睡魔と闘ったのであった……