悪魔のKISS
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<3>
Interval 〜03〜
 セフィロス
 

 

 

 
 

 

 オレは、ヴィンセントに促されるまま、おとなしく食事を済ませた。

 もっとも「食事」とは言っても、スープと果物を食うのが精一杯だったが。

 

 感心なことにチビ猫……ああ、こいつと同じ名前……『ヴィン』は、ベッドの上にじっと座ったまま、こちらを見つめているだけで、邪魔になるようなことはしなかった。

 クソガキどもよりは遙かにマシと言える。

 

「……食ったせいで、また汗をかいた。鬱陶しい」

 押し黙っているのも気詰まりなので、オレは憎まれ口を叩いた。

「あたらしい寝間着を持ってきてもらった。一休みしたらこれに着替えよう」

 まるでガキに言い聞かせるようなヴィンセント。

「本当は身体を拭いてから着替えさせてあげようと思っていたのだが、君が無理をして風呂なんかに入るから……」

「……シャワーを浴びただけだ。よこせ、自分で着替える」

 寝るときにピッチリ夜着など身につける習慣はない。多少わずらわしい気もしたが、完治するまでは致し方ないと思った。

 

 オレがソファで着替えている間に、ヴィンセントは手早くベッドのボックスシーツをひっぺがし、新しいものに敷き替え、掛布から羽布団のカバーまで取り替えてしまった。

 そんなことをやったこともないオレから見れば、そのスピードは、ほとんど早業……『芸』の領域だ。

 つい、惚けたように眺めていたオレに微笑みかけると、

「枕カバーも替えておこう。髪が濡れていたようだ」

 と、ささやいた。

「…………」

「さぁ、もう済んだ。ベッドに入ってくれ」

「……ああ」

 言われたとおり寝台に戻る。

 ……どうもいつもと勝手が違う。

 

 この場所にやって来て多少の時間は過ぎたにもかかわらず、オレの側にいるときは、いつもビクビクおどおどとしていたヴィンセント。たまにやさしい言葉をかけてやっただけで、困惑したように微笑み、おずおずと礼を口にするようなキャラクターだ。

 だが、なぜか今日の奴は、妙に確固たる意志のもとに動いているように見受けられる。さきほど、部屋からクラウドを追い出したときなど、まさしくそんな雰囲気だった。

 

 オレが下半身を布団に潜り込ませると、ヴィンセントが水と薬を差し出した。

「粉薬なのだが、熱にはこれが一番いいと思う。自分で飲めるか?」

「……フン、では飲めないと言ったら、口移しにでもしてくれるのか?」

 軽口を叩いてやる。そうそういつまでもコイツのペースではいられない。自由にならないこの身体にイラつきもしていた。

 

「君が飲みにくいというのなら、そうしよう」

 冗談なのか本気なのか、いつものように静かにそうささやくヴィンセント。

「…………」

「……セフィロス?」

「…………」

 言葉が続けられない。

 

「……?」

「……おい、おまえ」

 オレはわずかな間隙の後、奴に呼びかけた。

「……どうしたのだ。珍妙な顔をして」

 『貴様の行動の方が珍妙だ!』と叫びたいところを押さえ、オレは低くつぶやいた。

「……おまえのおせっかい焼きにはもう慣れたが……ずいぶんと積極的だな」

「……セフィロス?」

「いつもはビクビク避けやがるくせに……どういうつもりだ」

 ヴィンセントはルビーの色をした切れ長の双眸を見開いた。

 

「……そんな……避ける、なんて……私は……」

「オレのことが怖かったのではないか?」

「……それは……その……」

「それともこうして、具合が悪いときなら、側に寄っても平気ということか」

 オレはツケツケとそう言ってやった。息の掛かるほど側近くに寄ってきても、わずかな怯えすらも見せない姿がひどく不快に写った。

「……セ、セフィロス……」

「フン、まぁ、別にどうでもいい。……それより、何故そんなにオレにかまう。もともとオレと貴様は敵同士だろう」

「だ、だから……私は……そんなつもりはないと……」

「貴様がそうでも、こちらがおまえをどう思っているかはわからないぞ。……油断するにもほどがあるのではないか?」

 ……やはり発熱のせいで、常とは異なる心持ちだったのだろう。普段なら口にするはずもない暴言が飛び出した。少なくともヴィンセントに戦意はないということは、とうの昔に本人の口から聞かされていたのに。

 

「……私は君の敵ではない」

 泣き出すかと思ったが、気丈にも奴はそう言い返した。

「……知ったことか」

「大切なことだ。覚えていて欲しい」

「フン、言うではないか、軟弱者が。……弱ったオレ相手なら、貴様のような愚図でも殺れるかもしれんぞ。おまえの恋人が喜ぶんじゃないか? クラウドのガキが」

 次から次へとくだらない言葉が口をつく。生身の肉体の不自由さに、これまで溜め込んだストレスが、形になって吐き出されていくようだった。

 

「……セフィロス」

「…………」

「……君はやはり私のことが不快なのだろうか?」

「…………」

「側にいると目障りなのだろうか?」

「…………」

 オレは答えなかった。

 ここで、「違う」と否定するわけにはいかなかったし、認めるのはなおさら、おかしいような気がした。

 

 何度もいうように、オレはヴィンセントを気に入っている。

 つややかな黒髪に、血の色の瞳……もちろん外見だけでなく、不可思議な中身も好ましく思っている。

 頭に『バカ』が付くくらいのお人好しぶりも、物静かで穏やかな口調さえも、心地よく感じるようになってきていた。

 似たような男を、わざわざ代わりに相手にするほど執着している……とさえ言えよう。

 

「……すまなかった。具合が悪いのに、うるさくして」

 溜め息が震えないよう気遣いつつ、ヴィンセントはささやいた。

「…………」

「ただ……私は……君の役に立ちたくて……」

 切羽詰まったような物言いを、喉元で押しとどめてつぶやく。

「……いつも、君は……私を助けてくれるから……君にそのつもりがなくても、私は救われているから……だから……」

「…………」

「こういうときなら……私にも出来ることが色々とあるから……いや」

 そこでヤツは言葉を切った。

「……いや……すまない」

「…………」

「……すまなかった。つい……調子に乗って馴れ馴れしくし過ぎたようだ」

 下を向いたまま、ヤツは早口でそう言った。

 わずかな間隙の時が流れる。

 

 ……しまった。

 

 オレは舌打ちしたい気分だった。

 ……ここまで言うつもりはなかったのに。

 普段見慣れないコイツの態度を、不思議に思っただけの事だったのに。問いかけの方向性がよくなかった。

 

「……おい」

 オレは俯いたヤツに声をかけた。

「……おい、ヴィンセント」

「……なるべく不快に思われないように、世話をさせてもらうから……完治するまでは安静にしていて欲しい。……では失礼する」

「おい!」

 三度目の呼びかけは、強い口調だったと思う。

 だが、ヤツはとうとう一度もオレを振り返らずに、逃げるように出て行ってしまった。

 無情にも、木の扉がキィと音を立てて閉まる。

 

   

「……チッ、くそ……失敗した」

 思い出したようにズキズキと疼きだした額を押さえ、オレは一人ごちた。

「みゅん……みゃうみゃう?」

 黒のチビが、肘を立てたあたりに歩み寄ってくる。

「…………」

「みゅんみゅん?」

「おい、どうしてくれる。やっかいなことになったぞ、おまえ……」

「みゅんみゅん」

「バカが……敵に向かって、無防備にほけほけ近寄って来るからだ……チッ……」

 オレはもう一度舌打ちすると、ふぅとばかりに溜め息をついて、寝転がった。

 ヤツが取り替えてくれた、真新しいシーツが心地よかった。

 

 

 


 

  タンタンという機械的なノックの後、

「入るよ、セフィロス」

 と言って、こちらが応える前にズカズカと入ってきたのは、女顔のイロケムシだった。

「……なんだ、今、機嫌が悪い」

「知ってるよ。聞こえてたから」

 激昂する様子もなく、ごく冷ややかにヤズーは言った。

「……説教でもタレにきやがったか?」

「……別に。機嫌悪くなるくらい後悔してる人に、いちいちお説教なんてしないよ」

「なんだと? ……なに、勝手なこと言ってやがる」

「はい、じゃ、水枕。いいよ、動かなくて」

 そういうと手慣れた様子で、オレの髪を持ち上げ、枕を宛った。

 

「みゅんみゅん?」

「その子、どうする? 向こうへ連れていこうか?」

「……いや、いい」

 そう応える。

「そう。じゃ、猫ドア開けておくから」

「…………」

「おやすみ、セフィロス。なにかあったら呼んで」

 あっさりとそういうと、苦情のひとつも言わずにヤズーが出ていこうとした。

 

「……おい、待て」

 オレは低く声をかけた。

「……他に何か用?」

「……おまえはアイツのことを……アイツらのことをどう思っているんだ?」

 やや唐突に切り出す。

「……なに、それ」

 柳眉をひょいと持ち上げて、小馬鹿にしたように聞き返すイロケムシ。

「言ったとおりの質問だ」

「…………」

「……わかっているだろうが、ヤツらはもともと敵対していた連中だぞ。オレが不調のときに、何をするかわからん相手だということを忘れるなよ」

 

 オレの言葉に、ヤズーは嘲笑した。クッと口角を持ち上げて、皮肉な笑みを浮かべる。

 ヤツらの前で見せる、やわらかな微笑とは異なった、禍々しい笑み。聖母のごとく整った美貌が凄絶な邪気に染まる。

 

「フ……また心にもないことを……」

 そうつぶやいたヤツの声は、今まで耳にしたことがないほど冷ややかであった。

 

「……なんだと?」

 オレは訊ね返した。剣呑な空気が流れる。

「『心にもないことを』と言ったんだよ。あなた自身、ヴィンセントのことを、これっぽっちもそんなふうに思ってないくせに」

 絹糸のような銀の髪を、細い指で掻き上げ、ヤツはきっぱりとそう言い切った。

「体調不良のくだらない八つ当たりなんて、あなたらしくもない。……がっかりさせないでちょうだい、セフィロス」

「…………」

 言いたいだけ言い返してくれると、イロケムシはさっさときびすを返して出ていった。

 オレも、もうヤツを呼び止めはしなかった。

 

 もう一度、横になる。

 熱の上がったであろう頭に、氷枕が心地よい。

 

 ……人間の肉体は面倒くさい。

 

 病んだり、痛んだり、そして……欲しがったり。

 

 ……人間の心は煩わしい。

 

 喜んだり、悲しんだり、憐れんだり……他の心を愛したり。

 

 オレは目を瞑った。

 さきほど飲んだ熱冷ましに、睡眠薬が混ぜてあったのだろう。

 

『大丈夫、これを飲んで眠れば、楽になるから……』

 ヴィンセントの聞き取りずらい、小さくてやわらかな声が耳元に蘇る。

 

 それからまもなく、オレは二度目の眠りに落ちた。