悪魔のKISS
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<11>
Interval 〜03〜
 セフィロス
 

 

 

 

 

 

 

 

気を取り直すようにして、トレイを差し出すヴィンセント。

 

「消化に良いようにミネストローネにした。フルーツは君の好きなグレープフルーツとキウイを……」

「ああ」

「ひとりで食べられるか?」

「ああ」

 ……熱の引いた身体としては、物足りないことこの上ないが、とりあえずシズシズと食い始める。ヴィンセントは、傍らの椅子に座ったまま、オレの食事の様子を眺めていた。

 

「……どうした、何を見ている」

 低く訊ねてみた。

「君が食事をしている姿を……」

 そうささやいて小さく笑い、

「また目を離すとどこかへ行ってしまいそうで……何だか怖くて……」

 と付け足した。

「……別にどこにも行かん」

「本当に……?」

「……ああ」

 オレ的には、心底、どこかに行ってしまいたいが。

 

「……だが……たった今……姿が見えなくなったし……」

 めずらしくもヴィンセントにしては、非難がましくつぶやく。

 直接文句をぶつけてこないのが、ヤツらしいといえばヤツらしいが。

「……いったいどこへ行っていたのだ……セフィロス……」

「……あ、ああ、ちょっとそこまでだ。欲しいものがあってな」

「そんなこと……私にひとこと言ってくれれば……! いったい何を買いに行ったというのだ?」

 オレはウッと返答につまる。

 

「……セフィロス?」

「……医……エロ本」

「……え……エ、エロ……?」

「ああ、もう、うるさく言うなッ! ただのアダルト雑誌だ! そんなもの貴様に買ってこいなどと頼めんだろうッ!」

 オレは苦し紛れにそう答えていた。

 空けた食器を脇に退け、ドサリとベッドに横になる。この状況でアダルト誌という言い逃れには我ながら閉口するが、言ってしまったことは仕方がない。

 ヴィンセントが微かに頬を染め、困惑したような、だが今ひとつ納得のいかないような面もちでオレを見る。

 ……すでに目も当てられない展開だ。

 

「そ、そんな……せ、成人男性向けグラビア雑誌くらい……私だって……購入することは可能だと……」

「……エロ本という三文字を、わざわざ『成人男性向けグラビア雑誌』に言い換えている時点で無理だな」

「……い、いや……あの……でも、せ、性欲があるのなら、そ、それはそれで身体の健康という意味合いに置いては、好ましいことなのではなかろうか……」

「……かもな」

 どうでもよさそうに相づちを打つオレ。

 

 ……もう、こうなったら仕方がない……

 

 オレは心の中で、あるひとつの決心をしていた。

 

 ……今、この場でヴィンセントに真実を明かすことできない。

 ならば、このまましばらくの間、病人のフリをして時をやり過ごすのだ。いくら心配性のヴィンセントだとて、病人のオレが「ひとりにしてくれ」と頼めば、しつこくまとわりつくこともあるまい。ガキどもはなんとでもなる。唯一注意すべきは、イロケムシくらいのものだ。

 そして頃合いを見はからって、「どうやらおまえのおかげで持ち直したらしい」とでも言ってやれば、あのお人好しのことだ、涙を流して喜ぶだろう。ようはオレ様の尊厳を守りつつ、ヴィンセントさえ納得させればそれでよいのだ。

 

 ……最重要課題は、いかにもっともらしく、バレないように病人として振る舞えるかだ。

 

 ……病人らしく……

 ああ、そうだ。

 オレは自分の思いつきに、ぽんと手を打ちたい気分になった。

 この一石二鳥の思いつき……アイシクルロッジでは聞き逃した例の一件を、ヤツの口から聞き出せるかも知れない。

 

 

「ヴィンセント……そこに座れ」

 ため息混じりに声をかける。いかにもだるそうに……

「あ、ああ……どうしたのだ」

「……おまえに……頼みがある」

 オレは殊の外、ゆっくりと切り出した。時を置いて息継ぎをする。心配そうにオレを見つめるヴィンセント。

「……以前、おまえに尋ねたことがあったな」

「……な、なんだろうか?」

「……以前から感じていたことだが……時たま、おまえはオレのことを知っているような口振りをする」

「…………ッ!!」

 あからさまにヴィンセントが緊張した。

「アイシクルロッジへ行ったときなどは、特に強くそう感じた」

「…………」

「ヴィンセント……?」

 ヤツの紅い瞳を真正面から見つめる。 

「そ、それは……いや、それは君の気のせいだ……私は……なにも……」

「おまえはウソのつけない人間だ。……とても真面目で正直で……優しい奴だ……」

 わざとらしくも淡い笑みを浮かべ、頑なに膝の上で握りしめたヤツの手をそっと握った。

 

「……セ、セフィロス……?」

「……なぁ、ヴィンセント……この場所でオレがおまえに出逢ったのも、なにかの巡り合わせだとは思わないか?」

「……え?」

「……いずれ、この身が滅びるのなら……」

「セフィロス……嫌だッ! そ、そんなことを……言わないで……くれ……」

「ああ、すまん。泣くな……だがな、聞け、ヴィンセント」

 宥めるように続ける。こんなしゃべり方をするオレなど、ヤツは初めて見ることだろう。ひどく動揺し、戸惑っているのがわかる。

 ……いい調子だ。

 

「……聞いてくれ。このまま回復することができるのなら……それはそれで有り難い。だが、やはり、この肉体の終焉が近づいているのなら……オレは自分のことをひとつでも多く知っておきたい」

「……セフィロス……」

 紅い瞳からツーと涙が頬を滑った。

 

 さすがにわずかに良心が痛む。

 ……大丈夫だ、このまま4、5日置いたら、すぐに安心させてやる。

 

「……もし、おまえがオレのことを知っているのなら……なんでもかまわない……教えてくれないか? 優しいおまえの口からならば……なにを聞いても受け止められる気がする」

「……セフィロス……君は……」

「フフッ……すまんな。弱気なことを。今までおまえには非道いことばかりしてきて、虫のいい話と思うかも知れんが……」

「そんな……そんなことはない……! 君はいつでも私に優しかった……私を助けてくれた…… 私は君のことが好きだ……とても……とても大切なんだ……」

 ヤツの手を握った、オレの手を取るとそのまま、ヴィンセントは愛おしむように頬ずりをした。止めどなく流れる涙がオレの手を濡らす。

 

 しばらくそのままヤツの好きにさせた。気持ちを落ち着けるのに時間がかかるのだろう。

 ふたたび、オレが口を開く前に、ヴィンセントはとても静かな声音でしゃべりだした。 

「……君は……自分の母をジェノバだという。……ある意味、それは正しいと認めざるを得ないのかも知れない……」

「…………」

「だが、君を産んだ女性は、当然、別にいるのだ……」

「……ああ、それはそうだろうな」

 オレは頷いた。

 それは容易に予想がつくことだ。オレだとて、細胞の断片から誕生してきたわけではない。詳細は知らないが、ジェノバプロジェクトにかかわった人間が、その媒体になったという情報くらいは得ていた。

 

「……彼女の名は、ルクレツィアという……」

「……ルクレツィア……」

 オレはその名を復唱した。

 ヴィンセントは、その名を口にするとき、その白く整った面に、なんとも評しがたい痛みと厳かな慈愛の表情を映し出した。

「聡明で優しく……美しい女性だった……」

「…………」

「『聡明で優しい人間』が、自らの身体と胎児を提供して、人体実験を行うものか」

 ……オレはそう反論していた。

 オレの母はジェノバだ。……その女はただの媒介でしかない。微かに胸の奥が痛んだ事実を、オレは自身の中でうち消した。

「……セフィロス……! それは……ッ!」

 切羽詰まったようなヴィンセントの声。 

 ……オレの中ではすでに決着の付いている事柄だ……そんなに動揺する必要などないのに。

 

 どこぞの誰かが、ジェノバ細胞を宿して、オレを産んだというのならば、それはそれで『終わったこと』だ。すでに『そうであったこと』の確認でしかない。

 

「そう……君にしてみればそうなのだろう。そういう風に言われるのも仕方がないことなのかもしれない……」

 ヴィンセントは激した自らを律するように、密やかに息を整えた。

「……だが、セフィロス……ルクレツィアは君を心から愛していた。ずっと君の身を案じていた……」

「……よけいなことだな」

 オレはヤツから目線を反らせた。

 

「……私の罪は……彼女を止められなかったことだ……」

 その言葉は懺悔のように、色のない唇からこぼれ落ちた。

「…………?」

「……なんだ、それは? 今の話のどこに貴様が関わってくるのだ?」

「あんなに近くに居たのに……彼女を大切に想っていたのに……私はただ手をこまねいて見ていることしかできなかった……」

「……ヴィンセント……?」

「……すまない……セフィロス」

「……おい?」

 がっくりと項垂れ、微かに肩を震わせる。

 理解できないことだらけだったが、打ち拉がれた華奢な身体がただ哀れに見えた。

 

「……なにもできなかったこと……それが私の罪だ」

 彼はそうくり返した。

「……言っておくが、媒介になった女の存在は、そこそこ予測していた内容だ。別におまえが悪いわけではない」

「……止めるべきだった……この命に替えても……君と……彼女のために」

「よせ。おまえのせいじゃないと言っているだろう。すでに……済んだことだ」

 言い聞かせるように、繰り返した。

 

 

 ……おそらく人の良いコイツは、たった今の話から、出生の事情を知ったオレが、傷を受けたと勘違いしているのだろう。

 さきほども言ったが、母『ジェノバ』はあくまでも「細胞」であったということは知っていたし、何者かを媒介にして生を受けたとこも認識していた。

 知ってしまえばどうということでもない。

 嘆いたり、悲しんだりする時期は過ぎたのだ。また悲嘆にくれることによって、変わる事実など何ひとつないということを、オレはよく知っている。

 

 ……だが、疑問が一つだけ残っている。

 コイツ自身は気付いているのかどうかわからないが……