夜明け前
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 曹 丕
 

 
 

「……仮にこちらの思惑に気づかずとも、彼らはこのまま黙ってはいまい。反遠呂智勢力としての中核をなし、行動を開始するだろう。遠呂智陣営に打撃を与えるという点では期待できる」

 彼の國に属する者どもを思い起こし、私は慎重に言った。

「……呉の力は期待できるのか?」

「単独で遠呂智に対することは不可能であろうが、必ず使える。それにおまえのように日の本の国の武人が身を寄せている可能性もある。……まぁ、これはやや希望的観測だが」

「…………」

「つまり……孫策を上手く逃しさえすれば、どう転んでも、こちらが動くときに利になるのだ、三成」

「…………」

「……今はまだ遠呂智に疑われては好ましくない。……雌伏の時を耐え、徐々に周囲を固め、真の好機を待たねばならぬ」

「…………」

「此度は討伐戦ゆえ、違和感なく逃すのは難しいとは思うが……」

「…………」

「……三成?」

 扇をもてあそびつつ思案にくれる彼に声をかけてみた。細い眉が険しげに寄せられ、声にならぬつぶやきが薄い口唇からこぼれ落ちる。

 配置する武将の名前、そして地形、所要時間に兵士の数……

 ブツブツと頭に浮かんだ策を、無意識に口にしているらしい。

 どうやら会話の続きで思索作業に入ってしまったようだ。色味の薄い瞳が一心に地図をにらみつけ、癖なのか扇の骨の部分をいじっている。

 真剣なまなざしに、私は彼の邪魔をせぬよう黙したまま時を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 ……おかしな比較かもしれないが、彼のこんな所作は周瑜に似ている。

 彼も予告なく自分の考えに沈みこんだり、唐突に話し出したりする。相手の都合などはおかまいなしなのだ。

 もちろん、似ているのはそこだけで、人柄や在りようは天と地ほどに隔たるふたりである。私はこの我が儘自己中心男と、夢見る天然軍師の対面を想像し、つい口元がゆるんでしまった。

「おい、曹丕。何をへらへら笑っている?」

「……別に。笑ってなどおらぬが」

 とごまかした。

「いや、笑った」

「……笑って居らぬ」

「俺が笑ったといったら笑ったのだ!」

 子供の口げんかのように言い返され、やや辟易としてなだめた。

「……少し疲れているのではないか? 昨夜の酒が強かったのだろうか……」

「なんだとッ! 貴様、俺が酒に弱いと思ってバカにして! 今は頭脳明晰だ!ちゃんと策だって考えついた!」

 またもや感情的葛藤……つまりヒステリーを起こしそうになる。扱いが難しい人間だ。

 ああ、そういえば、私が幼少の頃、城の私の寝殿に入り込んだ迷い猫がこんなふうに毛を逆立てて……

「曹丕! 聞いているのか!」

「……ああ、すまぬ。おまえの思考を遮らぬよう待って居る間に、いろいろと昔のことをな……」

「……ッ 気持ちはわかるが……いくら過去のことを考えても現実が変わるわけではない。貴様も物思いはあろうが……今は目の前を課題をかたづけていかねばな」

 こちらの物言いをどう誤解したのか、彼はひどく神妙な面持ちで私を気遣った。

「……ああ、もちろんだ」

「よし。では話をする。一度しか言わぬ故、きちんと聞き置け!」

 どこぞの講師のような物言いをし、三成は扇子で地図をタンと指し示した。