ハローベイビー 〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家&おまけの『うらしま』〜 <3> クラウド・ストライフ
目的地は、彼がよく買い出しに行く青物市場。
十分徒歩で間に合う、すぐ近くの広場だ。
今日のように天気のよい休日に出店がある。セントラルのデパート違って、品揃えは、ほとんどが野菜に果物、乾物ばかりだが、なんといっても新鮮で値段が安いそうだ。
ヴィンセントはそこでも人気者らしく、気のいい酔いどれの漁師のおっさん、威勢のいい八百屋のおばちゃんが、口々にヴィンセントに声をかけ、買い物ついでに土産物などを持たせてくれるらしい。
あの性格だから、きっと恐縮して遠慮するだろうが、そんな様子がますます他人に『この人の喜ぶことをしてやりたい!』と思わせてしまうのだろう。
そんなわけで、大抵市場に来ると、帰りが荷物が一杯になってしまい、車での迎えを頼むことになるわけなのだが。
そんなわけで青物市に行くのは、ほとんど日常生活の一部で、俺もよく付き合っていた。だがこんなささやかなデートでも、カサカサと乾いてそそけ立っていた俺の心がゆったりと癒やされる。
ヴィンセントの少しクセのあるなめらかな黒髪、笑うと柔和に溶ける紅の双眸……まるで日焼けをしない透けるような白い肌……どれもこれも、なつかしい……おかしな言い方かも知れないが、わずかな期間とはいえ異邦人であった俺には、あまりに懐かしく慕わしい、恋人の在りようであった。
ヴィンセントは生来、おしゃべりな人ではない。
だが、今は俺の気を引き立てるように、小さな低い声でとりとめもない事柄を話しかけてくれる。
そんな気遣いが、俺にはひどく嬉しかった。あちらの世界の『クラウド』が、あれほどまでにレオンを求めているのを目の当たりにしたが、俺だとてヴィンセントがいなければ生きていられないと感じる。いや……生きていきたいという希望そのものが無くなってしまうような心持ちだ。
「……クラウド…… どうした? 疲れたか……?」
そう問いかけてくれる声でさえ、本当に聞き取れないほど小さい。
「まさか! なんかね、ちょっとしみじみしてたの。こうやってふたりでゆっくり歩けることって最近なかったもんね」
「……クラウド……」
「あ、やだな、そんな顔しないでよ、ヴィンセント。それって、デリバリーの仕事もたくさん入ってきてるってことだし、ウチもにぎやかになってるってことでしょ?」
「……そう……だな」
「だから、俺、今、けっこう……かなり『幸せ〜』とか思ってるから。アレ、なんでこんな話になったの? ヘンなの!」
やや感傷的になりつつあった話の方向を、そんな風に茶化してみた。でないと、生真面目で繊細なヴィンセントは、あれこれと考え込んでしまうからだ。
「……クラウド……何か……我慢していることはないのか? 私にして欲しいこととか……」
「な、ないよ! やだな〜。ヴィンセントに不満があるわけないじゃん!」
「…………」
「確かに……ホラ、セフィたちがウチに来てからさァ、楽しくなった部分もあるけど、ふたりで居られる時間がね。もうちょっと欲しいかなって。へへ、ゼータクかなァ」
照れ隠しに、バリバリと頭を掻いてそう言ってみた。彼はそんな俺をじっと見つめる。その眼差しは恋人を見る……というよりも、もっとずっと慈愛に満ちた様子で、母親が手の掛かる息子を見守るようで……ちょっと不満だ。
……もっとも、こんなふうに感じてしまうこと自体が、いささか寂しくもあるわけだが。
「……クラウド、泊まりがけの仕事はもう受けていないのだろう?」
「ん? もっちろん。もォ懲りたよ〜。やっぱヴィンセントと離ればなれになるの、ヤダ! 寂しいし、そんな思いしてまでお金、欲しくないもん!」
両手をひょいと広げ、俺はいかにも『嫌だ』というように、頭を振ってそう告げた。ヴィンセントの兎のように紅い瞳が、さらにやさしく細められる。
「この近くの配達だけで、十分やっていけるもんね。まぁ、この前の一件はWROの依頼だったから、受けてやったってのもあるけどさ」
「……ん……そう……だな」
「へへ、ヴィンセントも俺が居ないと寂しい?」
冗談口調でそう訊ねてみる。すると彼は少し高いところにある目線をきちんと俺と合わせ、色味の少ない口唇を微かに開いた。
「……ああ、寂しい」
「え……」
「おまえがいないと寂しい……クラウド」
予想外の受け答えに、俺のダメダメな心臓はドッキドッキと高鳴ってしまう。てっきりいつもの冗談を受け流すような言葉で返されると思っていたのに。
「や、やだな!ヴィンセント、冗談だよ、冗談ッ! ちょっと離れてただけだもんね。もう二度と危ないことは……」
「置いて行かれるのは寂しいから……クラウド…… もっと一緒に……居よう?」
白くて細い指が静かに伸び、俺の髪に触れる。繊細でやさしいヴィンセントの手。
「……うん……うん!」
俺は子どものように、コクコクと強く頷き、何度も返事をした。
本当は、昔セフィが俺にしてくれたみたいに、ヴィンセントを大人っぽく導いてやりたいのに、まだまだそれはかなわないらしい。
ヴィンセントは俺よりずっと年上で、教養も知性もある。物事をよく知っているし、銃を手にすれば敵も無しという人なのだ。だが、彼の半生があまりに過酷であったため、決定的に欠如している部分もあるし、脆く弱いところを抱えている。
だからこそ、俺が側についていたい……その弱い部分を守ってやりたいと……そう願わずにはいられないのだ。
もちろん、日常生活の中では助けられることばかりで汗顔の至りなのだが。
「……さて、ついたな」
「えー、もう!? もっと話したかったのに!」
駄々っ子のように俺は言った。ヴィンセントがクスクスと笑う。
「帰り道もふたりで歩こう? ……さ、では、クラウドはそこで待っていてくれ。用事はそれほど多くないから……」
その言葉に、手伝う!と言おうかと思ったけど、この場はすんなりヴィンセントの言葉に従うことにした。どうやら、食料品の買い出しに、俺は邪魔になるだけらしい。確かに、ついつい食べたいものがあると、生ものだろうとなんだろうと、ひょいひょい買い物かごに放り込んでしまうし、賞味期限など見たこともなかった。
ヴィンセントは早足で雑踏の中に姿を消した。
きっと、いくつかの野菜と果物を買うのだろう。彼はそれらを絶やしたことがないし、健康のためにと必ず食卓に出されるのだ。
……いや、もしかしたら、ヴィンセントは『セフィロス』の姿を気にしているのかもしれない。俺を慮って口には出さないが、ここ数日ふとした拍子に物思いに沈み込む彼の姿を目にしていた。
「……ったくもう『セフィロス』ってば、どこ行っちゃったんだよ。どっちのセフィロスもヴィンセントに心配ばっか掛けるんだから!」
ベンチに座り込んだまま、俺は口の中でブツブツと文句をこぼした……