虎と狐
<10>
 
 
 加藤清正
 

    

「しねぇよ、結婚なんか。ちゃんと話をしたんだからな」

 ため息にならないよう気をつけて、俺は三成にそう告げた。

「あ、あの日から、おまえは俺を避けていたではないか……!」

 俺の手を握る三成の腕がガクガクと震えた。

「おい、落ち着け。避けていたのはおまえのほうだろ。俺はいつもと変らないぞ」

 これは本当のことだった。

 俺の方であえて三成を避けた覚えはない。彼の方が意識的にこちらを忌避していたはずだ。

「避けてた……!絶対に貴様のほうが、俺を避けていたッ!」

 三成の大声に、家臣が集まってくる。できれば会話の内容を聞いて欲しくはなかった。ただでさえ、うわさされやすく敵の多い三成だ。よけいな話を聞かれるのは好ましくない。

「わかった、わかった。もう手の方は大丈夫だ。自分で持ち上げているから」

「医者が来るまでこうしている」

 うつむいたまま、頑固にも三成がそう言った。

「わかった。じゃあ、少し力を緩めてくれるか。もうそれほど痛まないからな」

 噛んで含めるようにそういうと、ようやく顔をあげて、手の力を緩めてくれた。

 ……泣いている。

 久しぶりに、三成の泣き顔を見た。歯を食いしばって泣くところは、子どもの頃と変らない。

「……大丈夫だって、泣くなよ」

 小声でそう声を掛けたが、ヤツは、

「一度泣くと途中で止まらないのだよ!」

 と、ひどく怒ったようにそう言ったのであった。

 

 

 

 

 

 

「まったく無茶をする子だよ。しばらくの間は手が使えないからね。三成、正則、いろいろ手伝ってあげてね」

 おねね様に痛み止めの薬を飲まされ、横にならされる。

 別に病ではないのだから、病人よろしく床につく必要はないと思うのだが、確かに手のひらはズクズクと疼き、まるで炎を掴んでいるような感覚だ。

「清正、痛くねーのか。ずいぶん血が出ただろ」

 人のいい正則が心配顔でそう訊ねてくる。

「……ああ、大丈夫だ」

 と返しておく。しかし、両手が使えないというのはかなり厄介な状態だ。

「ふー……三成も、正則ももういいぜ。俺は言われたとおりに少し眠るから」

「おう、じゃまた後でな。行くぜ、頭デッカチ」

 と、正則が促すが、三成は動こうとはしなかった。

「俺はもうしばらく側についている。正則、先に戻ってろ」

「んだよ、だったら俺だって……」

 という正則に、俺はもう行くように言った。たぶん、三成はまだ俺に言いたいことがあるのだろう。そう感じたからだ。

「じゃ、正則、悪いが頼むわ」

 と、秀吉様たちのことを任せ、部屋には三成が残った。

「どうしたよ、三成。俺はもう大丈夫だぞ」

「……清正」

 ぼそりと三成がつぶやいた。

「清正は……特別なんだ」

 うつむいたままなので、彼の顔を見ることができない。

「なんだよ、それは……」

「……だから!貴様は特別なのだよ。前に言った」

 『前に言った』?

 そんな話聞いたこともない。

「前にって……なんの話だよ」

「誰とああいうことしても……特別は清正だけだ」

 ボトボトと三成の顔から水滴が落ちた。涙だと気付き、俺は半身を起こした。