星奏戦記<9>
 
 
 
 
 

 

 

 

 

「お兄ちゃ〜ん、星奏の生徒さんだろ?」

「この制服、音楽科のほうだぜ」

「えー、ホントォ? めちゃめちゃ金持ちってカンジ〜?」

 下品で下卑た笑い声に、俺は公園に向かって走った。 嫌な予感がする。

「お兄ちゃん、俺たち、ちょっと今、ビンボーでさ。困ってんのよォ」

「わりーんだけど、お金貸してくんない? 2、3万でいいから」

「すぐ返すからさァ」

 ……案の定だ。

 月森の前に、男がふたり立ちふさがっている。なんだかデコボココンビとでも命名したいような、小柄で太った男と、俺よりも背が高いカマキリのような男。

 夜目にも柄の悪そうな奴らだ。着ている服もいかにも安っぽく派手で暴力団の三下じみている。

「ねぇ、お兄ちゃん、聞いてんのォ? タクシー代もなくてさー、困ってるわけよ〜」

 月森は黙り込んだままなのだろう。太った男がいらだった声で言った。

「俺らがさァ、温厚にお願いしているうちに出してよ〜。別にケンカしたいわけじゃないし〜」

 そういうと、カマキリ男が、月森の胸元をぐいと掴み上げた。

 なにが『ケンカしたいわけではない』だ。不愉快な。

 俺はこういう奴らがなによりも嫌いだ。ふたりがかりで、自分よりも弱そうな者を脅すような、性根の腐った奴ら。

 俺は、何の迷いもなくズカズカと彼らの間に割って入った。

「おいおい、にーさん方、金がねーなら、歩いて帰りな」

 月森を締め上げる手を、ぐっとつかみ、引き離す。

「な、なんだよ、テメーは! はなせよ!」

 俺が掴んだ手に力をこめると、情けないカマキリ野郎は、悲鳴じみた声をあげた。

「てっ、てめーに用なんざねーんだよ! すっこんでろ、ガキッ!」

「巻き添え食いたくなかったら、とっとと消えるんだな!」

 威勢良く毒づくものの、完全に腰が引けている。月森相手にいきがっていたときとはまるで様子が違うのだ。こういう奴らは簡単だ。そこらの動物と同程度だと思えばいい。自分よりも強そうなヤツには弱気になり、勝てるとふんだ相手にだけ、理不尽なほど強硬な態度に出る。

「悪いけど、こいつダチだから。どーすんの? やんの? やんねーの? 俺はどっちでもかまわないぜ」

 俺はこれみよがしにバキバキと指を鳴らし、ふたりのクズ男を代わる代わる見やった。

「…………ちっ」

「くそ……ッ お、覚えてろよ!」

 まるきり十年前のマンガのような、お約束の捨てセリフを残し、逃げ出すバカども。やはり狗、猿と変わらない。

 この地域は街の中でも特に治安が良いところなのではあるが、ああいう手合いはどんな場所にでもウジのようにこびりついているものだ。

 

 俺は奴らの姿が見えなくなってから、月森に向き直った。こいつにも言ってやりたいことはゴマンとある。

「おい、月森ッ」

 いきおいよくヤツの名を呼ぶ。だが、その疲弊した面差しを見て、俺は少し後悔した。

「おい……だいじょうぶかよ?」

「…………」

 ぼんやりと俺を見る目。いつものきつい光がないと、なんだかずいぶんと気弱そうに見える。

「どっか、怪我したりとかしてないだろうな? 手は平気か?奴らに何かされたか?」

「……いや」

「おい、月森……気分でも悪いのか?」

 ゆっくりと首を横に振る。なんだか調子が狂ってしまう。本当なら「心配かけやがってバカヤロウ!」と、一発ぶん殴ってもよさそうなところだが、とてもそんな気にはなれない。

「……土浦」

 ヤツが口をひらいた。かすれた声が漏れる。

「なんだよ?」

「どうして……ここに?」

「おまえなぁ! 見てわかんねーのか? おまえを捜しに来たんだよッ」

「…………」

「何の用があってこんな時間までフラフラしてたのか知らねーけど、家に連絡くらいしとけ! ウチの人、心配してるぞ!」

「……すまない」

「すまないっておまえ……俺に謝ってどうすんだよ!」

「…………」

「!! あ〜っとヤベェ! 今、何時……金やんに電話、電話ッ!」

 俺は大慌てで携帯を引っぱり出した。すぐさま教えられた番号にコールする。金やんは相当ヤキモキしていたらしく、コールが鳴る前に電話に出た。もう五分でも連絡が遅ければ、そのまま緊急連絡を回すところであったらしい。

 

「ああ、大丈夫だよ。わかってるよ、アンタもお疲れな。まぁいいじゃん、見つかったんだから。……え? 何もねぇよ。いいだろ、明日で。じゃーな」

「…………」

「ほら、月森、帰るぞ」

「金澤先生……なんだって?」

 徐々に事態が飲み込めてきたのか、困惑したように月森がつぶやいた。

「特にどうこうはねぇよ。事故がなかったんならいいってさ」

「…………」

「お前ンちにも金やんから連絡行ってるはずだから、心配いらねーだろ」

「……すまない」

「いや、いいんだけどよ、別に。捜しに来たのは俺の勝手だし。お前にも何か理由があるんだろうし」

「……君は怒っていたんじゃないのか?」

 恐る恐るといったように、月森がつぶやいた。ほとんど独り言のように小さな声で。

「は? 何の話だよ」

「今日の……帰りに……正門のところで……」

 下校時の言い争いのことを言いたいのだろうか。うつむいてボソボソしゃべる風情が、この上なく月森に似合わない。

「何言ってんだよ。そんなの、もう終わったことだろ」

「だが……君は好意なんて迷惑だと……」

 ……何を言っているんだ、この男は。

 なんで、コイツ、あんなつまらない言い争いで落ち込んでいるんだ。

「ちょ、ちょっと待てよ、おまえ、あれからずっと……っつーか、あのせいで、フラフラしてやがったのか? 家に帰りもせずに?」

「……なんだか、もういろいろ嫌になって……」

「おい、月森……」

「学校にいるもの、家に戻るのも……なんだかもう……疲れて」

「おまえ、少しおかしいぞ。なんかあったのかよ?」

「君が……迷惑だと言ったんだ」

 ヤツはほとんど聞き取れないよな小声で、ポソリとつぶやいた。