虎と狐
<1>
 
 
 加藤清正
 

   

「……とまぁ、そういうわけでな。清正ももうそろそろそんなことを考えてもいい年頃じゃろう」

 満面の笑顔で秀吉様が言った。

「い、いえ、秀吉様、自分はまだそんなつもりは……」

 正則、三成と、この俺。表座敷に三人並んだ俺たち子飼の将らは、唐突な秀吉様の話に少なからず驚いていた。もっとも三成だけはそれをあからさまに表に出すことはなかったが。

「先方がおまえを気に入ったといっとるんじゃ。逢うだけでも逢ってみぃ」

 遠呂智の世界から無事に帰ってきて一月がたったころ、これぞもうけものといった様子で、秀吉様はこの俺に結婚話をすすめてきているのである。

 困った。

 いきなり結婚話なんて……どう応えればいいのか。

 おまけに秀吉様のとなりでは、おねね様がにこにこと笑っているのだ。

 

「いや、しかし……!」

「わしの話はそれだけじゃ。わざわざ呼び立てて悪かったな。何か必要なもんがあったら、ねねに頼むとええ」

「い、いえ、秀吉様ッ!」

 唐突な話に俺は腰を浮かせた。しかし、すでに話は終わりとばかりに秀吉様はさっさと引き取ってしまった後であった。

 ……やっかいなことになった。

 

 数日前から、妙に秀吉様とおねね様が、浮かれ気味であったのだ。おねね様が楽しげにしていらっしゃるのは、俺にとっては嬉しいことであったが、まさかこんな話があるなんて。

 結婚と言えば、正則も三成もまだじゃないか。

 なにも俺だけいきなりの結婚話なんているのは……本当に困る。

 そもそも先方が気に入ってくれたという話しだが、どんな『先方』なのだ。特別に女性と話した記憶もないし、ふたりきりで会った記憶などまるきりないのだ。

 

「あのねぇ、清正」

 と、やさしい声で後を引き取ったのは、当のおねね様であった。

「うちの人だって、なにも無理に結婚しろって言ってるんじゃないんだよ。ただね、せっかくそういう申し出があったんだから、会って話してみるだけでもいいんじゃないかなって。そしてもし気が合うようなら……」

「い、いえ、おねね様。自分はまだまだ秀吉様とおねね様の元で力を尽くして……」

「うんうん、それはわかってるよ。清正は本当にイイコだね。だから気軽な気持ちでいいんだよ」

「はぁ……」

 女神ともあがめるおねね様に、なおもそう言われては頷き返すより他はない。

 

 

 

 

 

 

「はぁ~……」

 退室の途中で深いため息を吐いた俺に、いつもの調子で正則が跳びかかってくる。まるきり子どもの頃のじゃれあいと変らない。

「ひょぉう、清正ァ!やったじゃねーか。ちっくしょ、うらやましーぜ!」

「おい……」

「かーのじょ、かーのぉじょ、俺も欲しいぜェ」

 大声で正則が叫ぶ。

「おい、バカ。大声でそんなこと言ってんな。まだぜんぜん決まった話じゃないだろ」

 俺はため息混じりで言い返した。

「秀吉様がわざわざこうして話をなさったのだ。……いずれにせよきちんと返答せねばならないだろう。それくらいはわかっているんだろうな」

 不快を隠すこともなくそう言ったのは、部屋ではずっと無言だった三成であった。

「わかってるさ。面倒だけどな」

「……もしかしたら、おまえ好みの美しい女性かもしれない」

 無愛想な三成の言葉に、俺のイライラは頂点に達する。

 

 ……ここだけの話だが、三成と俺とは少々特別な関係にある。

 好きだの愛しているだのという理由ではなかろうが、何度も寝所を供にしているのだ。

 寝たいときだけ、ふらりと側に寄ってきて、終わればいつもどおりのヤツに戻る。

 そもそも誘われて応じる俺も俺なのだろうが、男同士の気楽な関係というところだろうか。

 戦で野営などが続けば、たまることはたまるので、そんな行為も受け入れてこられたわけだったが、三成がどんなつもりで、俺の相手をしているのかはわからない。

 そもそもそんな話をしたことすらないのだから、やはり俺たちの関係はおかしいのかも知れない。

「あー、確かにな!秀吉様の手前もあるから、会うだけは会ってみるよ。めんどくせーがな」

 言い争いにならない間に、そう言い置くと、俺は自室に引き取ったのであった