星奏戦記<6>
 
 
 
 
 

 

 

 

 

「あ、そうだ。そういえば月森が用があるとか何とか言ってたよな」

「…………」

「じゃ、ここまでだな、お疲れサン、志水。けっこう疲れてるはずだからゆっくり休めよ」

「土浦先輩……僕……」

 なにか言いにくそうに口ごもる。俺はあまりマメな方ではないが、どうも志水のような後輩の態度は気になってならない。

「どうかしたか? 気分でも……」

「土浦。」

 俺がふたたび口を開きかけたとき、背後から名を呼ばれた。

「……あ、ああ月森か」

「俺以外の誰がいると言うんだ。約束をしていたのは俺なんだから」

 なぜそこまで高飛車になれるのだ、この男は。まるでいつもその格好をしているかのように、腕組みをし、顔の角度は斜め45度だ。

「こんなころで君を五分も待ってしまった」

「いや、あの、五分て……」

 一方的に約束され、多少到着が遅れただけで、非難される俺。なんだかもう言い返す気力もない。

 

「月森先輩、すみません」

 それまで黙っていた志水が唐突に口を開いた。

「…………」

 無言のまま身構える月森。実際になにか構えを取るわけではないが、そういう気配が伝わってくるのだ。

「僕が土浦先輩を引き留めちゃったんです。ふたりで曲を合わせたんですけど、すっごくいい感じに弾けて……楽しくて、ね? 先輩」

「え、ああ、まぁ……」

 無邪気な笑みを向けてくる志水に、俺はなんといって言葉を返していいのかわからない。

「僕、コンクールなんかより、合奏のほうが楽しく感じるみたいです」

「いや、おまえ、それはコンクールってことでずっと気を張っているからだろう」

「心配してくださるんですか? ありがとうございます、先輩」

 月森を置いてきぼりに志水が言う。妙に当てつけがましい物言いが、志水に似つかわしくなくて落ち着かない。

「……土浦、後輩の面倒を見るのはいいが、君にそんな余裕があるのか?」

 ツケツケと月森が口を挟んできた。

「別にそんなんじゃねーよ。後輩とは言っても、志水から教えられることは多いし」

「君にしては殊勝な言葉だな」

「そうかもな。だが本当のことだからよ」

 俺は言った。普段なら月森の剣呑な一言は、充分口論のきっかけになるところだが、今日はそんな気分にならない。実際、志水と合奏したのは、本当に勉強になったと思っているし、難儀していた解釈のヒントを得ることができたのだ。

 

「……月森先輩、どうしてそんなひどいことを言うんですか?」

 いきなり志水が言った。いままで聞いたこともないような冷ややかな言い方で。月森はかすかに目を見開いたが、むしろびっくりしたのは俺のほうだ。

「土浦先輩は、僕のお願いを聞いてくださっただけなのに……」

「……俺は別に君に文句があるわけではない」

「土浦先輩を非難しないでください。僕のせいで土浦先輩が悪く言われるのは我慢できないです」

「い、いや……ちょっ……」

 俺に口を挟める隙がない。

「志水くん。君も音楽科に在籍して、仮にもコンクール出場者ならば、無駄に他人と関わるよりも、自分自身のことを行うべきではないのか?」

「人と関わるのが無駄なんですか? 僕は土浦先輩と知り合って、いろいろお話させてもらうことが、すごく僕自身の音楽に影響を与えてくれていると思っています」

 きっぱりと志水が言った。

「お、おい、ちょっ……待てよ、おまえら」

「君は黙っていてくれ」

 月森がキッとこちらをにらみつけた。なぜか俺のことでモメているようなのに、叱られる理不尽な立場に甘んじる。

「月森先輩のほうこそ……」

 くすっと志水が笑った。

「……何か?」

「昨日も柚木先輩と一緒にいましたよね。おふたりとも仲がいいんですね」

 その言葉に、あからさまに月森の眉がぎりぎりとつり上がってゆく。冷たい光をたたえた双眸が、危険な色合いをはらむ。

「柚木先輩の好意はありがたいが、俺は正直迷惑している」

「それは初耳ですね」

「ではきちんと認識しておいてもらおう」

「僕、忘れっぽいので」

「君が失念しているようだったら、何度でも繰り返して言うことにする」

「おいおい、月森……なにもそんなふうに……」

 なんとか口を差し込もうとするが失敗する。

「本当にクールですね、月森先輩って。他人の好意が迷惑だなんて」

「………………」

 黙り込む月森。すると志水はすっと身を滑らせ、後ろでおろおろと困惑する俺の前に立った。

「……土浦先輩、僕のこと、迷惑じゃないですよね?」

「え?」

「迷惑なんですか? 僕、土浦先輩に迷惑だって言われたら……」

 子犬がクーンと鼻を鳴らすような面持ちで不安げに言われては、否定などできるわけがない。

「いや、迷惑じゃない。迷惑なはずないだろ」

「ホント? 本当ですね? 土浦先輩……」

 志水の楽器を扱うにしては小さな手が、俺の節くれ立った指を握る。

「いや、本当だったら。もういいだろ、そんな話は……」

 身振り手振りを交えて、なんとか不毛な会話を打ち切ろうとあがく俺。だが、そう上手くはいかなかった。怒れる氷の精のごとく表情を無くした月森が、カッカッと足音をたててこちらに近づいてくる。

 俺は街のごろつきや他校の不良なんざは怖くもなんともないが、兎にも角にも、こいつらのような王子さま系優男が苦手だ。

「土浦。」

 妙に確固とした口調で俺の名を呼ぶ。なぜか蒼白な整った顔。

「土浦、『後輩として』志水くんを気遣う、君の『先輩として』の思いやりはよくわかった。さっきは勝手なことを言ってすまなかった」

「え? いや、そんな……」

「志水くんも『後輩として』、君を慕っているようだ。君は本当に面倒見がいいな」

 薄く笑う月森。整った面差しが妖しくゆがむ。

「いや、だから、そんな……」

「土浦、俺は君と同学年だから、後輩に対するような好意は期待していないが、俺自身は対等な存在として、君に好意を持っていると言うことを覚えていて欲しい」

「は? なに……?」

「一度で聞き取ってもらいたい。何度も口にするのは気が引ける」

「いや、もう好意、好意って、何なんだよ、おまえらの言ってることはよくわからん!

 俺は髪をかきむしりたい衝動を抑え、吐き出すようにそう言った。

 

「土浦先輩、僕と月森先輩とどっちが好きですか?」

 その問いは、いっそあどけないほどのおおらかさをもって、志水の口から飛び出した。

「……は?」

 俺の口は開いたままふさがらない。

「だから、僕と月森先輩、どっちが好き?ってことなんでしょ。ねぇ、月森先輩」

「そういうあからさまな物言いはどうかと思うが、志水くん」

「だって、そういわないとわかりにくくて答えられませんよ、土浦先輩」

「……おまえらなぁ……」

 なぜかフツフツと怒りがこみ上げてくる。苦手な音楽科相手に腰が引けてしまうのをからかってやがるのか、そんな邪推までしてしまう。

「いいかげんにしやがれ、好きも嫌いもないだろう!俺をからかってやがんのかっ!」

「土浦……」

「ああ、もうっ!俺は疲れてんだよっ! コンクールに出るのは決められたことだからしかたねーが、おめーらと仲良く付き合うなんざ、もうゴメンだ! 俺には俺のペースがある。おまえらみたいなワケわかんねー坊ちゃん野郎に合わせてられるか、うざってぇ!」

 言い過ぎた、とは頭の中でわかっていても、いったん流れ出た言葉はなかなかとまらない。さまざまなストレスが綯交ぜになり、八つ当たりじみた不快がこみ上げてくる。

「待っ……土浦ッ!」

「うるさい! 志水はともかく、お前もお前だッ、月森! 昨日は柚木さんとドタバタわけわかんない理由でトラぶってる。今日は今日で志水相手につっかっかってくる。今度は俺に好意だと?フザケンな! メーワクだよ、放っておいてくれよッ! じゃあなッ!」

 叩き付けるように、そう言い放つと、俺は後ろを振り返りもせず、ずんずんと歩き出した。ものすごい歩幅で校門を出る。背後に残してきた月森の表情も、小柄な後輩の志水にも、なんの注意も払いはしなかった。