悪魔のKISS
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<4>
Interval 〜03〜
 セフィロス
 

 

 

 
 

 

 

 日付の変わらぬうちに三度目覚める。

 こんな一日もめずらしいだろう。

 

 すでに窓から差し込むのは、太陽の光ではなく、月明かりになっていた。

 ずいぶんとよく眠っていたようだが、どうしても体内に、置き火のような熱っぽさが残っている。ずいぶんとしつこい風邪だ。

 

 半身を起こすと、ずるりとタオルが額から落ちた。

 やわらかな布地のそれは、まだひやりと冷たく、ついさきほどまで、誰かがこの場所に居たのだと推察させた。

 

 まるで見計らったように、端的なノックの音。

 すぐにヤズーだとわかる。

 

「……ああ」

 オレは応えた。

「セフィロス、俺。……入るよ」

「…………」

「ずいぶんよく眠っていたみたいだね。具合はどう?」

「……まだ少しだるいな」

「そう。顔色は朝よりいいかな」

「……おい、おまえが居たのか?」

 つい俺はそんなことを訊ねていた。どうでもよいはずのことを。

 

「何のこと?」

 と、とぼけるイロケムシ。

「この部屋に居たのはおまえかと聞いている」

「……別に誰でもいいじゃない」

「…………」

「…………」

「…………」

 

「……俺じゃないよ」

 俺の無言を先読みしたように、ヤズーが答えた。

 薄ら笑いを浮かべているのが気にくわないが。

「……フン」

「……兄さんもそうだけど、あなたも大概素直じゃないね」

 やれやれと言わんばかりの口調で、ヤツは言う。

「なんで、あんなやさしい人に意地悪するのかな」

「……別に」

「ヴィンセントが完全に好意でもって、あなたに接しているのはよくわかってるんでしょ」

「……ああ、わかっている」

 こいつ相手ならばかまわないだろう。いちいち本音を否定するのも煩わしい。

「それなら、甘えればいいじゃない。具合の悪いときくらい」

「そんな格好の悪い真似ができるか」

「わざと心にもないことを言って、つっぱねるほうが、遙かにカッコ悪いと思うけど?」

 ……まったくもって腹の立つ男だ。

 男だか女だかわからないような優しげな面差しをしているくせに、突きつけてくる言葉は氷の刃のようだ。

 だが、それを不快に感じるということは、オレの方に図星を突かれる部分があるからだろう。

 

 喉のいがらっぽさに、オレは少し咳き込んだ。

 ヤズーがハッとしたように、側に寄ってくる。

「ごめん。まだ具合が悪いんだったね」

「……うるさい」

「喉、痛い? なにか……うがい薬か、のど飴が……」

「いらん」

「……セフィロス」

 ヤツは疲れたように、オレの名をつぶやいた。

「普段は、兄さんがヤキモチ焼くほど、ヴィンセントにちょっかい出してるのに。今なら独り占めじゃない」

「……ケッ、バカが。それとは意味合いが全然違うだろ」

 吐き捨てるようにそう言ってやる。

 

「……貴様だったら、あのお人好しの節介焼きに、発熱して弱っているところを見られたいか?」

「……それは」

「昨夜、遭遇したのがおまえならばよかった」

「え?」

「……夜中の話だ。ヴィンセントに、肩を借りて、なんとかやり過ごした。おまけに、一晩中面倒見てもらって……チッ……たく不様なことだ! 」

 思い出したら、ムカムカしてきて、オレは胸元を押さえた。

 

「……なんで俺相手ならいいのさ」

 平坦な口調でヤズーが聞き返す。

「おまえは嫌なヤツだろ。俺の素行に嫌みのひとつでも言いそうじゃないか」

「あたりまえでしょ? ここのところ午前様続きだものね」

「……あいつは一言もそういったことは口にしない。バカみたいに本気で心配してくっついてやがる。おまけにあの献身ぶり。……困惑する」

「ふぅん。じゃ、やっぱり、ヴィンセントのことが嫌いで、部屋から追い出したわけじゃないんだね」

「追い出した? いつ誰が追い出したんだ。アイツが勝手に誤解して出て行ったんだろ。オレは情けない姿を見られたくないだけだ」

「……具合悪いときは、誰でも弱ってるのが普通でしょ」

「そこらの愚図どもならな。オレは違う。……アイツに心配されるようなオレはオレじゃない」

「……なるほどね。単にヴィンセントには、みっともないトコ、見られたくないだけなんだね」

「簡単な物言いをするな。当然だ……オレは貴様らとは違うんだからな」

「はいはい、わかりました。と、いうことで、ヴィンセント。氷のボウル取り替えてくれる?」

 ヤツは残り半分の言葉を、薄く開かれた扉のほうへ向かって呼びかけた。

 

「…………なッ!?」

 ……やられた。

 さすがに動揺した。

 

 いったいいつから居たのか、そこには所在なさげに、ヴィンセントが盆を持って突っ立っていたのだ……

 

「あ、あの……セフィロス……す、すまない、立ち聞きするような真似をして……ヤ、ヤズーがここに居るようにと……あ、だ、だが、彼のせいというわけではなくて……」

 慌てて説明しつつも、ヤズーをかばうヴィンセント。

 

 ……このクソ・イロケムシが!

 本当にやってくれる!この野郎が!

 

 ……いつか、報復してやろう。その綺麗な女顔を歪ませて、泣き叫ぶ様を見てやる。

 

「あー、怒ってる怒ってる。ゴメンね、ヴィンセント。俺、ちょっと逃げるね。あと、よろしく」

 茶目っ気たっぷりにそう言うと、クソ・イロケムシはさっさと出ていってしまった。

 

 ふたりきりで部屋に取り残されるが、二の句が継げなくて、困惑する。

 だが、オレ以上に、困っているのは、バカみたいに直立しているヴィンセントの方らしい。

 チビ猫が、ベッドの上から起き出して、大好きな主人のところに、走り寄っていく。

「にゃん、にゃん!」

 と、にぎやかに鳴くのを、目線で宥めるヴィンセント。

 

「……おい、いつまでそうしているつもりだ」

 オレは紅い瞳の木偶人形に声をかけた。

 

「え……あ……あの……」

「……寒いから扉を閉めて、さっさと中に入れ」

 そう促す。

「い、いいのだろうか?」

「いつオレが出て行けと言った?」

「あ、す、すまない……」

「ビクビクするな。早く側に来い」

「あ、ああ」

 ようやく、わずかながらも笑みを浮かべると、ヤツは氷の入ったボウルを持ったまま室内に入ってきた。ちらりと眺めると、中の氷が溶けかかっている。

「…………」

「あ、あの、先ほどはすまなかった。本当に……不躾な真似をして」

「イロケムシに言われたんだろ。別におまえが謝ることじゃない。……それより今朝は悪かったな。あんな言い方をするつもりはなかった」

 

「……え……ええッ?」

 たっぷり一呼吸置いて、ヴィンセントは声をあげた。

「……なんだ?」

「えッ? い、いや、あの……」

 オレが率直に謝罪したことに驚愕したらしい。あからさまに動揺し、目を瞠るヴィンセント。

 ……いささか心外だ。

 

 気づかれないように熱っぽいため息を吐き出す。

 力の入らない身体が情けない。本当にただの風邪なのだろうか?ずいぶんとしつこい気がするのだが……

 とにかくこの惰弱な様を、側近くで見られたくはなかったのだ。

 

「あ、あの……セフィロス……?」

 恐る恐るというように、オレに声をかけるヴィンセント。

 ……こいつにイロケムシとの会話を聞かれたとなれば別だ。わざわざ本意を隠すまでもなくなった。

「……具合が悪くて苛ついていただけだ。おまえに八つ当たりをした」

「…………」

「貴様に不様な姿を見られるのは不愉快でな」

「……そ、そんな……不様だなんて……」

「とにかく、ただそれだけのことだ。……おまえを嫌ったりするヤツなどいない」

 オレは率直に言った。

「……セフィロス」

 息を飲むヴィンセント。

 ……そんなに感激するようなことなのだろうか。無口なくせに涙腺だけは雄弁なヤツだ。

 

「……おまえ、その泣きぐせは少し直せ。話ができん」

 オレは溜め息混じりにそう言ってやった。

「にゃんにゃん!」

 と、場違いに子猫が鳴く。

 チビスケは、そこらを駆け回り、やがて遊んで欲しがるように、ベッドによじ登ってきた。

「みゅんみゅん!」

 と、鼻先で甘えるように鳴きながら、オレの指を甘噛みしてくる。

「やれやれ、おまえの主人は、ずいぶんとやっかいな性格だな」

「……そ、そんな……」

 困ったようにつぶやくヴィンセント。

「こいつに言ってるんだ」

 オレはチビの頭を撫でて笑った。『ヴィン』が気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

 

 半身を起こしたまま、じゃれつく猫の相手をしていると、いきなり咳が出た。どうも冷えると喉に来るらしい。  

 ごほごほと咳き込んだオレを見て、ヴィンセントが慌てて椅子から立ち上がる。

 

「だ、大丈夫か? すまない、私としたことが。さぁ、もう一度、きちんと横になってくれ」

「…………」

「もう夜の9時近くになる。なにか食べられるだろうか? すぐに持ってくるから……」

「……頭痛や関節痛はなくなったが……熱っぽさがとれない。……あまり食欲はないな。明日になれば色々食えると思うが」

「……そうか……では、今朝のように果物とリゾットを……あっさりしたものを作ってくるから。さすがにフルーツばかりでは体力が……」

「ああ、わかったわかった。おまえの言う通りにするから、口うるさく言うな」

 オレが煩わしげに顔を背けると、ヴィンセントは少しばかりその場に立っていたが、困惑したり怯むこともなく、すぐに口を開いた。

「では、すぐに持ってくるから……あ、あの、ちゃんと暖かくして横になっていてくれ」

「わかった、わかった」

 ヴィンセントは、オレの返事を確認するとトロトロと走って出ていった。

 走っていても、『トロトロ』という表現になるのがヤツらしいが。

 

 

 ああ、本当に……人間の心は煩わしくて面白い。

 

 喜んだり、悲しんだり、憐れんだり……他の心を愛したり。

 

 布団に潜って、目を瞑る。

 『……あ、あの、ちゃんと暖かくして横になっていてくれ』

 ヴィンセントのくぐもった小さな声も、側近くで言ってくれればちゃんと聞き取れる。

 

 未だ、熱の抜けきらない不具合な身体に舌打ちしつつも、さきほどよりはずっと安らかな気持ちで横になった……