王子様はだれだ!
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 南国独特の器楽の音が鳴る。

  宮廷でも私邸でも、楽に親しみ、詩文を吟ずる曹丕であるが、江東に生まれ育った華やかなそれは、初めて耳にする旋律であった。

 

 周大都督の舞が終わる。

 神経質そうな呉の年若い軍師は、ずいぶんと気ぜわしい様子で大都督を見守っていたようであるが、その心配は不要であった。

 瀟洒な衣装を身につけ、やわらかな楽の音に合わせて踊る彼は、天女もかくのごときというまばゆさであった。臨席した夏侯惇や徐晃はもちろんのこと、気むずかしい司馬懿までもが、惜しみない喝采をおくっていた。もちろん曹丕自身もそれにならう。

 なぜか張コウだけが、不快げな面持ちでそっぽを向いていたが、曹丕は気に留めさえしなかった。

 発展途上の片田舎と、いささか軽んじていたおのれの心を、曹丕は戒めた。

 孫呉は赤壁で、父曹操率いる十万の兵を退けた国なのである。

 

 心のこもった……とはお世辞にもいえなかろうが、孫将軍より、祝辞の言葉を述べられ、さらにこの大盤振る舞いの祝宴、大都督の舞に、祝いの品々……都の大貴族でさえも、これだけの体裁を整えた宴は、なかなか催せまい。

 曹丕は、あらためて、孫呉への訪問を促した司馬懿の慧眼に感謝した。太子となった今このときに、南の大国の脅威を胸に刻みつける必要があったのだ。

 

「……若殿。疲れましたか?」

 考え事の途中で、司馬懿が耳打ちした。

「いや、大事ない。……少し物思いをしていた」

 曹丕は独り言のようにつぶやいた。

「それは……おじゃまをいたしましたか」

「かまわぬ。おまえの慧眼に感服しただけだ……確かに孫呉という国を早めに知っておく必要があったなようだな」

「……は」

「此度はよい機会であった」

「仰せの通りです」

 そう応えると、司馬懿はすぐに下座に戻った。

 

 目線を手にした盃に移す曹丕であるが、側近くのにぎやかな声音に引きつけられる。

 

「かこ〜とん将軍〜、えへえへえへ。ねぇ、見てた?周瑜くんの舞、見てた?」

「うむ、拝見申し上げた。周瑜殿は舞の上手であったのですな」

「テヘ〜。それほどでも〜。でもねぇ、かこーとん将軍たちが来るって聞いたから、一生懸命練習したんだよ。このお洋服もね、周瑜くんに似合うの作ってもらったの」

「さようでござるか。とてもよく映えておられる」

 曹丕はマジマジと伯父と周瑜くんの会話を眺める。

 物言いはボソボソと無骨な印象を受けるが、決して愛想のない受け答えではない。それどころか、伯父夏侯惇にしては、精一杯の好意を表しているといっても過言ではない様子だ。何せ、しなだれかかってくる舞姫をうっとうしげに払いのけるような男なのだ。

「ねぇねぇ、かこーとん将軍。いつまで居てくれんの? 周瑜くんとおでかけしようよぅ。昭ちゃんも誘って。あれ? 昭ちゃんは?」

 周瑜くんが訊ねる。「昭ちゃん」とは司馬懿の次子で司馬昭のことである。

「昭殿は、ほれ、あれに」

 徐晃が口を挟んだ。どうやら、周瑜くんは、夏侯惇のみならず、徐晃とも気が合うようだ。

「あ、りくそんとかんねーに捕まってんのね。周瑜くんが舞踊ってる間に、ずるい、陸遜!」

「まぁまぁ、陸伯言殿も久々で嬉しいのでしょう。昭殿と陸遜殿は気があっているようでしたからな」

「周瑜くんだって合ってるもん!」

 周瑜くんはムキになった。そこにやっかいな人物・張コウが乱入する。曹丕は観察するように、様子をうかがう。

「ちょっと、周公瑾! さっきから夏侯惇将軍と徐晃殿にちょっかい出してんじゃありませんよッ」

「なによ、張コウいたの?」

「来所したとき、きっちり挨拶したでしょッ! あいかわらず生意気な男ですねッ!」

「つーんだ! 張コウに言われたくないもん! 張コウのほうが周瑜くんよりも、ずっとずっと生意気でイジワルだもん!」

「ま〜ッ! 相変わらずの減らず口ッ! いけすかない!」

「別に張コウに好かれなくてもいいもん!」

 フン!とばかりに、そっぽを向き合う二人組。どうやら夏侯惇が取りなしているらしい。孫呉の大都督・周瑜については、司馬懿から話を聞いてはいたものの、どうにも目の前の人物と曹丕の思い描いていた大都督像が一致しない。しかも赤壁の水軍総司令にして筆頭指揮官であったという。

 とうてい、目の前で張コウとレベルの低いケンカを繰り広げている青年が、『その』大都督とは思えないのだ。

 司馬懿も夏侯惇伯父も、彼を『整った容姿をしている』といっていた。それはそうだろう。だが、それでもやはり曹丕の考えていた『美周郎』とは、有り様がまったく違っていた。

 目鼻立ちはそれこそ女人のような造作で、綺麗といってしまえばそのとおりだろう。

 だが周瑜くんの美貌は、その外面的な形良さ、見てくれの美しさではなく、内包した不可思議さ、どこかが決定的に欠けているような不安定さ、そういったことを強く感じさせるのだ。

 彼と直接言葉を交わしたのは、ここに来て挨拶を述べたときだけであったが、ただ遠くから眺めているだけでも、今生から別の世界へ誘われるような、不思議な感覚に囚われる。

 司馬懿はハッキリと周瑜を好まないと、言っていた。

 感覚の鋭い彼は曹丕が感じ取っている感覚を、無意識のうちに甘受しているのだろう。だからこその反発、不快なのだろうと思われる。

 

 無意識のうちに、曹丕はじっと周瑜くんを見つめていたらしい。

 人の視線は、人の意識を呼びよせる。

 夏侯惇にくっついていた周瑜くんが、ふいと顔をあげ、こちらを見た。

 

 曹丕と周瑜くんが、互いにまともに目線を交わしたのは、実はこのときが初めてだったのである……