星奏戦記<8>
 
 
 
 
 

 

 

 

 夜風が想像以上に冷たい。風呂に入って一度温まったあとだから、よけいにそう感じるのかも知れないが。

 金やんに言われたとおり、俺は公園への道を辿る。あたりまえだが、夜道は真っ暗で、人通りの少ない公園方面は、街灯の明かりが頼りだ。このあたりは閑静な住宅街になっていて、昼と夜では人通りがまるで違う。

「まぁ、女じゃねーからな……」

 さっきも電話で言ったが、一応アイツだって、五体満足で健康な高校男子だし、細身ではあるが長身の男だ。おかしな心配の必要はないだろう。俺は自らに言い聞かせるように、頭の中で繰り返した。

 だがどうにも気になって仕方がないのだ。

 誤解されては困る。それはいわゆる一部の腐った女子どもが、キャーキャー騒ぐような理由からなどでは断じてない。そうではないのだ。

 月森の存在は、俺にとって絶対的なトラウマの要因であり、だがそれゆえにヤツを抜きにして、音楽に向かう自分が想像できなく……ああ、なんといえばいいのだろう。そう、ヤツの存在は少なくとも俺にとっては目標であり、また反面教師でもあるのだ。

 矛盾しているって? そうだな、確かに『目標』という言葉と『反面教師』という表現は、プラス要素とマイナス要素のように対立している。だがヤツに対しての気持ちは、まさしくそのとおり両方の感情が同居している状態なのだ。

 ヴァイオリンとピアノという楽器の種類が違えども、月森の技術力は並はずれている。不断の努力と、音楽に対する生真面目さ、静かな情熱はまさしく目標と定めるのにふさわしい。だが、その一方で、俺はヤツの音楽に純粋に感動することができないのだ。それはヤツの才能に対する、くだらぬ嫉妬心からなどではない。

 俺は月森に聞いてみたくなるときさえがある。

 その楽曲を弾くことで、なにを謳いたいのか、いったい誰に聞かせるために弾いているのか? 何に対するメッセージなのか。

 月森の音楽は高度なテクニックに支えられ、ひどく洗練された印象を受ける。だが、なぜか、なにを聴いても心の奥深いところまでは響いてこない。日野の演奏とは対照的だ。

 ああ、日野っていうのは、俺と同じ普通科からのコンクール参加者で、コンクールは初体験の素人だ。努力はしているようだが、まだまだ月森の足下にも及ばないというのが正直なところだろう。どうしても同じ楽器だからヤツと比べてしまう。

 だが、俺は日野の音は嫌いではない、というかむしろ俺には心地よく響くのだ。技術的には及ばなくても、弾く楽曲には、彼女の想いがのせられ、直接訴えかけてくるような切実さを持っている。

 ……っと、いけない。こんなことを考えている場合ではない。今、何時だ?

 

 俺は携帯を開いてみて、ぎょっとした。思ったより時間が経ってしまっている。あと20分くらいで、11時を回ってしまう。金やんからの着信も今のところはないようだ。

 ぼんやり考え事をしている場合ではなかった。

「月森ーッ! おーい、月森〜っ!」

 俺は声を出して、名を呼んでみる。明るいところはともかく、暗がりだと人がいるのか居ないのかよくわからないからだ。もし何かあったとしても、俺の呼び声にリアクションを返してくれれば、見つけて救い出すことができるだろう。

「月森ーッ! はぁはぁッ ……月森〜ッ」

 風がいよいよ冷たくなってきやがった。走ってりゃ寒くはないが、いったい全体あいつはどこで何をしてやがんだろう。

 とうとう、公園の外周を一回りしてしまった。やはりこちらではなく駅前通りに行ったのかもしれない。俺はしかたなくきびすを返す……

 

 と、そのときであった。

 耳障りなダミ声が耳に飛び込んできた。