〜 午 睡 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<13>
 
 ヴィンセント・ヴァレンタイン
 

 

 

「……朝だ……」

 だだっ広い寝室で私は目覚めた。

 私の不思議な夢は、まだまだ続いているらしい。

 かつて東国の思想家の説話で、胡蝶の夢と題される物があった。

『夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして私が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て私になっているのか……』

 というものである。

 これこそ、まさしく今の私の心境だ。

 いったいどちらの世界に居るのが、本物の『ヴィンセント・ヴァレンタイン』なのだろう……?

 

 ああ、いや……

 私としたことが何を埒もないことを。

 コスタ・デル・ソルのあの家は、ずっと待ち望んだ幸福の住処だ。

 クラウドにセフィロス……そして三人の青年たち。ジェネシスも友人として側近くにいてくれる。

 あそここそが、私がずっと夢見ていた桃源郷のはずなのに。

 ……人間、その環境に慣れると、贅沢にも刺激が欲しくなるのだろうか?

 

 時計を見るとまだ午前6時。 

 コスタ・デル・ソルでは大抵この時刻に起きるので、もうクセになってしまっているのだろう。

 念のためにセットしておいた目覚ましコールを解除し、浴室に行く。

 熱いシャワーと心地よい温度に設定されたバス…… 贅沢すぎる環境にやや落ちつかない気分になる。貧乏性というものだろうか。

 時間には十分余裕があるのだが、私は手早く入浴を済ませることにした。

 せっかくなのだから、少しでも早く執務室に行っていたほうがいい。昨夜は書類仕事が中途半端だったし、タークスには早出の諸君が居る。

 健康的な一日の始まりにも関わらず、まったく食欲がなかったので、缶詰のスープを温めて朝食代わりにした。

 

 

 

 

 

 

 キーカードで戸締まりを済ませ、本社に赴く。

 まだ午前7時を過ぎたばかりのオフィスには、ほとんど人がいない。

 通常の事業部の始業時間は午前9時なので、それももっともと言える。

 だが、特殊部隊であるタークスやIT関連の部門は、交代制だから早出の人間たちはすでに出勤しているだろう。

 寮の食堂やオフィス内ストア、カフェテリアなども、すでに利用可能である。

 ……なんだか懐かしい。我ながらずいぶんとよく記憶しているものだ。

 

 エレベーターで59階まで上がり、執務室に入る。

 ちなみに、私の仕事部屋に入るにもキーカードがいる。つまり、それを所有する私以外の人間は、勝手に出入りすることができないわけだ。

 私自身はまったくこだわらないのだが、重要書類がこの部屋に集まることを考えれば、このくらいのセキュリティは致し方がないのかもしれない。

 広すぎる私の執務室には、応接セットはごく当然として、扉で仕切られたキッチン&ミニバーのスペースさえある。バーなどはいらないが、キッチンや茶器が揃っているのはありがたい。

 キッチンの奥の方には、紙コップの自動給茶機がお約束のように鎮座しているが、どうもそれを使う機会はなさそうだ。

 私は持参してきた茶葉を、備え付けの物と一緒にならべておく。

 コーヒー、紅茶は置かれているが、ハーブティーやフレーバーティなどはない。疲れたときにはコーヒーよりもハーブティーのほうが、ずっと心にも身体にもよいのだが。

 

 磨りガラスの大きな扉を、そっと開く。

 案の定、早出の青年が机に突っ伏している。

 よく見れば、あの紅い毛はレノではなかろうか。もうひとりの巨躯の男性は……ルードだ。彼はこの時代からサングラスを手放さなかったのだな……

 

 私はさっそくフレーバーティーを淹れるチャンスに恵まれた。

 ひとり分だけではもったいないし、三人分のほうが美味しく淹れられる。

 ヤズーに誉めてもらえるアイリッシュカフェ。その特別バージョンだ。

 ハーブとレモンピールでベースを作って、濃いめのアッサムを注ぐ。最後の締めにウイスキーをほんのひとしずく……

 大きめのカップに丁寧に注ぐと、私は隣室に向かった。

 レノは片肘ついて、未だにふにゃふにゃと、何やらつぶやいている。そう、若かりし頃は、朝がつらいものだ。

「おはよう、ルード。よかったら飲んでみてくれたまえ。朝に向いたお茶だと思う」

「む…… あ、あの……そんな……補佐官殿に……このような……」

 ロボットのような無機質な声音で、彼は困惑を表す。

「私のことはヴィンセントと呼んでくれたまえ。冷めないうちにどうぞ」

 無口な彼であったが、おとなしくカップを受け取ってくれた。

 不思議そうな面持ちで、おっかなびっくり飲んでいるのが、なんだかひどく愛らしい。

「はい、レノ」

 彼は朝が弱いのだろう。ぐにゃぐにゃと半死半生状態のレノのデスクにも、それを置いた。

「あ〜…… サンキュ……ルード……喉、渇いてよォ」

 そう言いながら私を見遣ると、彼は手を伸ばしたままの形で固まってしまった。

「ほ、ほ、ほさかん……さま……」

「プッ…… ああ、失敬。驚かせてしまったようだ。君くらいの年齢だと朝はつらいだろう」

 きょとんとした幼い表情に思わず吹き出してしまう。笑うつもりではなかったのだが、子供のようでとても可愛い。

「え……あ、あの……」

「目が赤いな。年若い頃は楽しみも多かろうが、夜はきちんと身体をやすめなくては」

「え……あ、は、はい」

 説教染みた私の言葉に、彼はぎこちなく頷いた。

「朝方は身体が冷えるから。それを飲んでみてくれたまえ。食欲が出るとよいのだが……」

「あ、あの……す、すいませんッ! 俺、ぼけっとしてて!」

 真正面からレノの顔を見た。

 現実のコスタ・デル・ソルの世界で、すでに中堅どころとして活躍している彼と出会っているのだが……

 ああ、やはりその時よりも幼い。新人では無かろうが、十分若手メンバーと言えるだろう。

「ほさかんさま……?」

 ついつい彼の顔を凝視してしまった。レノは不安そうにおかしな発音で私に声を掛けてきた。

「すまない、失礼した。……つい」

「いえ、あの、こ、このお茶…… ほさかんさまが?」

「ああ、気にせずに。私はこういったことが好きらしい。楽しんでしていることだから」

 そう告げて、笑ってみせると、ようやく彼も落ち着いてくれたのだろう。まるで酒のグラスを手に取るように、カップを持ち上げると、

「いただくッス」

 といって、恐る恐るカップに口を付けた。

「……美味い……! これ……何のお茶だろ? オレ、初めて飲むッス」

「いくつかブレンドしてみた。口に合ったのならよかった」

「合う! 合うッス! うまいッス」

「そうか。それならよかった」

 そういって、彼のくしゃくしゃになった髪を撫でつけた。やってしまってからあまりにも馴れ馴れしかったかと後悔したのだが、いつもクラウドにしてやっているからクセになってしまっているのだ。

 だが、レノは、私の手を振り払ったりはしなかった。

「……内臓が冷えると食欲がなくなるそうだから。少し落ち着いたら食事に行ってきたまえ」

 間違いなく朝食を食べていないであろう彼にそう言った。するとまるで母親に叱られる子供のように、レノは塩垂れて頭を掻いた。

「そんなこと言われたの初めてです。なんか朝飯って食えないんですよね。気持ち悪くなっちゃって」

「コーヒーやたばこなど、嗜好品の摂り過ぎもよくないからな。君のように年若いうちはともかく、私くらいになると体力が落ちてしまう。……身体は大切にしなさい」

 やや説教じみた物言いであったかもしれないが、レノは神妙な面持ちで、

「ハイ、ほさかんさま」

 と答えたのであった。

「それからもうひとつ。私のことはヴィンセントと呼んでくれたまえ。君もだ、ルード」

 傍らの席で、レノの動向に注意を向けている巨躯の青年にもそう伝えた。

「えぇッ! そんな、呼べないッスよ! オレみたいなぺーぺーが…… な、ルード!」

「……む」

 とレノの言葉に頷くルード。

「……昨日、ツォンにもお願いしたのだが、一緒に働く者なのに、『補佐官』などと呼ばれるのは寂しい限りだ。君らも主任を『ツォンさん』と呼んでいただろう?」

「いや、そりゃ……ツォンさんはツォンさんっつーか、タークスの主任だし……」

「私も同じようにして欲しい。よろしく頼む、ふたりとも」

 やや強引にそう言い置くと、私は空になった彼らのカップを盆に乗せ、さっさと執務室へ戻った。あの場所に居続けたら押し問答になりそうだったから。