虎と狐
<9>
 
 
 加藤清正
 

    

「斎藤右衛門の介忠久、謀反の疑いあり。勅命があるまで蟄居せよ」

 秀吉様がしたためられた書状を見ながら、一言のもとに断罪した。

「……それは何者かの計略にござる!我ら斎藤の者、この日まで秀吉様に忠心を捧げて参りました」

 忠久はなおも秀吉様に食い下がった。

 斎藤右衛門の介忠久……

 ……この男は、あの夜、三成を抱いていた輩だ。

 きっと、三成はあの男の言を裏付ける証拠を、秀吉様に見せつけたのだろう。

「斎藤の。蟄居申しつけだけでもありがたいと思え。いずれ詮議を始める。そのときに言いたいことがあれば聞くからのぅ」

 秀吉様が話は終わりとばかりに立ち上がった。

 側で控えていた、三成、正則とともにそれに従う。

 

 そのときである。

 斎藤某はザッとばかりに勢いよく立ち上がると得物を抜いた。

「おのれ……おのれぇ、石田三成め……!よくもよくも、わしを欺きおって~!」

 刀を抜くと、三成めがけて一挙に間合いを詰めてきた。

「この恨み思い知れ!」

「三成、退け!」

 考えてしたことではなかった。とっさに身体が動いていた。

 三成の頭蓋を狙った、袈裟がけの白刃を、俺は両手で挟んで受け止めた。

「ぐぅぬぅぅ!加藤清正!」

 憎々しげに俺の名を呼び、囚われた刀をそのまま振り下ろそうと力を込める。

「くッ……!」

 手のひらから血が流れ出す。

「謀反人だ、出合え出合え!」

 俺がそう叫ぶと、時間が止まったように動かなかったまわりが正気づいた。

「この野郎~!」

 正則は抜刀すると、即座に忠久に斬りかかった。

「ぐおぉ!」

 腕を切りつけられた忠久は、刀を取り落とし、その場にうずくまった。それをすぐに家人たちが取り囲む。

 

「あぁ……正則助かった。痛っ……!」

 両手の間からぼとぼとと血がこぼれる。それを見て、俺の背後で石のように固まっていた三成が、ようやく気を取り直した。

「き、清正……!どうして……? ああ、手から血が……ッ!」

 彼は口で下着の袂を裂いて、俺の手に当ててくれた。

「どういうつもりなのだよ……俺をかばって……こんな……」

「勝手に身体が動いていただけだ。気にすんな」

 俺はそう応えた。

 三成は頭を振ると、呻くようにつぶやいた。

「バカな……なぜ…… ああ、くそッ!血が、血が止まらない」

「大丈夫だ。すぐに止まるから」

 俺たちの目が合った。そういえば、ここのところ三成とまともに会話する機会がなかったのだ。

 息のふれあいそうなほど近くで見た三成の顔は、少しだけやせたように見えた。

「おい、清正、大丈夫かよ。おい、頭デッカチ、さっさと血ぃ止めろ!」

 おろおろと正則が言う。

「正則、医者を呼べ、急げ……!」

 三成があえぐようにそう言った。

「お、おう……!」

 正則が慌てて座敷から飛び出していった。

「清正……手を……両手を心の臓より上に上げろ」

 三成が震える手で、俺の両手を包むと胸よりも上に持ち上げた。真っ青で微かに震えている彼だ。端から見ればそちらの方が怪我人に見えただろう。

「なんで、俺を守ってこんな怪我を……貴様は俺を疎んじているのだろう」

 くぐもった声はよく聞き取れない。だが、三成の自虐的な言葉は、わずかに耳に入った。

「誰が誰を嫌ってるって?おまえひとりで、勝手にどうのこうのと考えすぎなんだろうが」

「……か、考えなければわからないではないか、貴様の気持ちなど……ッ!あ、あんなところを見られて……おまけにおまえは結婚を……するのに」

 どうやら三成の頭の中では、俺がすでに結婚することに確定しているらしかった。