うらしまクラウド 〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜 <5> ヤズー
そんなこんなで、この日一日は、妙に落ち着かない日になってしまった。
『兄さん』が眠り込んでいる間に、俺とヴィンセントは、もとの兄さんの私室を適当に片づけ、その部屋のベッドに彼を移した。
それでも目覚めることなく眠り込んでいるのは、彼の肉体と精神が本当に疲弊しているという証明のようにも思えた。
俺はロッズとカダージュに、わかりやすく現状を説明し、事態の打開への協力を求めた。もちろん、しばらくの間、俺が彼の面倒を見るつもりであるということも併せて。
……正直、心配だったのはカダージュのことだ。
この子は、俺との距離が一番近い人間なのだ。そう、あらゆる意味合いに置いて……
だから、兄さんのこととはいえ、俺が彼ではなく『兄さん』を最優先せざるを得ないという理屈を納得してくれるか不安だったのだ。
「うん、わかった。僕、平気だよ。兄さんのためだもんね。僕、あの『兄さん』とも仲良くできるよ」
「そうか、いい子だな、カダ。おまえが聞き分けてくれて嬉しいよ」
「子どもじゃないもん。あたりまえじゃない。……それより、ヴィンセントが心配」
「……カダージュ……」
俺はつい目を瞠ってしまった。
……この子がこんなことを口にするなんて……これまで、俺たち兄弟のこと以外、一切興味を示さなかった彼が……
「……カダは大人になったな」
俺はそう言って、彼のサラサラと流れる髪を撫でてやった。胸の奥に、微かな寂寥を感じつつ。
「また、ヤズーは僕を子ども扱いする! そうそう、荷物の配達、僕とロッズでやるから! ずっとやってみたかったんだよね。大丈夫、兄さんのお手伝いしたこともあるし、絶対平気だから!」
俺に反対されるとでも思ったのか、カダージュは一気に捲し立てた。
「本当に大丈夫か?」
「うん。僕、もう大人だもん」
「俺が『兄さん』に付きっきりでも?」
「……う、うん。仕方ないよね、今の『兄さん』、普通じゃないみたいだし……」
「……そうか」
頷いた俺は、きっと寂しげな表情をしていたのだろう。慌てたようにカダージュは付け加えた。
「あ、でも、今だけだよ? 兄さんが元に戻るまでだから! ヤズーの一番は僕だもんね?そうだよね?」
「……ああ、もちろん」
「僕の一番もヤズーだよ!」
「……ありがとう。誰よりもおまえのことを想っているよ」
「うん。ちゃんとわかってる!」
そういうと、カダージュは、ロッズと仕事の打ち合わせをすると言って、部屋に戻っていった。
「あーあー、乱れているな、貴様ら。兄弟で近親相姦か?」
カダを見送った後、少しばかりその場に佇む。すると、廊下の暗がりからいきなり声が飛んできた。
こんな物言いをするのは、当然セフィロスだ。
「……立ち聞きィ? 趣味悪いんじゃない」
俺は何のてらいもなく、言い返した。
「フフン、貴様らの声がデカかったから聞こえただけだ」
「それは失礼」
「おまえはヴィンセント狙いだと思っていた」
「……はぁ? 下品な言い方しないでもらえる? ヴィンセントのことは大好きだけど、彼には兄さんがいるでしょ? 俺、誰かさんと違って見境無いわけじゃないから」
「ふん。……まぁ、いいだろう」
カンに障る物言いをしてくれると、セフィロスはすぐさま踵を返した。そのまま玄関に歩いて行く。
「セフィロス?」
「……さて、出掛けてくる」
彼は楽しげにささやいた。
「……また?」
「文句があるのか?」
「……別に」
「なら黙ってろ」
「……店長さん、繊細な人だから。傷つけるようなことしないでよね。やさしくしてやって」
腕を組んだまま、壁に寄りかかってそう言うと、セフィロスは一瞬、微かに目を瞠り、
「…………気味の悪い野郎だ」
とつぶいた。
バタンと扉が閉まる。
セフィロスには、また明日にでもきちんと話をしなければ。
ヴィンセントが言うように、あの『兄さん』が、セフィロスにのみ関心を示したのは事実だ。今は混乱しているから、まともな話は聞けないだろうが、落ち着きを取り戻せば、入れ替わりの原因も解明されるかも知れない。
こちらとしては、何が何でも、元の『兄さん』を取り戻さなくては。
……ああ、俺自身に、元の『兄さん』に執着があるのかと訊ねられれば、正直返事に窮することは無きにしもあらずなのだ。
もちろん俺は、これまで一緒に居た兄さんのことは大好きだし、世話になったと思っている。だが、カダージュやヴィンセントに対する感情とは、やはり一線を画していると言わざるを得ない。
俺は、自分自身の希望ということ以上に、ヴィンセントのために、彼を連れ戻してやりたかった。あの優しくて繊細な佳人が、他人のことで泣くのはたまらなく嫌だった。
人は俺のことを、さんざん美しいと囃し立て、綺麗だと感嘆してくれる。
そう……普通の人間から見れば、言葉どおりなのだろう。俺だとて、自分の容姿のことはきちんと認識している。
彼らは俺の表面しか見ていない。内に篭めたドロドロしたものになど、気付くような鋭敏さを持ち合わせない人々なのだ。
だが、ヴィンセントは違う。
彼は、俺の内側を知っているのだと思う。……いや、『知っている』という言い方が適当でないなら、無意識のうちにでも『気付いている』のだと思う。
俺がどれほど情念が強くて、汚猥で卑屈で……残酷なのか……その上で、だれよりも優しく俺の言葉に耳を傾け、傍らに寄り添ってくれるのだ。
「ヤズーは、やさしい……いつも私を助けてくれる」
めったに笑わない彼が、淡い笑みを浮かべて、そうささやいてくれると、なんだか本当に自分が「やさしい人」になれたような気がするのだ。
滑稽だと言われてしまえばそのとおりなのだが、ヴィンセントの言葉には不思議な力がある。
……ああ、こんなところで物思いに耽っている場合ではない。
そろそろ『兄さん』が風呂から上がってくるだろう。
そうなのだ。なんと彼は延々6時間眠り続けていたのだ。時計の短針はすでに22時を差す。
俺は気を取り直して、居間に戻った。