〜 CAIN 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<50>
 
 ヤズー
 

 

 

 

 

 

「みゃーん、みゃんみゃんッ!!」

「みんな、おかえりッ!」

 小さな子猫の後に、ドカドカとロッズが続く。

「うわっ、泥だらけだね!」

 明るいルームライトの下で見ると、俺たちの姿は壮絶の一言であった。

 くっついた泥が固まって、ボロボロ落ちてきたり、顔には墨で書いたみたいな煤がついているありさまだ。

「まず、風呂だな。上着とか汚れ物は玄関で脱いだ方がいいね」

 俺たち泥だらけ三人組は、さっさと服を脱ぐと、バスルームに向かった。セフィロスは自室の客間から続く風呂へ、兄さんは居間のとなり、俺もそこに一緒に入らせてもらうことにする。

「ヴィンセント、まだ無理やり動かないでね。ソファで楽にして待ってて」

「あ、いや……もう大丈夫だから……」

「ダメだよ、一応傷口消毒するから。すぐ出るからね、待っててよ。時間遅いし、何だったら横になってて。カダ、ヴィンセントが冷えないように毛布掛けてあげてね。ロッズは温かい飲み物を淹れてくれ」

「うん!」

「わかった」

 彼らが俺の指示通り、すぐに動いてくれたのを確認し、風呂へ入った。

 いや、「入浴する」という感じじゃない。とにかく泥を洗い落として、肌がひりひりするくらい、強くボディブラシで擦った。

 兄さんも俺も、のんびり湯に浸かるような気分じゃなかったのだ。

 ちゃんとヴィンセントを連れて戻ってきたにも関わらず、まだ安心できない。いや、彼の無事な姿を見ていないと落ち着けないのだ。

 間髪入れずに戻ってきた俺と兄さんを見て、ヴィンセントがカップを持ったまま、目を丸くした。

 さすがにセフィロスは、まだ居間に姿を現してはいなかった。

 

「……そんな……ふたりとも、ゆっくり温まってくればいいのに……」

「ん〜、動き回ったしさァ、身体はあったかいんだよねェ、最初から」

「うん。じゃ、ヴィンセント、手当しよう。ちゃんと消毒したほうがいいからな。ヤズー、頼むよ。俺、何か手伝うことがあれば言って」

 あらためて手を洗い直し、兄さんは緊張した面もちでそう言った。

 だが、そこまでの心配はないと思う。屋敷でちらりと傷が見えたが、出血も少なかったし、本当に腹の皮一枚という程度だったのだろう。

「ん、浅いみたいだったから、特にどうこうはないけどね。兄さん、ヴィンセントの手、握っててあげなよ。多少しみるだろうし、動かないようにね」

「オッケー!」

「……その……すまないな、手間を掛ける」

「いいからいいから」

 ヴィンセントの傷口は本人がいうように深くはなかった。

 ちょうど切りかかったところで、俺たちが乱入したんだろう。いやはやそう考えると、さすがに背筋がぞっとする。間一髪とはこのことだ。

「はい、終了。大丈夫そうだよ、兄さん。消毒してガーゼ当てておいた。走り回ったりしないかぎり、二、三日で治るんじゃないかな」

「あ〜、よかったァ。ホント、ぎりぎりだったんだよね〜、あー、もぉ、冷や汗出た〜」

「……その……おまえたちも、きちんと傷の手当てを……」

 自分の怪我の手当ばかりを優先する俺たちふたりに、ヴィンセントは困惑しつつもそう言った。

「えー、俺たちはたいしたことないよ。擦り傷とか切り傷だもん」

「そうそう、打ち身とか捻挫とかねー」

「……私などよりよほどひどいではないか……! 痛むのはどこだ? 救急箱を貸してくれ。私が代わるから……!」

「唾つけとけば治るもん」

 あっけらかんという兄さんに、思わず声を上げて笑ってしまった。セフィロスもこの場に居れば良かったのにと思いながら。

 

 ちょうどその時であった。居間のドアが開いたのは。

 

 ガウンのままの俺たちとは対照的に、セフィロスは、あっさりとしたシャツとパンツを身につけていた。

 ああ、やっぱりね、と思う。

「おい、チビガキ、車のキーをよこせ」

「支配人さんの? うん、これだけど」

 カダージュからキーを受け取ると、セフィロスは俺たちと目線を合わせることもなく、ヴィンセントに声をかけるでもなく、さっさときびすを返した。

 ふと思い直したように、こちらを振り返り、端的に告げる。

「二、三日、向こうに居る。もう心配はないだろうが、おまえらもしばらくは気を抜くな」

「向こうって? 支配人さんのところ?」

 鈍感な兄さんが、あたりまえのことを確認した。他にどこがあるというのだろうか。

「セフィロスのほうこそ、気をつけて」

 言葉を先に引き取るように、俺はそう返した。

 彼は低い声で、『問題ない』とだけ応え、今度こそ居間を出ようとした。

「セフィロス……!!」

 だが、切羽詰まった悲痛な声音が、セフィロスを呼び止めた。

 ヴィンセントだ。

 ……無理もない。セフィロスは車に乗っている間も、家に戻ってからも、一言もヴィンセントと会話をしてはいないのだから。それどころか、口を開くことすらしなかった。自らの思考に沈んだように、ずっと沈黙を守っていたのだ。

「セフィロス……! 待っ……てくれ」

「…………」

 目線はヴィンセントに戻すものの、黙ったままだ。

 怒っている……というようにも見えない。ほとんど感情の読みとれない面もちであった。

「…………」

「セフィロス……あ、あの……」

「……なんだ。もう出るのだが」

 抑揚のない声音で返された言葉は、ひどく冷ややかで素っ気ないものであった。

 無言のままヴィンセントが怯むのが感じ取れる。

「あ……す、すまない」

「…………」

「そ、その……きっと……もう呆れられているのだろうけど…… 愛想を尽かされても仕方がないとわかっているけど……!」

「…………」

「わ、私にはどうしても……どうしても……これしか……」

「…………」

「いや……す、すまなかった……本当に……もうそれしか……言えない…… 謝罪の言葉しか……セフィロス……」

「ヴィンセント……」

 兄さんが泣き出しそうなヴィンセントを心配そうに見つめる。

 なぐさめようと思うのだろうが、彼の謝罪はある意味正当なもので、いくら理由があったとはいえ、ヴィンセントがセフィロスを欺き、結果的に追いつめたのは事実であった。

「……すまなかった……どうしても……こうするしか……考えつかなくて……」

 謝罪の言葉を重ねるヴィンセント。

 セフィロスはあらためて彼を眺めると、ツカツカと歩み寄った。

 そして、軽く手を持ち上げ、ヴィンセントの頬を打った。