王子様はだれだ!
<8>
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、いいお天気〜、風が気持ちいいねぇ!」

「……え、ええ、まぁ……」

「そうだな」

 周瑜くん、陸遜、曹丕の順番である。無言のままの司馬懿も騎馬にて付き従っている。 

「さ、陸遜、視察、視察、行こ〜〜」

 ねへねへと周瑜くんが笑った。ひどく嬉しそうだ。

「……あの、周大都督には、本日の視察に同行されるおつもりなのでしょうか?」

 さすがに曹丕、司馬懿といった賓客の手前もあるのだろう。陸遜がいささか聞きづらいことを丁寧に訊ねている。

「うん、行くよ〜」

 澄み切った青空のように、周瑜くんの返答はさわやかだ。

「え、ええ、ですが、呂将軍より、周大都督に置きましては、午後別件でご予定がおありと伺っておりますが……」

「いいの、いいの。呂蒙とご飯食べに行く約束してただけだからー」

「……あ、は、はぁ」

「それにね〜、曹丕さまが周瑜くんと一緒に視察したいって、おっしゃったんだよー」

 陸遜は風を起こして、曹丕を振り返った。周瑜くんは得意げにツンと顔を持ち上げている。

「なにか問題でも?」

 すました顔をして曹丕は言った。      

 聡い曹丕のことである。常人とは異なり、昨夜のやり取りで、なんとなく周瑜くんの、孫呉での位置づけを理解したらしい。

 もっとも、戦場で遭遇したことはないゆえ、周瑜くんの軍師としての能力は測りかねているであろうが。

「い、いえ、曹丕殿と我が国の大都督が親しくしてくださるのは、本当に喜ばしいことでございます」

 陸遜は上手くまとめた。フォローにも入らない司馬懿は、朝っぱらから仏頂面だ。

 曹丕から『周瑜を叱るなよ』と言われたものの、やはりおしゃべり周瑜くんのことは、不快なのだろう。

 

「時間が惜しい、参ろう」

 曹丕が言った。

 

 まず最初は、市街地である。もちろん、スラム街のような場所には案内しない。事前に外観や衛生に留意した、表通りを騎馬でゆく。

「こちらが建業での、一番の大通りになっております。交通の要所ですが、市も多く建っております」

「ほう、にぎわっているようだな」

 曹丕が言った。

「うん、でしょでしょ! あのね、あっちにね、周瑜くんのお気に入りのお店が……」

「周大都督ッ! 申し訳ございません……え、ええと、こちらの道を参りますと、街道に出ます。大規模な灌漑を予定しているのが……あちらの……」

 陸遜が冷や汗もので説明を続ける。

 ところどころで、頷き、説明を求める曹丕。かつて蜀の諸葛亮を案内した陸遜であったが、曹丕の問いは常に的確でするどく、何に対しても興味と関心を抱いた孔明とは異なっていた。

 さきほどから、司馬懿は口出しをせず付き従っているだけだ。もちろん、見るべきところは、きちんと押さえているのだろうが。

 

 大通りをゆっくりと巡り、次に迂回路を通る。そこの高台からは治水工事の様子が見て取れるのだ。そのまま行き過ぎると、外船の行き交う入り江に到着する。

 

「ああ、ずいぶんと船が多いのだな。さすが孫呉だ」

 曹丕が言った。

「はい、長江に内海……こちらは船がなければ不便な土地柄ですので」

「ふむ……水軍が強いのもよくよく頷ける」

「は、はぁ……恐れ入ります」

 きわどい発言だ。どうしても赤壁の大戦を思い起こさせる。

「でしょでしょ。周瑜くんはもとはね、水軍総司令官だったんだよ? すっごく強かったの」

 空気の読めない周瑜くんであった。

「ちょっ……、し、周大都督!」

「ああ、ふふ、私はその戦は知らぬが、ずいぶんと父が苦しめられたらしいな」

「うん、そうだよね。蜀の人たちもいたし。孔明殿もおられたし」

「諸葛亮か……」

 味わうように曹丕はその名をつぶやいた。

「稀代の天才軍師と名高いな」

「うん。孔明殿、頭いーもん。すっごく。でも、曹丕様の先生だって、すっごく頭いいじゃん」

「ああ、ふふふ……そうだな、仲達」

「若……おやめくださいませ、おこがましゅうございます。それよりも、その折り、孔明と知恵比べをして、結果的に大勝を果たしたのは周大都督と伺っておりますが?」

 つけつけと司馬懿が言う。冷ややかな物言いに、氷の刃を突きつけられる心持ちなのだろう。陸遜はキリキリと痛む胃を押さえた。

「えへえへ〜、それほどでも〜」

 周瑜くんは頭を掻いて、テレテレと笑う。

「さすがは噂に聞く、孫呉の周大都督だな」

「やだー、曹丕様まで〜、照れちゃうよー、ねっ? 陸遜!」

「も、もう……ちょっ…と、周瑜どの、お静かに……」

「お話したら、お腹空いちゃった〜、あー、お昼の時間とっくに過ぎてるよ? ご飯にしようよー」

「いえ……もう……ホント……」

「ね? 曹丕様?」

「ああ、そうしたければ」

「ほら、陸遜、曹丕様もご飯だってー」

「は、はい……」

 冷や汗をこっそり拭う陸遜に、司馬懿は同情的な視線を向けたのであった。

 

 昼食は城内でとることとなった。

 思いの外、時間が経つのが早かったからだ。すでに時刻は、現代の時間で午後の三時過ぎである。

 到着するなり、陸遜は老練な魯粛とバトンタッチ。腹を押さえてよろよろと退出してしまった。

 

「あーッ、司馬懿殿ッ! おかえりなさいませ」

 騒々しいのは張コウである。

「これは若殿、お疲れ様でございます」

 一応礼を通す張コウ。

「ああ、そちらはどうであった?」

 司馬懿が訊ねた。張コウのほうは、別の場所を視察しに出ていたのだ。

「ええ、いろいろ興味深いものを見せていただきましたよ、後ほど、ご報告いたしますから。はい、これは司馬懿殿におみやげ★」

「…………」

「ねー? 綺麗な色合いの染め物でしょ? 司馬懿殿のお髪によっく似合いますよ★」

「張コウ将軍……貴公は何をしに出かけたのだ……」

 脱力した声音の司馬懿。

「えーっ、もちろん、ちゃんとお役目も果たしましたよッ? これはその後、見立ててきたものです」

「ふぅん、張コウにしてはセンスいいんじゃないの? ま、周瑜くんだったら、もっと似合うの見つけてあげられるけど?」

 ぱくぱくと杏仁豆腐を口に運びながら、周瑜くんは言った。

 今朝方、張コウに足を引っかけられた恨みがこもっている。張コウにそういうつもりはなかったのだろうが、寝ぼけた周瑜くんが、たまたま近くに突っ立っていた張コウの足に引っかけてしまったのだ。

 可哀想な周瑜くんは、司馬懿たちの目の前で見事に転がってしまった。

 不幸な事故である。

「まっ! なんですってッ、周公瑾! 生意気なッ!!」

「ツーンだ。ホントのことだもん」

「私は美神の化身、張儁乂ですよッ? おまえのような幼児化白痴美男に……」

「舞いだって、周瑜くんのほうが上手だもん」

「おのれーッ! 黙って聞いてればいい気になってーッ! こうしてやる、このこのこのーッ!」

「よしてよッ、杏仁ドーフがこぼれちゃうじゃない!」

 いきりたつ張コウに、周瑜くんがシャーッと牙を剥いた。

 

「よさぬか、張コウ将軍。若殿の御前でござるぞ。周大都督、お主ももう少し落ち着かれよ!」

 司馬懿の叱責で、ふたりはぶぅっと頬を膨らませると、黙り込んだ。

 不思議なことに、気むずかしい曹丕が、眉一つひそめず、このやかましいやり取りを眺めているのだ。

「ふ……張コウも、周大都督も元気なことだな」

 そんな事を言う。

「……周瑜くんは元気だけど……張コウがうるさくしてごめんなさい」

 おかしな謝り方をする周瑜くんであった。もちろん、それにすぐさま反応する張コウだが、司馬懿がにらみつけて静止する。

「……まぁいい。仲達、今日の予定はこれで終わりだな」

「はい」

「ならば、ここからは自由行動ということだ。私は少し外す。おまえたちも後は好きにせよ」

 普通ならば、曹丕の行き先なり、帰城時刻なりを確認したいところであるが、そういったことを口うるさく言われるのを、たいそう不快に思う曹丕である。その性質を十二分に知り尽くした司馬懿は、「どうぞお気をつけて」とだけ、返事をした。

 聡い曹丕は、必要な事柄はきちんと告げてゆく。

 なにも言わないということは、必要がないということなのだ。

 

 曹丕が立った席の食事は、あらかた平らげられていた。しかし、綺麗に杏仁豆腐だけが残されていたのを見ると、どうやら師弟共々、甘い物は苦手らしかった。