星奏戦記<4>
 
 
 
 
 

 

 キーンコーンカーンコーンというのが、始業終業の鐘というのは、今も昔も変わらないのだろうか。

 もっとも星奏学園は荘厳な雰囲気にアレンジしているようだが、やはり基本はキンコンである。

 そんなつまらないことを考えながら、俺は数学の教科書に付箋を貼って閉じた。音楽科はどうなのか知らないが、普通科ではけっこう宿題がでる。宿題、というとまるで中学生のような響きだが、ようは予復習をきちんとしろという意味合いで、少量の課題が出されるのだ。

 音楽科は付属の大学があるが、普通科の連中はほとんどが外部受験で大学に行く。そのせいでもあるのか、勉強面ではそれなりにシビアな日常を送っている。

 

「おーう、土浦、今日も練習かよ」

「おう、まーな。そっちもがんばれよ〜」

 隣のクラスのサッカー部の友人に声をかけられ、俺は片手を上げてそう答える。練習というのはコンクールの準備練習のことだ。正直サッカーもやりたくてたまらないが、部活の先輩も友人も、「今はコンクールに打ち込め!」ということで、練習には出させてもらえない。数少ない普通科からの参加者ということで、周りの野郎共はすごく応援してくれているのだ。

 この前のコンクールで3位入賞したときは、部活の連中総出で祝ってくれた。 それは俺にとってもとても嬉しいことだったのだが、普通科の中には、学外にも有名な音楽科の連中にコンプレックスを抱いている奴らも多くいる。

 音楽科には、月森や柚木先輩のように、いかにもな家柄のヤツもけっこういるし、基本的には庶民中心の普通科にとっては、なにかと比較して卑屈になってしまうことが多いのだろう。

 また、高校生という未だ自らの将来に具体的な構図を描けない俺たちにとっては、明確な目標を持って邁進している音楽科の存在は正直プレッシャーにもなる。

 自分は自分と思ってはいても、俺自身、音楽を捨てた過去があるせいか、一時は言葉にし難い引け目を感じていたこともあった。幾度となく月森と対立した理由もそこにあるのかもしれない。

 

 ぼんやりと考えをめぐらせていたところ、二度目の鐘で俺はハッと正気づいた。今日は志水の教室に迎えに行くと約束していたのだ。上級生との約束以上に、下級生との約束は破れない。そうでなくとも、昨日は不本意な形で志水を放っておくことなってしまった。

 大あわてで机の中のものを鞄にぶち込むと、俺は早足で音楽科校舎に向かった。

 

 

 白い制服がうごめく中、普通科の制服は目立つが、今年のコンクールに俺のような普通科の生徒も参加しているせいか、前ほど異端視されている印象がない。

 いやいや、そんなことを感慨深く振り返っているときではないのだ。

 ……志水の教室……一年……何組だっけ?

 まったく不案内な音楽科校舎だ。今回のような用事がなければ、単身訪れることはまずない。知り合いでもいればいいのだろうが、あいにくサッカー部所属の俺に、音楽科の友人はほとんどいない。うまく火原先輩にでも会えればいいのだが、そう都合よくはいかないだろう。

 足取りだけは小走りに、音楽科校舎の三階を見て回る。

 ……ここはどうやら、講義準備室と二年の教室らしい。そういえば、普通科も二年は三階だ。となると、一年は二階になるのだろう。俺は階段を探した。

 そのときである。

 

「土浦?」

 背後からの聞き慣れた声に、俺は足を止めた。

「あ、ああ、月森。よぅ」

 一応ひょいと手をあげておく。苦手なヤツだが、こちらからケンカをふっかける必要はない。

「どうしたんだ。めずらしいところで会うな」

 ヤツは言った。昨日、ピンチ(?)を救い出してやったせいか、いつもほど冷ややかな口調ではない。

「おう、ちょっとな」

 いちいち説明するのがめんどうくさいし、本当に時間がないので、適当にそういって切り抜ける。だが、言った後でハタと気がつく。

「そうだ、ちょうどよかった。月森、おまえ、志水のクラス知ってるか?」

「……志水くん?」

「ああ、あいつ、一年何組だっけ?」

「………………」

「月森?」

 機嫌よさげと見えたのは、俺の勘違いだったのか、みるみる月森の眉がつり上がってゆく。

「……志水くんに何か用なのか?」

 別にコイツにとがめられる謂われはないのだが、不愉快そうな顔つきで聞いてくる。

「は? いや、ほら昨日、おまえと会ったとき、アイツ放ってきちまったからな。約束してんだよ、埋め合わせするって」

「……君にしては律儀なことだな」

「は? おまえ、何言ってんだよ? 知らねーならそう言えよ……ああッ!ヤベ、もうこんな時間……じゃ、またな!」

「あっ……土……」

 まだ、なにか言おうとしていた月森の声を無視して、俺は走り出そうとした。だが、どうやらその必要は無くなったようだ。

 

「土浦先輩〜、こんなところで何やってるんですか? 僕、ずっと待ってたのに」

 ヒゲどころかニキビひとつない白い頬をかすかに上気させて、志水が階段を上ってきたのだ。

「ああ、ワリィ。おまえのクラスわかんなくって」

「え? 僕、言いませんでしたっけ?」

「いや、悪い。ホント、ちょっと出掛けにドタバタしてな。おまえ、チェロは? 練習室とってんのか?」

 志水の気持ちをやわらげようと、俺はそう問いかけた。

「だいじょうぶです。練習室はちゃんと押さえてますから……月森先輩、こんにちわ」

 もちろん、後の言葉は俺ではなく、月森に向けたものだろう。

 まだいたのか。あいつはいったい何を突っ立ってみているのだろうか。つくづくわからないヤツだ。

「あ、ああ」

「じゃ、僕、土浦先輩と約束があるので、これで失礼します」

 言葉は丁寧だが、いつものような半分眠っているおっとりとした声ではない。なんというか、妙に挑戦的にそう言うと、志水は昨日のやりなおしのように、俺の手をしっかと掴み締めてぐいぐい引っ張ってゆく。

 やはり、最初の約束を破って、月森を優先したことを怒っているのかもしれない。

「ああ、じゃ、月森……」

「土浦!すまないが君に用事がある。下校時刻に正門で待っているので、そのつもりでいてくれ」

「は?」

「用件はそれだけだ。では志水くん、邪魔をしてすまなかった」

「いや、ちょっ……なに……」

 俺の抗議など、まるきり無視して、ヤツはつかつかと足音も居丈高に去っていった。

「……ったく何なんだろうな〜、アイツは……あ、わりーな、志水、はやく行こう……」

 

 俺が苦笑いしつつ、声をかけたとき、志水は小さくつぶやいた。

「……邪魔だなァ」

 吐息混じりの小声なのではっきりとは聞き取れなかったが、俺の耳にはそう聞こえたのだ。

「へ……? 志水、今、なんて……」

 愚鈍な俺はストレートに訊ね返したが、志水はふたたび、あの天使のような微笑を浮かべると、

「いいえ、別に? くすくす」

 と、鈴を転がしたように笑った。どうにも腑に落ちないおかしな気分のまま、とにかく志水に請われるまま、練習室に向かった。