星奏戦記<2>
 
 
 
 
 

 

 練習棟の二階に続く階段を、志水の歩幅に合わせて昇る。もちろん小柄なコイツの歩幅は俺よりも大分小さいので気を抜くとこっちがコケてしまいそうだ。もしそうなればまちがいなくこのチビも巻き添えなので、けっこう慎重になる。

 そんなときであった。

 聞き覚えのある男の声が、いや、声というよりやや悲鳴じみた叫びが耳に入ってきた。

 

「ちょッ……からかわないでください!」

 同じ二階の並びの練習室だ。

「冗談はやめてください!……ちょっ……あのッ」

 間違いない月森の声だ。


 
 

「……おいおい、おだやかじゃねーな、なんだよありゃ」

「月森先輩みたいですね、別にいいでしょ、どうでも」

 志水は素っ気なく言った。いっそ冷たいほどに。

「どうでもって、お前、なんかモメてるみたいじゃねーか」

「どうせ、柚木先輩とでしょ。放っておけばいいんですよ」

「おおい、志水!」

 俺と志水が、階段の踊り場でもめているところに、バタン!とドアの叩き付けられる音。

そしてダダダ!と乱暴な足音をたてて、見知った顔が駆けてくる。

「つ、月森?」

「つ、つつつ土浦! ど、どどどどこに行っていたんだ、さぁ、はやく!」

 どこにもクソも、今日初めて顔つき合わせたところである。妙に青ざめた顔つきで、ぐいぐいと俺の腕を引っ張る。当然、俺の手をつかんでいた志水の手は、その拍子に引きはがされてしまう。

 ひどく不満げな下級生の様子を、一向に気にとめる気配もなく、叩き付けた半開きのドアを、不安げに横目で伺いながら、俺の天敵・月森蓮は……そうコイツとは天敵のはずで、こんなふうに、腕を引っ括られる関係ではないはずだ。

「お、おい、なんだよ、落ち着けよ、月森」

「俺は落ち着いている!」

 悲鳴じみた声音で、そう抗議されても困る。練習室行きを邪魔され、ひどく不快げな志水を、目線でまぁまぁとなだめながら、俺は不安げな月森の視線の先を追った。

 

 はたしてそこにいやがったのは……

(サタン柚木……!)

 思わず俺は叫びそうになった。もちろん本名じゃないのはご存じの通りだろう。この人は音楽科でフルート専攻の三年、柚木梓馬さんだ。

 ぶっちゃけ俺はメチャクチャこの人が苦手だ。吹けば飛んじまいそうな儚げな雰囲気に、背の中ほどまでもあるロン毛。見るからに優しそうで、優雅な雰囲気を醸しだし、普通科、音楽科を問わず、女生徒にはものすごく人気のある先輩だ。

 だが俺にとっては、サタン柚木なのだ。理屈じゃない、本能がそう告げている。そんな乱暴な、と思われるかも知れないが、人間、本能が直に心に告げてくることは、あながち間違えではないと俺は信じている。

 敵に回すともっともやっかいなタイプ。それがサタン柚木だ。にっこりと聖母のような微笑みの裏でいったい何を考えているのかわからないような怖さがある。

 そのサタンがニッタリと笑った。「くくく」とかすれた声の聞こえそうな邪悪な微笑。

「ゆ、ゆ、柚木先輩ッ?」

 俺は砕けそうになる意志を励まし、酷薄な色を浮かべた先輩の目を直視した。

 ……情けない話だが、めまいがして石化しそうだ……

「やぁ、土浦くん。ごきげんいかが?」

 どっかの外国の貴族がするように、キザな手振りを交えてサタンが言った。それこそ「にこり」と音がしそうな、親しげな微笑み付きだ。男相手にご機嫌もクソもねーだろ。

 

「月森くん? どうかしたの? まだ第三楽章の途中じゃないかい?」

 本当に困ったように小首をかしげて……ああ、本当に小首だから怖いのだ。志水といいサタンといい、音楽科の男共は著しく俺の常識に反している。