夜明け前
<16>
 
 
 曹 丕
 

 

 それから、数日は何事もなく過ぎた。

 少し元気を取り戻した三成が、張遼や典韋の前にも姿を見せ、彼らを安心させた。

 我らはひたすら、孫呉を中心とした者ども……正確には、どのような人間たちが集まっているのかさえ正確にわからぬものの……だが、彼らの蜂起を頼みに時を待った。

 そこには歴戦の水軍大都督、周瑜、それに江東の小覇王、孫策が居る。それに三成の側近だという男、島左近……他にも、数名の猛将が集っているという。

 遠呂智の軍を撃退し、我らが反旗をひるがえすのは、まさにその機を待たねばならない。

 周大都督の水軍がこの地に攻め上り、遠呂智軍を混乱に陥れたとき、我が魏軍もそれに呼応して蜂起するのだ。

 

「三成、軍の調整はどうだ」

 例によって、張遼らに人払いを頼み、私と三成は小部屋にこもっていた。

 『機は近い』

 我らはそう考えていた。

 なぜなら、周大都督らが水軍を率いて、この地まで攻め上るためには、潮の流れを正確に把握しておく必要がある。

 まもなく、季節が移る。

 潮の満ち引きが変調する。

 満ち潮の分量が増え、いっそう内陸まで水流が流れ込むこれからの時期は、水軍を率いる者にしては戦いやすい時節だ。

 そして、この前の周大都督との直接的なやりとりの中で、今まさに孫呉の残党は、攻撃を仕掛ける機を狙っていると考えられるのだ。

 

 

 

 

 

 

「……遠呂智の軍勢に悟られぬよう準備するのは骨が折れるが……現段階に置いては、最善を尽くしている。兵士の士気も上がっている」

 三成が言った。

「そうか」

「孫呉の水軍が奇襲を仕掛けてきたとき、いかにすばやくそれに呼応し、動きがとれるかが最大の問題であろうな」

 扇を弄びながら、三成がつぶやいた。

 ちなみに今日の彼は、我が国の装束を身につけている。彼はほとんど着の身着のままで、この地に放り出される格好であったので、身の回りのものはこちらで整えてやった。

 三成が普段身につけている、日の本の国の装束に似せた着物も何枚か作ったが、たまにこうして中華風の衣装を身につける。もちろん、文官のものがほとんどであったが、女人が着るような、裳と絹を重ねるやわらかで美しい色合いのもののほうが似合いそうな雰囲気だ。

「……大分、冷えてきたな。満ち潮が多くなる時期だ」

 私はそう言った。

「早馬ででもなんでも、なんらかの方法でこちらに知らせを送ってもらえれば、尚のこと対処しやすいのだが……」

「なかなか難しいだろうな」

 あまり希望的観測でものを言える状況ではない。

「だが、いざとなれば即座に行動に移す。……曹丕、おまえの号令で我らは一丸となって反旗を翻す。そして可能な限り兵を生かす。周大都督と合流できるまでの間、どこまで耐えきれるかが目下最大の懸案といえような」

 三成がしっかりとした口調でそう言った。

 『清正』のことは、ずっと気になっているのだろう。だが、今の彼は軍師として皆の命運を背負い込んでいる。そして揺れることはない。

 ……無理をしているのだろう。

 それは側にいる私がよく知っている。だが、『策を練る』……それも、失敗の許されない緻密で複雑な駆け引きを思考するという作業は、私に手伝えることなど少ない。

 少しでも三成が動きやすいように、そして彼の健康状態に鑑みることが数少ない『してやれること』であった。

「曹丕、いつでも動けるように……心づもりをしていてくれ」

 三成は小さく吐息するとそう言った。ため息ではなく、詰めていた呼吸を解いたという様子であった。

「わかっている。覚悟は決まっている」

 私はそう応えた。