夜明け前
<14>
 
 
 曹 丕
 

 

「ぐ……ッ う……うん……?」

 上手く呼吸ができずに、苦しげに喉をのけぞらせる。

 わずかに口元をゆるめてやるが、背中に回した腕は放さない。そのまま体重をかけ、私よりは裕に一回りは華奢な身体を座臥に押しつけた。

 その間も重ねたままの唇から、微かに熱を感じた。顔を押さえた左手にも、ほんのりと温かみが戻る。

「ん…… んぐ……ッ」

 片手でひとまとめにした腕が、ようやく大人しくなってから、私は彼を解放した。

 

「いきなり何をするのだ、このうつけ者!」

 座臥の座布団を、がしっと鷲掴みにすると、三成が私に向かって放り投げた。それを片手で受け止める。

「き、貴様……曹丕! 私が……私が真剣に悩んでいるというのに! おのれ、この……!」

「おまえがいかに深刻に悩もうとも、人の生き死にはどうこうできるものではない。それよりもおまえの想う者どもと会えるとき、このような有様でどうする。まともに物も食わずに栄養失調の軍師では、緒戦の指揮すら執れぬぞ、三成」

「……! う、うるさい! そんなこと貴様に言われずともわかっている!」

「そうか。ならば昼餉を食するか?」

「食べる! ここに運ばせろ!」

 ……ここまで想定どおりというか、こちらの予想どおりに動かれると苦笑が漏れそうになる。

 もっとも、あのような不埒な振る舞いの後に、嘲笑などしたとしたら、平手打ちのひとつも喰らうことになるだろう。さすがにそこまではごめんだ。

 

「軍師どのにおいては、元気そうでなにより。……今すぐに、食事を運ばせよう」

 やや大仰にそう言った私に、彼はもう一つの座布団を投げつけてきたのであった。

 

 

 

 

 

 

「加藤……清正?」

 言い慣れぬ言葉を、私はなんとか口にしてみた。それから……ああ、なんといったか、そう、フクシマ……『福島正則』だ。

「ああ。……子どもの頃から……ずっと一緒で……」

 手の中で茶器をいじりながら三成がつぶやいた。おそらくこの彼の物言いと表情からして、まさしく『身内』……彼にとってとても大切な人物なのだろう。

「清正も正則も……その、頭は悪いが強い武人だ。容易に死ぬようなことはないと思うが……清正……」

 口の悪い三成らしい物言いだが、心底彼らを心配しているというのは、私にも伝わってきた。

「そのマサノリとやらはともかく、清正……か。おまえにとって特別な相手なのか」

 彼の名を口にするとき、三成の口調が変わる。慣れてしまえば、この男の感情を読み取るのはそう難しいことではなかった。

「だ、だから言っただろう! ヤツは子どもの頃からの付合いなのだ。俺が身を案じるのは当然の相手なんだ!なにもおかしいことはなかろう!」

 怒ったようにそう叫ぶと、ふたたび口元に、組み合わせた手を当てる。不安なことや気持ちが落ち着かぬ時、彼はその仕草をする。

 なんとか食事をとってくれたのはよかったが、不安がぶり返してきたようだ。

 今、この場所で考えても、どうにもなりはしないことだ。我が陣営は未だ、遠呂智軍に協力している体勢であるし、私も三成もそう自由に動き回ることはできない。事を起こす前に変に疑われては、大事をし損じる。