孫呉の秋★物語!
<6>〜<10>
 
 
 
 

 

 

「えーと、最初に買ってきたのは誰だったかなぁ〜? 私が始めに読んだのは、夏侯惇将軍と曹操様のお話だったの。とっても素敵なラブロマンスだったよ〜」

 耳慣れないヨコモジを使って、周瑜くんは感想を述べた。

「ええッ! そ、曹操と、か、夏侯惇?」

「うん。おもしろかったよ。プラトニックラブでね。りくそんも読む?」

.....う、うちの.....孫呉の人物だけを面白おかしく書いた読本ではないのですか.....?」

 陸遜がつぶやいた。その声はもはやうめき声に近かった。

「うん。いろいろあるの。でもやっぱり多いのは、ウチの人たちのかなぁ。呂蒙&陸遜シリーズも純愛っぽくてキレイだったし〜。あ、安心してね。かんねーには見せてないから」

「そ、そういう問題では.....

「ふぁ〜あ、眠くなっちゃった〜。おなか空いたよ。ご用はもうすんだんでしょ? りくそん、お城に帰ろー」

「まだ.....まだですよ。用件は全くすんでおりません.....

「え〜、もういいじゃない。疲れたし、お腹へったの〜」

 基本的に周瑜くんは自己中心的な男である。本能に正直なのだ。

.....この本の出所をつきとめなければ!」

「えー、そんなの知らないよ。本屋さんだって卸売りしているだけだって言ってたよ」

「だから.....だから、調べるのですッ!」

「どーしてそんなに怒るのよ」

.....周瑜殿! あ、あなたは不快に思わないのですか? あ、あのような低俗な読み物に.....しかもあんな形でッ!」

「うーん、ちょっとドキドキ、ひゃっ!ってカンジだよねぇ〜」

 周瑜くんはくすくす笑った。

「周瑜殿! お忘れですかっ? 次の週には、蜀の使節がここ建業に来訪されるのですっ!とても重要な目的の元ということは、大都督ならば重々ご承知おかれていることでしょう!」

「うん」

「ならば!」

 陸遜は語気を強めた。

「ならば、こういったものが、蜀の方々の目に触れたら、どうなると思いますか? この乱世、人は名誉を重んじます。ことに漢王朝の血統とうそぶく劉備など、その最たる輩でしょう」

「ふーん」

「蜀の使節が来訪する前に、徹底的に取り締まらねば.....!」

..........

「周瑜殿?」

「う〜ん。そしたら蜀の人たちのお話なんてあったら、きっとすごく.....まずい.....のかなぁ?」

.....は?」

「え? あ.....ううん。なんでもないの」

「しゅ.....周瑜殿! ま、まさか、蜀の方々を題材にした春本もあるというのですか? どうなのですかっ?」

「きゃー」

「間延びした悲鳴をあげないでくださいっ! そうなのですね? 蜀バージョンもあるのですねっ?」

「りくそん、怒らないでよ〜。別にりくそんが蜀の人たちと、ラブラブになるわけじゃないんだからぁ〜」

「そういうことを言っているんじゃありません! .....我が国の人物だけでなく蜀の重臣についてまで.....! 困ったことです! ますますもって心配だ!」

「りくそーん.....

.....赤壁の一件以来、劉備とその一派は、かなり我が国でも知られるようになりましたからね。講談師も面白おかしく話をしますし.....

「うーん。そうねぇ。劉備様に義兄弟を含めた五虎将軍.....それに軍師の孔明殿はとっても有名になっちゃったね〜」

.....困った.....困ったことです.....!なんとかせねば.....

「ねぇ、りくそんー。おなか空いたー」

 陸遜の気も知らず、周瑜くんはぐずった。ぐずる周瑜くんに敵う相手はいない。

「戻りましょう、周瑜殿.....よろしければ、是非ご一緒に夕食を」

 陸遜が言った。たいそうめずらしいことであった。

「わーい」

 周瑜くんは喜んだ。彼はたいそう単純な人間であった。

 

 食卓はたいそうにぎやかであった。いや、にぎやかなのは、一方的に周瑜くんのほうであったが。

「それでね、それでね、りょもーがね〜、その後、どうしたと思う?」

.....さぁ」

「くすすっ! なんと、あの人、腰帯一枚で二階の窓から飛び降りて、お魚くわえたネコさん、追っかけてったんだって! 信じられる。女の人たちもいる奥の殿でだよ〜?」

...............

「でねでね、それを見た太史慈がね〜」

.....周瑜殿。おしゃべりは食事が済んでからになさってはいかがですか?」

「えー、だいじょうぶだよ〜。そんでね、そんでね」

 陸遜が辟易とするほどに、周瑜くんのテンションは高かった。めったに席を同じくしない人間と、夕食がとれるのを喜んでいるらしい。

 周瑜くんは、基本的に自分のペースでしか行動しない人間である。しゃべりたいときは、眠くなるまで話しているし、朝でも昼でも眠気がさすと、そのまま寝入ってしまう。彼は本能に忠実な人であった。

 食事も基本的にはマイペースだ。しかしながら、大都督という立場上、会食の席に着くことが多い。本人曰く、それにはきちんと対応しているとのことではあるが、食欲のないときには、いっさい手をつけなかったりする、困った周瑜くんであった。

.....失礼ながら周瑜殿。野菜の煮付けにも、豚肉の角煮にも手をつけておられません」

.....だって、お肉のぶよぶよしたところ、キライなの。ほら、ぶよぶよ」

 周瑜くんは、箸で肉の脂身をつついてみせた。

.....脂身が苦手なのですね。けっこう。では、とりのぞいて差し上げますので食べてください」

.....キライなの」

 ぼそりと周瑜くんはつぶやいた。赤壁の英雄が、豚肉ひとつで、シュンと落ち込む様が笑みを誘う。

「では、こちらの温野菜はいかがですか? 緑黄色野菜は栄養があります。健康を維持するためにはバランスのよい食事を.....

「もぉ〜、りくそん、せっかくいっしょにゴハン食べてるのに、怒ってばっかりじゃないの! つまらないよ、もう!」

 いらいらと周瑜くんが言った。こういうのを、逆ギレという。

「さきほどから怒濤のごとくおしゃべりをして、杏仁豆腐しか口に入れていないあなたを見れば、だれだってひと言いってやりたくもなります!」

 陸遜は語調を強めた。今日は相当イライラがたまっているのだ。翌週には蜀の一行もやってくると考えると、彼のイライラゲージは、止まることなく跳ね上がってしまうのであった。

「もぅ! 何で、りくそん、そんなにイライラしてんの? すぐ怒んの? いつもはもっとやさしいのにっ!」

「あ.....あなたが.....周大都督が.....

 陸遜はそこでぐっと息をつめた。『あなたがあまりにも大人げないからです!』と、叫びたかったにちがいない。全く大人げない周瑜くんと共に居るからこそ、もろもろの意味合いで陸遜は大人にならざるを得なかったのだ。

.....いえ、なんでもありません。お話をもとに戻しましょう。周瑜殿」

「うん!どこまでいったんだっけー。あ、そうそう、太史慈がパンツ一枚で中庭を走る呂蒙を見つけたところまでだったよね〜。そのあとね〜、中庭のネコの一家が.....

 やれやれと、人知れず大きなため息をつく陸遜であった。

 

 

.....つ、ついに来るべき日が来てしまいました.....

 陸遜はつぶやいた。よく晴れた秋空は、どこまでも澄んでいる、そんなこの日.....

 建業の城の殿堂は、いつにない華やぎの中にあった。重厚な臙脂色の敷物が、延々と入り口まで敷かれている。一堂に会している人々、君主孫権および群臣一同は、皆第一級礼装をしていた。

「大使を拝命いたしました、わたくし諸葛亮、字を孔明と申します」

 白と深緑を基調にした、格式ある装束を身に付けている。軍師孔明は拱手し、深く礼を取った。

「ご紹介いたします。こちらは此度の副使.....

 孔明の後ろに控えていた、長身の男が孔明にならって頭を垂れる。

「趙雲、字を子竜と申します。孫仲謀殿、ご尊顔拝見奉ります」

 彼は、紺碧と空色の衣装がよく似合う美丈夫であった。同じ美形でも、周瑜くんとは異なるタイプだ。数名の群臣がそれぞれあいさつの礼を取る中、陸遜は彼ら一人ひとりの名と顔を頭にたたき込んだのであった。

 

「いやはや、疲れた! 疲れましたの〜。練兵を行っておるほうが、はるかに楽じゃわい!」

 大袈裟にため息をついてみせたのは呂蒙であった。

「まったくだ。長い式典でござった。この太史慈も小難しい儀式の場は苦手じゃ。.....おや、甘寧は?」

「ああ、お手洗いだと思います。式典の最中、ずっとがまんしていたとぼやいておられましたから」

 陸遜はこたえた。無事式典終了につき、とりあえずは第一関門突破。大分表情も穏やかになっている。

「孔明殿にはお変わりなかったねぇ。相変わらず控えめで涼やかな居ずまいでいらっしゃる」

 周瑜くんが言った。赤壁の一戦では、孔明と直接的に協議、交渉したのは、この周瑜くんである。

「ああ、周瑜殿は、孔明殿とお親しいのでしたね」

「うん、お親しいのよ、陸遜」

「趙雲殿とはどうなのですか? あれほどの武将、赤壁には参戦されたはずと推察しますが」

 陸遜はたずねた。残念ながら陸遜には、孔明、趙雲ともに、言葉を交わした記憶がない。

「趙雲殿とは、面と向かってお話したことはないよ。孔明殿をお迎えにいらして、そのまま帰ってしまわれたから。私はお姿を拝見しただけ〜」

「そうだったのですか。.....それにしても思ったよりずいぶんとお若く清々しい御人でしたね。長坂波での武勇伝を耳にしておりましたので、もっと、いかめしく武骨な雰囲気の方かと思っていたのですが.....

 陸遜は感心したように頷いた。甘寧がこの場にいたら、さぞかしムッとしたことだろう。

「うん、そうだねぇ。強そうだけど、綺麗な人だよね。.....ふぁ〜あ」

 話の途中で、周瑜くんは大あくびをした。彼の眠りのサイクルはいつも唐突に訪れるのだ。おそらく立ちづくめの式典で疲労したのだろう。

「なんだか眠くなっちゃった〜。疲れたのかなぁ〜」

「そうですね。思ったよりも長くかかりましたから。そろそろ私も自室に戻ります」

 陸遜の言葉に応じるように、呂蒙や太史慈も立ち上がる。

「お部屋に帰る〜」

 周瑜くんはよろよろと広間を出た。

 

.....あッ.....あの.....

 扉を開くと、そこには趙雲が立っていた。思いもしない蜀の珍客の訪れに、孫呉の猛将二名にさっと緊張が走った。

「あ、あの、失礼いたしました!」

.....趙雲将軍? なにかご用がございましたか?」

 と、太史慈がたずねた。ついつい咎めたてる口調になるのはいたしかたがなかった。未だ呉蜀の関係は微妙なものを孕んでいる。

「いえ、そうではありません。式典の後、お庭をご案内いただいたのですが、ひとりはぐれてしまって。陽が暮れて道を失い困惑しておりましたところ、こちらから人の話し声が聞こえ.....大変失礼いたしました」

.....さようでござったか」

「ご無礼お赦しくださいませ。決して他意があってのことではございません」

「ふむ.....

 頷きはしたものの、太史慈、呂蒙は、不信をぬぐいきれぬ様子であった。

「いや、当方の軍師二名とわしら将軍の会合の場に、唐突に見えられたのでな。なにか重要なご用件があるのかと思ったのでござるよ」

「もしくはあえてこの場に居合わせる、別の理由が.....

「い、いえ、自分は.....

「もう、よしなよ。りょもーもたいしじも!会合なんかじゃなくて雑談してただけでしょ。かんねーはおトイレだし」

「しゅ、周瑜殿.....しかし.....

「せっかく呉の国までやってこられたお若い将軍を、こんなことで疑ってどうするのよ。イジワルなふたりなんて大ッキライ!」

「周瑜どの〜っ!」

「趙雲将軍。お部屋までお送りするから、いっしょに行こ!」

 周瑜くんはプイとそっぽを向いた。アドリブの苦手な陸遜は、おろおろとするばかりであった。

「あ、あの、本当に失礼なことをいたしました。自分は未だに落ち着きがなく、お恥ずかしい次第です。ですが此度のことは決して他意があってのことではございません。重ねてお詫び申し上げます」

 趙雲はくり返しあやまった。呉にやってきたばかりだというのに、いさかいの種を蒔いてしまえば、相互の信頼関係を築くことはできなくなる。微妙な関係の両国においては、どんなささいなことでも十分契機になりうるのだ。趙雲の真摯な気持ちが伝わったのか、太史慈、呂蒙が目を見合わせる。

「いや.....貴殿を頭から疑うつもりではなかったのだ。許されよ。わしは太史慈と申す」

「拙者は呂蒙じゃ。少々気が立っておってな。あいすまなかった」

「いえ、悪いのは自分の方ですから。ありがとうございます、御二方」

 趙雲が言った。その笑顔には安堵が浮んでいた。

「はやく行こッ! 趙雲殿!」

 つんつんとして、周瑜くんは先を歩いていってしまった。その後を慌てて追いかける趙雲。周瑜くんの怒りは、いまだに冷めやらなかった。

 

「はい。ここが趙雲殿のお部屋だったよね」

 ギィと扉を開け、周瑜くんは一緒に中まで入っていった。

「あ、あの、どうもありがとうございました。ごめいわくをおかけしました」

「そんなにかたくるしくしなくていいじゃないの。それよりごめんね。嫌な思いをしたでしょ?」

「いえ、自分が不注意だったのですから。ですがお気遣いありがとうございます」

 趙雲は、窮地をすくってくれた目上の人間に対し、心から礼を述べているのであった。

「趙雲どの.....ええと、子竜殿だったよね〜。あなたはとっても素直で真面目な方なんだね〜。会ってお話ができて嬉しいや」

 これまた率直に周瑜くんが言った。彼の物言いになれた人間でないと、ストレートな表現方法に戸惑うことが多い。

「いいえ、自分の方こそお会いできて光栄です。あの.....周公瑾殿でいらっしゃいますよね。大都督であられる.....

「うん、そーだよ」

...............

「なぁに?」

「あ、いえ、申し訳ございません」

「子竜殿ってあやまってばっかりね」

 周瑜くんは笑った。

「いえ.....あの.....失礼ながら、イメージと大分違うので.....少々驚いてしまいました」

「そうなの〜」

「ええ、赤壁でのお話をうかがっておりましたから.....もっと怖そうで冷ややかな方かと思っておりました。ご身分も、王族に次ぐ方だということでしたし」

「そう」

「こんなに、おだやかでおやさしい方であったとは.....やはり百聞は一見に如かずです。此度は和平交渉の談、微力ながら力を尽くします。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ〜。でも、うれしいなぁー」

「あ、はい?」

「うん。子竜殿が私をそんなふうに思ってくださるなんて。よかったー、お会いすることが出来て」

 周瑜くんは軽やかに立ち上がると、趙雲の手をとった。

.....あの、周瑜殿?」

「子竜殿はまっすぐでお強くて、やさしい方。どうか仲良くしてね」

 そういうと、周瑜くんは少女のように小首をかしげて微笑んだ。長い明るい色みの髪が、さらさらと音を立てる。趙雲が目をしばたかせている間に、周瑜くんはするりと扉の前に立ち、それに手をかけた。

「じゃあね。もう遅いから」

「あ、はい.....

「おやすみなさい、子竜殿」

「あ、は、はい。おやすみなさいませ、周大都督殿」

 直立不動状態の趙雲を、一人部屋に残し、周瑜くんはとろとろと歩いていった。なにはともあれ蜀のご一行は、無事孫呉の地を踏んだのである。

 

「む..........

 漆黒の闇にうめき声が響く。

「む.....む〜」

 その室には、ほんのりと灯火が点り、暗やみを薄橙色に染めている。うめき声はときおり、なにやら意味のある単語になり、それはすぐさまくぐもった声にとって変わる。声の主はまだ若い青年のものであった。

「ああっ、もうダメですっ!」

 そう叫ぶと、陸遜は、そこそこの厚みのある小冊子を勢いよく閉じた。健康的なふっくらとした頬が、みごとな朱に染まっている。

「こういった本が流行るというのは.....世も末なのでしょうか」

 陸遜はつぶやいた。蜀の一行が来所するまでに、せめて城内における破廉恥本だけでも撲滅しなければならない。その一心で目を光らせていた陸遜である。

 殿堂の隅、柱の影、中庭の植え込み.....ありとあらゆる場所で摘発を続け、没収した本を自室の奥にしまい込む。こうしてみると、あきれるほどにこの手の本が出回っていることに気づいた。

 しかし、陸遜はすぐさまそれに納得がいった。時が経つにつれ、たまりにたまってくる本を、興味半分、義務感半分で読んでみたところ、単に劣情をそそるだけの猥褻小説ばかりとは言い切れないのだ。これがなかなかに読ませるのである。

 もちろん、もともと大人向けの本、春本であるから、内容はそれ相応に卑猥な描写や生々しい性交渉の記述などが含まれている。だがそこに至るまでの過程.....登場人物の心の動き、ストーリーの展開が相当に巧みで叙情的であり、性描写も露骨でやらしいというよりも、むしろ官能的であった。

 さすがの陸遜も、そのレベルの高さには驚いたのであろう。目を通しておくつもりだけで読んだ一冊だけでは飽き足らず、もう一冊.....次の一冊と、結局は没収されてきた山積みの本を、全て読み終えてしまったのである.....

.....これも仕事です、仕事.....内容を把握しておかねば、いつ何時、ハプニングが起こるかもしれませんから.....

 口の中で、モゴモゴと言い訳がましくつぶやくと、すでに読み終えたはずの春本を、ひっくりかえして再び読み返す陸遜であった。こういう状態をハマッているというのだが、彼にその自覚はなかった。

 いかに若き俊英よ、孫呉の明日を担う筆頭軍師よと言われても、未だ十七才の青少年なのである。こういう類いの本に興味を持つのは、とりたてて恥ずかしいことでも、めずらしいことでもないのだ。ましてや本意不本意はとわず、陸遜の相愛の恋人はなぜか甘寧.....正真正銘の男性なのである。つまるところ、陸遜がこれらの男色春本にハマる素養は、十二分にあったといえよう。

.....よくもまぁ、こんな.....恥ずかしげもなく.....

 ぶつぶつとこぼしながらも、目はどんどん先を読み進める。

 そのうち、

.....なるほど、実践にもさまざまな方法論があるのですね.....勉強不足でした」

 などと、つぶやき、しまいには、

....................

 .....無言になる。

 そんなこんなで、あっという間に時間は過ぎる。すでに深夜といってもよい時刻にさしかかっているが、いっこうに陸遜は眠くならない。それどころか、吐息は深く熱をはらみ、両の瞳は赤く潤んで重たくなる。

 こんなときには、「トントン」という、扉をたたく小さな音でさえ、とびあがるほどに驚かされてしまうのだ。

『トントン』

「だっだっだっ.....だれですっ?」

 素っ頓狂な叫び声に、陸遜自身が驚いた。ガタガタと派手な音を立てて、座臥に散らかした春本の類いをとりあえず掻き集めて櫃に放り込む。

「どしたよ、伯言、オレだよ、おーれ!」

.....こ、興覇?」

 恐る恐る扉の留め金を外すと、甘寧はまさに弾丸のごとく、室に飛び込んできた。

「いやー、お待たせ!」

「だ、だれも待ってなどおりませんッ!」

「またまた〜。間あいたからって、そう拗ねるなよ、伯言〜」

 デヘデヘとやにさがる甘寧。完全に自己の視点のみでのアプローチである。

.....興覇。今日は蜀の面々がおいでになられた日なのですよ。儀式づくめで疲れているのではありませんか」

「そーそー、式典尽くしで、ストレスたまっちゃって〜。おまえもちょっとリラックスしたほうがいいって」

「もう.....あなたという人は.....

 陸遜は額を押さえて、視線をそらせた。その隙を逃す甘寧ではない。

「スキあり〜〜っ!」

 と、叫ぶと、怒濤のように、陸遜の小柄な身体を横抱きにして、寝台にダイビングする鈴の男であった。シャンシャンと鈴がうるさい。

「わぁっ! ちょっ.....興覇! 話はまだ.....

「いーから、いーから。そう照れんなよ〜」

 シャンシャン! シャンシャン!

「そうではなくてっ! 鈴っ、うるさいですよ!」

「まーまー、するときはどうせ外すし〜」

「興覇ッ!」

 このふたり性格も極端に異なるが、体格差もずいぶんなものである。身長一八○をゆうに超え、それ相応の体重もある甘寧。一般的にみても、小柄な陸遜。こんなとき、とうてい体力勝負になりはしない。

「だめですっ! よしなさい、興覇!」

「いーから、いーから」

「ダメですってば! 放してください!」

「だいじょうぶだいじょうぶ。オレ、ちゃんと風呂入ってきたぜ」

 あくまでもゴーイングマイウェイの甘寧であった。

「そうじゃなくて.....今はちょっと.....

 なかなか素直に応じない陸遜に、それなりに気遣いを見せたつもりなのだろう。甘寧はさっと起き上がると、座臥の天幕を片手で下ろした。もともと室には二人だけしかいないが、こうすることで、本当に密室のような雰囲気になる。

 そして甘寧は、言葉よりも手の方が早い男であった。

「興覇ッ! 今はダメですったら.....わぁっ!」

 いきなり夜着の前をはだけられ、陸遜は声をあげた。日焼けした大きな手が、ミルク色の肌の上を荒々しく滑ってゆく。

 甘寧のにやけ顔をカメラに収めたならばまだしも、白い肌と浅黒い手の部分だけを眺めると、それはたいそう扇情的な光景であった。