夜明け前
<3>
 
 
 曹 丕
 

 
 

「……三成、そこは私の寝台だが」

 あきらめ半分にそう言ってやると、彼はせめてもの譲歩というように、無言のまま奥に詰めた。

 大陸には親しい友と座臥を共にする風習がある故、それほど抵抗があるわけではないが、相手が良くない。

 ……正直、彼を『友』と呼ぶには互いを知らなすぎたし、病的に神経質で付き合いにくい男であった。

 人の出来た張遼や典韋などは、彼の性格を考慮して上手く対応しているようであるが、私にはそういった才が欠けているようであった。

「寒い! 早く入れ」

 小動物のようにギャンギャンと喚かれ、あきらめて彼のとなりに身を滑り込ませた。となりに人の気配在る寝台は未だに違和感がある。

 私は妻帯している故、おかしな発言だとは思うのだが……実際にそう感じるのだから致し方がない。

 懇意の者と座臥を共にすることは……ほとんどなかった……と思う。いや、皆無とはいわないが。

 まだ幼い頃、師としてそして世話係として私の側近であった司馬仲達と、一緒に眠ったことが何度かあった。……そう、本当に何度かだ。長じてからは……無い。別に避けているつもりではないが、張コウが鬱陶しいからだ。あやつは妙に仲達になついている故……

 仲達も張コウも姿を消した。

 ……いや、あの混乱の中で、身の寄せどころを見つけられた者のほうが、望外の幸運に見舞われたというべきであろう。

 この男……石田三成にも私にとっての仲達のような立場の側近が居たらしい。

 いや、彼の話を聞けば、いわゆる「家臣」と一言で括ることのできない人物のようだ。

 人と上手く相容れぬ彼にとっては、その者の存在が大きかったのだろう。時折、惚けたように遠い空を見やる姿は、赤の他人の私であっても胸が痛んだ。

 

 

 

 

 

 

「……眠れなくなった。おまえのせいだ」

 壁側に面を背けたまま、三成がぼそりとつぶやいた。妲妃のおかげでご機嫌斜めらしい。

 だが、あいにく私も上手い言葉を見つけて宥められるほど、気遣いの出来る人間ではない。こういう輩は相手にしないに限る。

「……曹丕、眠ったのか?」

 ……しつこい。話相手をしてほしいのだろうか。

「いや……先ほど横になったばかりだからな。だが黙して目を閉じていれば、眠れよう」

「…………」

「後から床について俺より先に寝るな!」

 ……子供か……この者は。いったいどういう育てられ方をしたのだろう。よく末子は我が儘になるというが、『三成』というくらいなのだから、三番目の息子なのだろうか?

 ああ、私としたことが埒もないことを……

「……三成、気を落ち着けよ。苛立っても状況はかわらぬ」

「わかっている!」

 悲鳴のような声に、私は致し方なく身を起こした。

 続きになっている引き戸を開け、杏の果実酒を器に注ぐ。寒いと言っていたので燗のほうがよかろう。

 湯気の立つそれを注意深く盆に乗せ、私は寝台に戻った。日の本からやってきた駄々っ子は怪訝そうな面持ちでこちらを見ている。

 ……年は私と変わらぬと思うが、気質は幼いらしい。

「三成。これを飲め」

「……酒?」

「そうだ。身体が温まる」

 そういってやると、少し驚いたように目を見張り、照れ隠しなのか、よけいにふて腐れた様子で、ぶつぶつと文句を言っているようだった。

「俺は……その……酒はあまり……」

「強くないなら尚のことよかろう。すぐに寝付くことができる」

 それは私としても望むところだった。

 彼はおずおずと杯を受け取ると、そっと口をつけた。甘い果実酒ゆえ、酒が苦手な者でも飲めるはずだ。

 一通り、「熱い!」だの「舌をやけどした!」だの文句を並べたが、甘い酒は美味かったらしく、すべて飲み干してくれた。

「……温まっただろう。これなら眠れるな?」

「……クラクラする。おまえの……せいだ」

 言うに事欠いて、独り言のようにそうつぶやくと、彼はそのままくったりと横倒しになった。

 これはまた……ただの果実酒なのに、ずいぶんと即効性があるものだ。下戸だというのは嘘ではないらしい。

「やれやれ……」

 ため息一つをはき出し、力の抜けた身体に上掛けをきちんとかぶせる。風邪でもひかれたら大事だ。……いや、面倒が掛かるということではなく、彼の頭脳は私の計画に必要不可欠なのだ。

 性格にはやや難があるものの、軍師としての才覚は仲達に引けをとらない。

 心ならずも遠呂智に与し、時を凌いでいる現在だが、反乱軍残党の討伐戦で彼は十二分にその能力を発揮した。もちろん、彼にとっては憤懣やるかたなき状況であったろう。それにも関わらず、彼の弄した策は遠呂智さえも瞠目すべき戦果を残した。

 規則的な呼吸音に安堵の吐息をつき、私も座臥に伏した。

 彼の体温でそこはほんのりと暖まっていた。

 ……ああ、この男の身体にも温度があるのだな……と我ながら馬鹿げたことを考え、夜の静寂に身を任せた。

 続く明日への、休息を取るために……