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〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家&おまけの『うらしま』〜
<13>
 
 ヤズー
 

 


 

 

  

 

「ヤズー……戻ってきたようだ……!」

 ガタンとヴィンセントが立ち上がった。それに合わせてテーブルの上のハーブティが、緩く波立つ。

「え? ウソ? 音、した?」

「帰ってきた。……もうこのような時間まで……」

 ハァと大きく息を吐き出すヴィンセント。きっと無事に戻ってきた安堵と、予想よりも遅い時間であることへの困惑が入り交じっているのだろう。

 なるほど耳を澄ませてみると、微かに車の音が聞こえる。タクシーを拾ってきたらしい。

 俺たちは玄関まで彼らを出迎えに行った。

 

「セフィロス……ッ!?」

「『セフィロス』……いったい……!」

 ふたりの声が重なる。

 だが、俺もヴィンセントもどっちの「セフィロス」に対して言っているのか、まともに認識してはいなかった。

「あ〜、クソ、鬱陶しいッ! おい、イロケムシ、表のタクシー、払っておけッ!」

「あーあー、もぉ、仕方ないなァ」

「おい、しっかりしろ、ボケ老人! オレの背中で吐くなよ、クソツ!」

 ゾンビのようにぐったりと背負われた『セフィロス』は、指一本動かさない。

「ど、どうしたというのだ? ぐ、具合でも……」

「ただの飲み過ぎだ。寝かせておけば治る。どけ、ヴィンセント」

 オロオロと立ちつくすヴィンセントを邪険に退けて、セフィロスは奥のサンルームへと足を進めた。

 大急ぎでタクシーの支払いを済ませ、すぐさま居間にとって返す。

 すると、ちょうどセフィロスが、もうひとりの『彼』を、寝台に下ろしたところであった。

「あー、やれやれ、肩が凝った!」

 悪態を吐きつつ、側のソファにどかりと座り込む。行儀悪くも、両足はテーブルの上に乗せているのだ。

「ああ、『セフィロス』……『セフィロス』…… どうして、こんなになるまで……」

 今にも泣き出さんばかりのヴィンセント。いぶかしく思い覗き込んでみると、さすがにギョッとしてしまった。

 

 『セフィロス』はただでさえ、色が白い。

 雪のように……などという形容が一番似合う。

 その真っ白な頬が、真っ赤に上気し、浅い呼吸をせわしなく繰り返している。眉間に刻まれたシワ、こめかみの脂汗……頬が不自然に濡れているのは、どうやら涙の軌跡らしい。きっと苦しくて、無意識のうちにこぼれ落ちてしまったのだろう。

「ヤ、ヤズー、ヤズー、ど、ど、ど、どうしよう!? き、急性アルコール中毒とかだったら…… セ、『セフィロス』が死んでしまったら……」

 自分の口から飛び出た言葉にショックを受けたのかも知れない。

 そうつぶやくと、堰を切ったように、ボロボロと泣き出してしまった。

「ヴィンセント、大丈夫だよ、落ち着いて。……急性アルコール中毒なら、昏睡するはずでしょう。二日酔いのひどいヤツだろうね」

 腕の怪我をしたときとは、比べものにならぬほど苦しげな様子だ。

「ふ、二日酔い? こんなにつらそうなのに? ほ、ほら、息をするのも難儀な……も、もし手遅れになったら……」

「二日酔いってかなり苦しいから。ヴィンセントはあんまり経験ないだろうけど」

 そう言って慰めてやっても、心許なげに額のタオルを取り替え、オロオロと室内を歩き回るヴィンセントであった。

「ケッ、ったく情けない野郎だ。あの程度の酒で」

 バツが悪かったのだろう。セフィロスが吐き捨てるようにつぶやいた。

 だがそのセリフは、この場においてあまりにも間が悪かったと言えるだろう。

「き、君は……ッ! き、君が一緒についていながら……どうしてッ!?」

 つかみかからんばかりの勢いで、セフィロスに迫るヴィンセント。

「彼が普通の人間よりも、いささか世間知らずなのは理解していようッ? 何故、止めなかったのだッ! こんなになるまで放っておくなど…… なんて可哀想なことを……!!」

 ……止めるどころか飲ませたのはセフィロスだろうけどね、と俺は思った。

 もちろん口には出さないが。

「しかたねーだろ。口当たりがいいヤツをすすめたら、飲みやすかったようでな……」

「ならばなおさらだ……ッ! 彼はまだ傷が癒えていないのだぞッ!? 同じ姿をした同胞だというのに、どうして君は……君という人は……ッ!」

「ああ、もう、泣くな。わかったわかった、オレが悪かった」

 辟易として、なだめすかしにかかるセフィロス。さすがの彼もヴィンセントに泣かれるのは弱いらしい。

「……あ……? ハァ……ハァ……ッ……」

 寝台から微かな声が聞こえた。

 ヴィンセントとセフィロスのやりとりのせいだろう。彼はうっすらと目を開け、状況を把握しようと思いを巡らせているようであった。

 いち早く寝台にへばりついたのは、もちろんヴィンセントであった。

「『セフィロス』?『セフィロス』? 大丈夫か? ……可哀想に……具合が悪いのだな……? 私がもっときちんと話をしておけば……」

「……ハァ……ハァハァ…… あつ……い……」

「ヤズー、水と氷をッ! それからタオルッ!」

「はいはい!」 

 悲鳴のように叫ぶヴィンセントに、絞った濡れタオルと、グラスに淹れた冷たい水を手渡した。ウチのセフィロスがソファにふんぞり返ったまま、憮然とした表情で眺めている。

「水をたくさん飲んで、それからあとでビタミンCのサプリメントを…… すぐに楽になるはずだから……」

「……あ……ハァ……ハァ……」

 ヴィンセントが、冷やしタオルで彼の額を拭い、肌に張り付いたようになっているシャツの前ボタンをはだけた。そこにもそっとタオルを置いてやる。

「……ハァ……ハァ……ハァ……あつ……い」

 低くつぶやくと、綴じ合わせた双眸から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。さすがに俺もこれには吃驚してしまった。無意識の行動とはわかっていても、涙を流すセフィロスというのは、かなり鮮烈な印象であった。

「あららァ、泣いちゃって…… 可哀想に……」

「ヤズー! そんな、のんびりとしたことをッ!」

 とばっちりがこちらにも降りかかってきてしまった。

「『セフィロス』? 水を飲もうか? 喉が渇いてしまうだろう? アルコールも醒めるし…… さぁ?」

 幼い子どもに言い聞かせるように話しかける。

「ヤズー、少しだけ身体を起こしてやってくれ!」

「オッケー」

 よいしょと持ち上げると、ようやく正気づいたように、『セフィロス』は氷の瞳を見開いた。

「……あ……? ヴィン……セント?」

「ああ…… もう大丈夫だから……何も心配することはない…… 水を『セフィロス』……」

 そっと口元に宛てたグラスから、『セフィロス』は一気に水を飲み下した。やはり酔いのせいで、ひどく喉が渇いていたのだろう。それには吐き気止めとビタミン薬が溶かしてあるのだが、彼はまったく気付かないようだった。

「……ハァ……ハァ……ハァ…… どうして……だろう?」

「ん……?」

「果物の……ジュースを……」

「え? ……果物?」

「果物の……ジュース……しか…… 口にして……おらぬ」

 途切れ途切れにつぶやく『セフィロス』。

 しまったとばかりに、額を押さえるのは、ウチの意地悪大魔王の方だ。

「ヴィンセントの……言いつけ……どおり……」

 ヴィンセントが、うんうんと頷いて、なだめるように大きな子どもを抱きしめた。

「フツー気付くだろ?」

 俺はぼそりとこぼしたセフィロスを、軽く蹴っ飛ばしてやった。これ以上、いらないことを言うなと。

「……今夜は私が付いているから、安心して休みたまえ」

 静かに元のように寝台に横たわらせ、ヴィンセントはそっと彼の髪を撫でた。

「……ヤズー、セフィロス……後は私が……」

 ヴィンセントがつぶやいた。

「ハァ? ガキじゃあるまいし、もう眠ったんなら放っておきゃいいだろ?」

「…………」

 ムッとしたまま沈黙を守るヴィンセント。

 セフィロスも今夜はずいぶんと絡んでくる。

「いい年こいて二日酔いで沈没なんざ、自業自得だ、自業自得!」

「…………」

 ヴィンセントは黙したままだ。気まずい空気が流れる。

 なぜかこういうときに取りなすのが、俺の役目のようになってしまって、疲れるわけではあるが……

「……セフィロスも自分の部屋に戻って休んでくれたまえ。彼には私が付いているから」

「放って置けと言ってるだろ。オレの言うことが聞けないのか!」

「……き、き、き、聞かないッ!」

 おとなしいヴィンセントが、そう叫んだときには、さすがの俺も驚いてしまった。

「聞かない……ッ! 君のいうことは聞けないッ! ……どうして、もっとやさしくしてやらないんだ……ッ こんなに繊細で脆い人なのに……! 皆が皆、君のように強靱な心を持っているわけではないのだぞッ! 世慣れて余裕があるわけじゃないんだッ! 君は意地悪だ……ッ!」

「……このッ」

 カッとしたセフィロスの声に、ヴィンセントはびくりと身を震わせたが、怯みはしなかった。

「はいは〜い、そこまでェ。何時だと思ってんの、ふたりとも」

 ようやく俺は割って入ることができた。正直、ヴィンセントがこんな風に怒りを露わにするとは思わなかったのだ。

 セフィロスにしてみれば、酒を飲ませたことだとて、ちょっとした悪戯心だったのだろう。どんな話をしたのかは知らないが、思いの外『セフィロス』は酒に弱く、またヴィンセントにここまで非難されるのは予想外と思われる。

 ヴィンセントは自身のことで、これほどまでに必死になることはない。だが大切な人間のためにならば、だれよりも勇敢になれる紳士なのであった。

 ふぅと一息つくと、俺は声を潜めてふたりにもの申した。

「せっかく眠ったのに、『セフィロス』が目覚ますでしょ?」

 俺の言葉に、慌てて寝台を振り返るヴィンセント。

「兄さんたちが起きてきたら面倒なことになるしね」

「…………」

「まぁ、まだ怪我も完治していないわけだし、ここはヴィンセントに看てもらおう、セフィロス。俺たちは先に休ませてもらうね。そのかわり、明日の朝の仕度は俺がするから。『セフィロス』の容態に問題がなければ、あなたもきちんと眠るんだよ、ヴィンセント」

 とりまとめた俺の意見に、ヴィンセントが頷いた。

 セフィロスも不満そうであったが、何とか部屋に引き取ってくれた。

 寝室の薄明るい月光が、眠り姫のおもてを映し出す。

 奇しくもヴィンセントが口にした「繊細で脆い人」というにふさわしい、儚げな風情に俺の心はざわつくのであった……